第25回 天が望んだ男
頼朝の人生のピークも越えてしまったのでしょうか
体は弱って、毎晩嫌な夢にうなされるという
言うこと成すこと、切羽詰まってることを露呈させてますね、頼朝さん
以前の様に、何があろうと天が見放さないと
人から言われ、自分でも豪語していたことは
今はもうない
すがるように全成に相談した
全成は、更に更にと占いの答えを求められるもので
色の選択、人と会う事、
仏事神事を欠かさぬよう、赤ちゃんの扱い、方位の選択
途中からは、どうやら口から出まかせで自分の都合のいいことを言っている
頼朝は、自分亡きあとのことを方々に命じ出している
嫡男に後を継がせたいと言うのは、当然だと思う
北条の腹のうちも、信じられなくなったのか
義時に信じていいのかと、聞きただす
義時と頼朝は、御家人の誰よりも信頼でつながってここまで来たはず
これから百年二百年と、帝を守り武家の頭領として
世に君臨させたいと
嫡男の頼家を跡継ぎに選んだ
そばには義時を補佐役に選んだ
そして、鎌倉殿を引退の意思を表示した
頼朝さん、マラソンで言えば、35kmを越えたのか
最期の仕上げに入りました
思ったより、潔いですね
まだまだ、粘るかと思いましたが
義時はたしかに、頼朝に信頼されて来ているのが
外野の私から見てもよく分かる
でも、やはり「源氏」というブランド下でないことが…
相模川の橋の追善供養という行事があり、
鎌倉の皆が集まって酒宴で盛り上がっていた
そこで食べた縁起物のお餅が頼朝ののどに詰まった
あわや、というところだったが義時が背中を強くたたき事なきを得た
これにはびっくりしました
そのあと頼朝は御所に先に帰ることにして、
側近の安達盛長に馬の綱を引かせ山道を帰って行った
(そう言えば、安達盛長さんも義時とは違う方向から信頼は大きいですね)
その時、頼朝はクラッときて(鞍に問題は無かったですが)
落馬した
「落馬」
これは重要なキーワードらしいですが、どうなるのでしょうか
天が望んだ男なら…
第24回 変わらぬ人
誰が変わらぬ人なのか
ドラマをテレビで一回見ましたが分かりませんでした
集中してドラマの中に分け入ってみます
前回は巻き狩りの中、
曽我十郎五郎の「敵討ちと見せかけた頼朝への謀反」
頼朝への謀反を目前にした周囲の者の動きは?
当然ですけれども
御家人が信用できず、身内に任せたら
その身内も敵となった、と頼朝は思っている
政子の言うように、何かに怯えている
猜疑心も膨らむ一方で、義経に続き弟の「源範頼」をも討つことを命じた
頼朝にお詫びするために、範頼は起請文を書いた
周りから、けし掛けられたりもしたが、それは言わずに
すべて自分一人のことと言う
責任感の強い人ですね
それに頼朝や大江広元を前にして
可愛そうなくらい悲痛な面持ちで、優しい人だなあと思いました
頼朝を蹴落とそうとしたのじゃない
頼朝が亡くなったと聞かされ、鎌倉殿を引き継がなければと
兄の興した鎌倉殿を守るという責任感からではないですか
頼朝に、この人の献身的な心根も何も通じない
頼朝に腹が立ちます
義時や政子も懇願するが、効く耳持たない頼朝
かつての頼朝の乳母である比企尼も来て、範頼を許すように言う
それで何とか修善寺に幽閉の処分となった
しかし、それも束の間、都への対応が上手くいかなくて頼朝は
範頼が呪っている言うのだ
そんなこと、根も葉もないことでしょ
頼朝は、もう普通ではない、狂っているのか
誰も信じられず怯えて殺してしまうばかり
範頼は、梶原景時の手の者に殺害されてしまった、またも、善次だ
範頼が刺された時の表情が忘れられません
怒りは見えなかった、ただただ、悲しみの顔で逝ってしまった
頼朝を慕い、助けになろうとやって来た弟なのに
またもや、この仕打ちですか
以前、義経が畑仕事に勤しみ楽しそうにしていた
範頼も村人と修善寺で楽しそうに畑仕事をしていた
そして、この時の笑顔が最期の笑顔だった…
大姫は、木曽源氏の義高(いいなずけ)が未だ忘れられない中
やっと決心した入内も叶わず、父の怒りを買い
床に伏し、二十歳の若さで亡くなってしまった
すると頼朝はすぐに、次女の三幡を入内させるという
大姫を亡くしたばかりですよ!
政子にも成すすべは無かったのか
これでも、頼朝の心は変わらないのか…
征服、名誉、こんなもの…
鎌倉殿の13人
(21回~23回)
しばらく私、鎌倉から目を反らしてしまいました
先日のブログで書きましたような事で
何かにつけ、やる気が失せています
呆けてきたのか…
気合をいれないといけません
近所で公共のスポーツ施設の建設に加え、新道路の敷設で
砂埃の舞う日が多く、窓や扉がざらざらです
まだしばらく続くようですが、今すでにこの辺りの道路の風景が変わりました
鎌倉殿の13人も、様子が変わってしまいましたね
金剛君と万寿君が大きくなって
無邪気な金剛、プレッシャーにさいなまれていそうな万寿
愛情たっぷり受けて、のびのびと育ってほしいですね
義時さん、辛いですね
まさか、八重さんがこんなに早く亡くなられるとは思いもよりませんでした
身寄りのない子を見ていて、相当疲れが出ていたのでしょうか
三浦善村さん、鶴丸助けながらも、
八重さんにちょっと気を向けてくれていたならと残念です
苦労苦労の生涯でしたね、八重さん
頼朝に受け入れられなかった
源九郎義経
簡単に、冷ややかに言うならば
義経はあの多才さや過激な行動ゆえ、兄から
”出る杭は打たれる”
結果になったのかもしれません、可哀そうに…
まっすぐに、兄のために一生懸命だったのに
義経を恋い慕った静はどこへ行ってしまったのか
頼朝は肉親を亡き者にまでして天下が取りたい征服欲?
