kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

鎌倉殿の13人

2022-07-27 10:02:14 | 鎌倉殿の13人

第27回 鎌倉殿と13人

鎌倉殿「と」です「の」ではない
どういうことかな~

頼朝の突然の死
嫡男の頼家が二代目鎌倉殿に就任しました
政子と義時から、
あの因縁のおじい様のどくろを託され
覚悟を決めてねと念を押されました

そして、鎌倉殿として初めての
所信表明です
ずらりと並んだ御家人を前に
「私は父、頼朝の成し遂げたこと、
成し遂げられなかったことを引継ぐ
その上で父を超える!

自信ありますね
すると、比企能員と北条時政が
何やらもめ出した
取り決めの時は自分を通すようにと各々言う
何でも首を突っ込みたいのですね~

頼家が、ビシッと決めた、弁舌巧みです
「名ではなく力の有るものを登用する
はあ~実力主義ですね、頼家君


早速外部から事件を告げる書状が来ました
京より、
土御門通親暗殺計画発覚」
源頼朝の縁戚の一条家と縁のある御家人が捕らえられたという
上皇からは鎌倉が処罰せよ、とのお達し
文覚が関わってると義時からアドバイスを受けた頼家は
お裁きを上皇に丸投げした!
ヘエー!

結構、はっきりしてます、頼家君
それから、蹴鞠のトレーニングが始まった
頼家プロデュースでしょうか、
イケメンニューフェイスの6人

頼家の側近となった若き御家人が始めました
上洛を見越し朝廷との交渉に役立つからと

日本のバブル期、サラリーマンの必須課目「接待ゴルフ」の元祖かな蹴鞠は

さて次は、山積みの訴状が問題
今までの文官四名に粗方まとめてもらい、
頼家に提出、
彼の気を悪くしないよう
「最後のお裁きを~m(_ _)m」
と奉る
何だかね~

また、問題が起きた
比企能員VS北条時政の数取り合戦
今も昔も政は数、なのですね
シーソーゲームは取りあえず
止まりました
文官 4名
北条 4名
比企 3名
梶原 1名
そして尼御台政子の、推しです

「十三人目は、あなたです」

江間義時参入決定

頼家は自分が信頼されてないからこの人数になった
と、ご立腹だが、それだけで引く頼家ではなくなっていた

「私は騙されない
はなから信じてはおらぬ

紹介したき者達がいる
信じられるのは奴らだけよ」

頼家は若き六人衆を十三人衆に
紹介した

小笠原弥太郎
比企三郎
比企弥四郎
中野五郎
江間太郎(金剛)
北条五郎(時連)

「これより私の政はこの者達と行う
十三人とも切磋琢磨して
新しい鎌倉を築こうではないか」

生まれたばかりの鎌倉殿と十三人の間には壁がある

いつか、鎌倉殿の十三人と言える絆が生まれるといいですね


追伸: 幼い頃から頼家を見てるから
どんな気性か分かってる
と、義時の妻の比奈が言った

困った時ほど、助けてくれと
言えない性分なんですよ
木に登って降りられなくても
助けてくれと、言わなかった

あ~、しんどい性格かも
長男長女にありがち
違ってたらごめんなさいm(_ _)m



コメント

記事を消してしまいました

2022-07-11 15:37:14 | 鎌倉殿の13人

鎌倉殿の13人の第26回の記事を
どうやら消してしまいました

あれこれ見ようと、
コメントを確か一件頂いてたはずなので
返信させて貰おうと思って
分からぬまま記事を削除したようです
スマホでのブログの操作がよくわからないのです
下書き保存しますか?
これが繰り返し出るので、その時消す操作をしてしまったみたいです
コメントを下さったしまそだちさん、
申し訳ありません
ここでのコメント欄に返事書かせて貰います、ご免なさい


コメント (2)

鎌倉殿の13人 第26回 悲しむ前に

2022-07-10 12:00:00 | 鎌倉殿の13人

( 悲しむ前に)


頼朝が亡くなりましたね
安倍晋三氏も、、、

このお二人が、かぶってしまいます
それぞれの世界で頂点に立った方


頼朝についていたのはあの時は安達盛長ひとり
安倍氏の後方の防備が見えなかったが

八百年以上の時が流れても…



悲しむ前に

近しい者が亡くなれば、ほんとに悲しむ間もなく
すべきことが押し寄せます
どなたも経験されていることかと
そして、少し落ち着いた頃に感情があふれてきます
時が変わっても、人の心は同じのような


