ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

紅葉ドライブ

2012-11-07 17:21:03 | お出かけ
こうようをみにいこうよう
…ということで、ロード大会の翌日、ドライブに出かけた。


1 旧暦の月名暗唱ルート

国道49号線から、国道459号線へ。
東蒲原郡阿賀町、鹿瀬地区の奥へと向かう。
すると、角神ダムを過ぎたあたりから、橋とトンネルに名前がついている。
睦月橋、如月トンネル、弥生トンネル、卯月トンネル、皐月橋、水無月トンネル、文月トンネル、葉月トンネル、長月橋、神無月トンネル、霜月トンネル、師走トンネル…。
今どき、1月から12月までを旧暦の月名をすらすらと言える人は少ないだろうが、
国道459号線を鹿瀬方面から日出谷方面(新潟市に近い方から福島県に近い方へ)に行くと、次々に現れる。
橋やトンネルに、その名前がつけられているのである。
旧暦の月名を復習するには、もってこいの(?)ルートであった。

【459号線を少し横道に入ったところにある平瀬橋から(SL撮影の絶好ポイント)】

2 こだわりのある宮古そばが昼食

【珍しい赤いそばの花も道中見つけた】
道路沿いの紅葉を楽しみつつ、福島県に入った。
西会津町である。
この国道459号線が、ここからは「宮古そば街道」と名付けられている。
道の分かれ目の各所に「宮古そば街道」というのぼりが立てられていて、風になびいていた。
「お昼は、宮古でそばだな。」
と、6年ぶりに山あいの土地で有名なそばを食べたくなった。
しかし、そこまでの道は、簡単ではなかった。
集落ごとに狭くなったり広くなったり。
ヘアピンカーブの連続のような道から峠を越えてみたり…。
ただ、そのおかげで、すっかり山頂部が白くなった飯豊の山なみも目にすることができた。

県境から16km以上を走って、ようやく宮古集落にたどり着いた。
ここは、今では喜多方市となっているが、数年前まで「山都町」だったところである。
「宮古そば」の民家(店)が並んでいた。
そのうちの1軒、「とのや」という店に入った。

ここでは、一番安いメニューが、1500円のDセット。
そばが、水そばともりそばの2種類と、料理2品…ウドときのこの煮物、こんにゃくの刺身。
面白いのは、この店のこだわり。
水そばが出る時に言われたのは、「つゆをつけずに、最初は水そばだけで食べてみてください。本来のそばの味が味わえます。」という言葉。

もりそばが出された時は、「そばに塩をかけて食べてみてください。」
このような食べ方は、今までしたことがなかったので、面白いこだわりだと思った。
食べてみると、そば本来の味が分かったり、つゆがなくなっても塩だけでもおいしく食べられたり。
なるほど!
県境が近いせいか、同胞の新潟ナンバーの車が駐車場に結構たくさん止まったいたのであった。

3 柳津町・福満虚空蔵尊圓蔵寺の紅葉はやはり美しい

さらにドライブを続ける。
喜多方市から会津坂下町、そして柳津町へと。
柳津町にある福満虚空蔵尊圓蔵寺を目指す。

ここの紅葉は、やはり美しい。

この日は晴れたり曇ったりの天気で、くもりから陽射しが差すと、一転紅葉の美しさが際立つ。

周囲の人たちがいっせいに写真を撮りたくなる。

初めてここを訪れてから、もう9年になる。

その時の美しさに魅せられて以来、それから何度めの再訪だろうか?


紅葉は、今年も十分美しかった。

今年は、周囲の木々の落葉が例年よりも早いように感じた。

先々週など、ずいぶん寒い強風が吹いた日があったせいだろうか。
でも、満足、満足。
前日20kmを走ったせいか、体が疲れているせいか、甘いものがほしくなった。
お土産、と称して、当地の名物「粟(あわ)まんじゅう」を買って帰った。
皮部分のもちもち・ぷちぷちした粟と、こしあんがとてもおいしく感じられた。

今回が、今年何度目の福島県行きだっただろう?
充実した紅葉ドライブだった。

休日が明けると、さっそく変わりやすい天気。
よく雨が降る。
雷も鳴る。
いつもの新潟の秋の終わりである。
いよいよ冬が近づくなあ…ふう…
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20kmを完走! 胎内市ロード大会