時政は遠い親戚の曽我十郎と五郎という御家人を抱えていた
時政は親の敵討ちの相談を十郎五郎から持ち掛けられた
時政には言わなかったが、その裏にはさらに大きな企てがあった
比企能員には打ち明けた
親の敵討ちを隠れ蓑に、頼朝を討つという謀反を考えていた
頼朝の今までの仕打ちがこうさせたのか
頼朝、冷酷ですからね~
曽我兄弟の企ては上手くは行かなかった
義時は頼朝を守ることに必死だった
謀反が起きたと世間に知れたなら鎌倉が揺らぐ
時政も関係していたから、どんな処罰が与えられるか
この非常時を義時は見事に切り抜けた
「敵討ちを装った謀反ではなく
謀反を装った敵討ち」
そう裁き、生き残っていた五郎に死罪を命じた
義時、上手く切り抜け頼朝の信頼を失うことはなかったようだ
と同時に、もう一切頼朝に抗うことは出来ないと心に決めたように思う
義時は、やはり天が頼朝を守っていると思ったが
本人の頼朝は今までの様に、天の導きを感じなかったというのだ
わしが成すべきことは、この世に残っていないのか…
と言った
そう言えば、義経も似たような状態でした
平家を倒したあと、これから何をしたらよいのか…
そんな風に落胆していましたね
弟の源範頼もどうなるやら
源氏が次第に居なくなっていきます
邪馬台国か大和国かちょっと分かりませんが、
日の本の起きたときからずっとなのですね
曽我兄弟の謀反をきっかけに、
比企も、範頼も、実衣も誰もかれも
鎌倉殿のあとをしたたかに探っているような
そんな中で、梶原景時は一番怪しそうなのに、一番分かりません
第20回 帰ってきた義経
文治元年三月
義経は檀ノ浦の戦いで源氏に勝利をもたらした
でも、頼朝とのわだかまりは大きくなるばかり
勝利の凱旋は成りませんでした
ただただお兄ちゃんの喜ぶ顔を見たいという希望もかなわず
文治三年三月
義経は鎌倉を捨て、藤原秀衡を頼って平泉に来た
おまえは日の本一の英雄になった
平家を倒したのは、おまえだ
ようやった
秀衡は温かく迎え入れてくれたようですね
かつて秀衡にも、鎌倉を倒し天下取りの願望があったようですが
やはり、世代交代が見えて来た
そして、秀衡の死
秀衡役の俳優の田中泯さんは前衛派ダンサーですが
白い着物で庭に降りた時の動きは、もう
お得意のダンスに見えました
指の先までダンスしてました
義経を庇護してくれる人が亡くなり、義経の命が危うくなってきた
文治五年四月
義時は平泉に行かせてほしいと頼朝に願い出た
なんで行くかなあ~
義経に以前、平泉に行くことが火種になると言ったが
今度は義時が平泉に行くことこそ火種になりますよ
「自らの手は汚さず、義経の首を取るように」
と、頼朝は義時に言った
「あくどいよの~」と、自ら言った
分かってたらやめて下さい
義時と共に、あの善次も行くとは、殺人請負人ですよ
義時は義経の鎌倉に対する心を探ろうとする
田畑を耕し、妻と娘と睦まじく暮らしている義経
「平家を倒した私は、今はこおろぎと戦っている
日々田畑に立って仕事に勤しんでいる」と言った
畑の作物がこおろぎに食べられて困っているそうで(^-^;
だが、
「平泉に手を出してみろ、決して許さない
その時は、鎌倉が灰になるまで打ちのめしてやる」
そう言った義経の目は、平家と戦ったあの時の鋭いまなざしだった
頼朝兄さん、恨まれてる、そりゃそうです
頼朝もですが、義時の様子が変わって来ましたね
目つきが変わって来たし
静ちゃんのこと言ったりして、どういうつもりか知ってますけど
こういう風に、人は変わっていくということでしょうか
義時さん、変わった
その静は鎌倉側に捕われている
”しづやしづしづのおだまきくり返し昔を今になすよしもがな”
白拍子の舞は見事で
「静御前でございます」
と名乗ってしまったから、もう絶体絶命
産んだ男の子は葬られてしまった
そして、静は鎌倉を去り行方知れずになってしまった
義経伝説のように、静のその後の伝説もあるようですが、知らないです
悲恋ですね
”吉野山峰の白雪踏み分けて入りにし人のあとぞ恋しき”
義時は義経に、けし掛け、泰衡や国衡を欺き
もう、藤原氏は後に引けなくなってしまった
義経、武蔵坊弁慶の居る衣川の館に泰衡勢は攻め入った
この時なのですね、弁慶が自分の身を盾にして義経を守った
”弁慶の立ち往生”
頼朝が、鎌倉に届いた義経の首印を前に号泣の場面で
第20回は終わりましたが
どの場面も判官贔屓の涙を誘う場面でした
と同時に、やはり義経は北へ逃げおおせた!
と思わせる余韻を、三谷幸喜さんは演出されたと思います
源義経はこれから先も悲哀のつわものとして、語られるのでしょうね