頼朝の落馬をその場で見た安達盛長さんの憔悴しきった面持ちに、
ああ、この方は主君頼朝に心から尽くされた、
と、思いました

そんな心とは裏腹に、御家人達、
後継のことで頭がいっぱい
派閥を持つ方々も、これが脳裏に浮かぶ…

葬儀も粗かた済んだ頃、
義時の危惧していたことがほんとになり
比企能員と北条時政の対立が露わになった
それぞれ源頼家、 阿野全成を鎌倉殿の座にと簡単には引かない

そこで義時は
「あとは御台所のお裁きに委ねるしかない

と御家人達の前で言った
そして政子に、言った

「これからは姉上のご沙汰で
事が動くことも多々ありましょう
そういうお立場になられたのです」

これが、後の尼将軍北条政子へと歩み出した瞬間だったのか

もちろん、今までに
あ~、尼将軍光線が出てる!
やっぱり女帝やわ~
と、何度も思いました


母、政子の願いを聞いた頼家は
二代目鎌倉殿になる決意を固め
御所にて宣言した

「我らは偉大なる前の右近衛大将、
征夷大将軍の死を乗り越え前へ進むのだ!」


火葬も終わった頃、寂しげな父義時に
嫡男の頼時が言った
頼朝は落馬する前に馬上で気を失ったと、
肩の傷から推測出来ると
義時は少しほっとした顔になった

武士が簡単に落馬するということはとても不名誉なこととされていたのですね


義時はこの言葉で決断したのか
鎌倉を去り、
伊豆に退くことを決めた

政子は強く引き留めたが…


最近は富みに「死」を思います

近しい者の死は、ほんとに悲しい…


(パソコンのインターネットが繋がらず、スマホで書きましたが、全貌が分かりにくく、常以上にへんてこりんになっていると思います
乱文、乱れ打ち、お許しください)

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鎌倉殿の13人 第25回 天が望んだ男

2022-07-03 14:17:35 | 鎌倉殿の13人

 

第25回 天が望んだ男

 

頼朝の人生のピークも越えてしまったのでしょうか

 

体は弱って、毎晩嫌な夢にうなされるという

言うこと成すこと、切羽詰まってることを露呈させてますね、頼朝さん

以前の様に、何があろうと天が見放さないと

人から言われ、自分でも豪語していたことは

今はもうない

 

すがるように全成に相談した

全成は、更に更にと占いの答えを求められるもので

色の選択、人と会う事、

仏事神事を欠かさぬよう、赤ちゃんの扱い、方位の選択

 

途中からは、どうやら口から出まかせで自分の都合のいいことを言っている

 

頼朝は、自分亡きあとのことを方々に命じ出している

嫡男に後を継がせたいと言うのは、当然だと思う

北条の腹のうちも、信じられなくなったのか

義時に信じていいのかと、聞きただす

義時と頼朝は、御家人の誰よりも信頼でつながってここまで来たはず

 

これから百年二百年と、帝を守り武家の頭領として

世に君臨させたいと

嫡男の頼家を跡継ぎに選んだ

そばには義時を補佐役に選んだ

そして、鎌倉殿を引退の意思を表示した

頼朝さん、マラソンで言えば、35kmを越えたのか

最期の仕上げに入りました

 

思ったより、潔いですね

まだまだ、粘るかと思いましたが

義時はたしかに、頼朝に信頼されて来ているのが

外野の私から見てもよく分かる

でも、やはり「源氏」というブランド下でないことが…

 

相模川の橋の追善供養という行事があり、

鎌倉の皆が集まって酒宴で盛り上がっていた

そこで食べた縁起物のお餅が頼朝ののどに詰まった

あわや、というところだったが義時が背中を強くたたき事なきを得た

これにはびっくりしました 

 

そのあと頼朝は御所に先に帰ることにして、

側近の安達盛長に馬の綱を引かせ山道を帰って行った

(そう言えば、安達盛長さんも義時とは違う方向から信頼は大きいですね)

 

その時、頼朝はクラッときて(鞍に問題は無かったですが)

落馬した

 

「落馬」

これは重要なキーワードらしいですが、どうなるのでしょうか

 

天が望んだ男なら…

 

 

 

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鎌倉殿の13人 第24回 変わらぬ人

2022-06-26 13:43:48 | 鎌倉殿の13人

 

第24回  変わらぬ人

 

誰が変わらぬ人なのか

ドラマをテレビで一回見ましたが分かりませんでした

集中してドラマの中に分け入ってみます

 

前回は巻き狩りの中、

曽我十郎五郎の「敵討ちと見せかけた頼朝への謀反」

 

頼朝への謀反を目前にした周囲の者の動きは?