2012-11-03 22:21:23 | RUN
今日は、第5回胎内市ロード大会に、一般選手として参加申し込みをした。
一般選手として、と書いたが、実はこの大会は、新潟県20kロード選手権大会であり、第20回新潟県マスターズロード大会を兼ねている。
小学生の3kmや中学生の5kmなどの種目もあったが、メインは、10kmや20kmなのである。
ただし、このロード大会は、ネットで公開はしていないのである。
だから、参加者は多くなく、知る人ぞ知る大会、ということなのである。
私も、去年は、この大会があるのは知ったが、申し込めなかった。

今回のゲストは、谷川真理さんであった。

開会式のあいさつでは、今日12時の飛行機に乗って北海道に行く用があるため、3kmの部だけ走って、この地を離れるのだそうだ。
ただし、来週同じく新潟県の五泉市のハーフマラソン大会では、ハーフを走るのだそうだ。
「今回の大会に出て、来週の五泉の大会にも出るという人はいませんか?」
谷川さんは、そう聞いたけど、残念ながら、手を挙げる人はいなかった。

その谷川さんが、3kmを走る姿を見た。
5kmを走る中学生にはついて行かなかったけど、昔懐かしいストライドのたくましい走りだった。


さて、10kmと20kmの同時スタートの時間が来た。
マスターズで20kmに出場する人は、45歳代から70歳代までいたのだけれど、男子は10人弱であった。
だが、市民ランナーも、10人余りしかいなかった。
女性も、マスターズ・市民ランナー合わせて6人。

スタートして、陸上競技場内400mを2周と4分の3走る。
谷川さんは、「マイペース、マイペース。」と声援を送ってくれた。
いよいよ、ロードに出た。
その地点で、10kmにエントリーしていた私の息子が、私を追い越して行った。
まあ、先に行ってくれい。
私の作戦は、早すぎないスピードで前半1km5分台を切って貯金し、15kmの関門を突破しようというもの。
そのために、自分が走りやすく付いて行きやすい人の後ろにぴったりくっついて走った。
迷惑だっただろうけど、その人は、この大会過去3回走っているとのこと。
信頼できる。
1kmごとのラップタイムは、4分36秒、4分51秒、4分35秒、4分49秒、4分57秒と続いた。
ここで、息子たち10kmのランナーは、折り返して戻って行く。
私は、さらに5km先へ行かないと折り返しは、ない。
それでも、4分54秒、4分58秒、4分57秒、4分57秒と9kmまでは5分以下で走ることができた。
いよいよ10kmの中間地点を過ぎ、折返し点を回った。
この折り返し地点の辺りは、私にとっては、実は思い出の多い土地。
子どものころ、よく走った道。
「新しい道」と呼んでいた道。
そんな感傷とは対照的に、体が少しずつきつくなってきた。
10kmまで背中を追ってきた人の背中が、少しずつ遠くなってきた。
12kmまでは5分を少し上回るくらいのペースだったのに、13kmで5分17秒、14kmで5分29秒もかかるようになってしまった。
しかし、ここで、後ろから追い上げてきた若い女性ランナーが、すばらしい勢いで私を抜いて行った。
「ついて行ってみよう。」
と無謀にも、15km関門まで、その人の後ろについて行った。
そのかいあって、15kmは、1時間14分余りで関門通過。
さすがに、この後の反動がすごく、その後の2kmは5分35秒台になり、18km地点では、5分55秒と、ぐんと遅くなってしまった。
ここで、かつて県の女子マラソンで何度も1位になったことのある、マスターズの女性が「がんばりましょう!」と言って、抜いて行った。
「よし、がんばろう!」と、19kmでは、逆に抜き返したりもしたが、陸上競技場内でまた抜かれて、結局1時間43分強でゴール。
10kmを自分で満足する記録でゴールした息子が出迎えてくれた。

20km。
最後まで走ることができた。
15kmでも、関門にかからずにその先に行けた。
満足したロードレースであった。
(でも、少ない参加者…ひょっとして、完走者の中で最下位!?)
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