 

当然ですけれども

御家人が信用できず、身内に任せたら

その身内も敵となった、と頼朝は思っている

政子の言うように、何かに怯えている

猜疑心も膨らむ一方で、義経に続き弟の「源範頼」をも討つことを命じた

 

頼朝にお詫びするために、範頼は起請文を書いた

周りから、けし掛けられたりもしたが、それは言わずに

すべて自分一人のことと言う

責任感の強い人ですね

 

それに頼朝や大江広元を前にして

可愛そうなくらい悲痛な面持ちで、優しい人だなあと思いました

頼朝を蹴落とそうとしたのじゃない

頼朝が亡くなったと聞かされ、鎌倉殿を引き継がなければと

兄の興した鎌倉殿を守るという責任感からではないですか

 

頼朝に、この人の献身的な心根も何も通じない

頼朝に腹が立ちます

 

義時や政子も懇願するが、効く耳持たない頼朝

かつての頼朝の乳母である比企尼も来て、範頼を許すように言う

それで何とか修善寺に幽閉の処分となった

しかし、それも束の間、都への対応が上手くいかなくて頼朝は

範頼が呪っている言うのだ

そんなこと、根も葉もないことでしょ

頼朝は、もう普通ではない、狂っているのか

誰も信じられず怯えて殺してしまうばかり

範頼は、梶原景時の手の者に殺害されてしまった、またも、善次だ

 

範頼が刺された時の表情が忘れられません

怒りは見えなかった、ただただ、悲しみの顔で逝ってしまった

頼朝を慕い、助けになろうとやって来た弟なのに

またもや、この仕打ちですか

 

以前、義経が畑仕事に勤しみ楽しそうにしていた

範頼も村人と修善寺で楽しそうに畑仕事をしていた

そして、この時の笑顔が最期の笑顔だった…

 

 

大姫は、木曽源氏の義高(いいなずけ)が未だ忘れられない中

やっと決心した入内も叶わず、父の怒りを買い

床に伏し、二十歳の若さで亡くなってしまった

すると頼朝はすぐに、次女の三幡を入内させるという

大姫を亡くしたばかりですよ!

政子にも成すすべは無かったのか

 

これでも、頼朝の心は変わらないのか…

 

征服、名誉、こんなもの…

 

 

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鎌倉殿の13人 

2022-06-19 17:23:07 | 鎌倉殿の13人

 

鎌倉殿の13人 

(21回~23回)

 

しばらく私、鎌倉から目を反らしてしまいました

先日のブログで書きましたような事で

何かにつけ、やる気が失せています

呆けてきたのか…

気合をいれないといけません

 

近所で公共のスポーツ施設の建設に加え、新道路の敷設で

砂埃の舞う日が多く、窓や扉がざらざらです

まだしばらく続くようですが、今すでにこの辺りの道路の風景が変わりました

 

鎌倉殿の13人も、様子が変わってしまいましたね

金剛君と万寿君が大きくなって

無邪気な金剛、プレッシャーにさいなまれていそうな万寿

愛情たっぷり受けて、のびのびと育ってほしいですね

 

義時さん、辛いですね

まさか、八重さんがこんなに早く亡くなられるとは思いもよりませんでした

身寄りのない子を見ていて、相当疲れが出ていたのでしょうか

三浦善村さん、鶴丸助けながらも、

八重さんにちょっと気を向けてくれていたならと残念です

苦労苦労の生涯でしたね、八重さん

 

頼朝に受け入れられなかった

源九郎義経

簡単に、冷ややかに言うならば

義経はあの多才さや過激な行動ゆえ、兄から

”出る杭は打たれる”

結果になったのかもしれません、可哀そうに…

まっすぐに、兄のために一生懸命だったのに

義経を恋い慕った静はどこへ行ってしまったのか

 

頼朝は肉親を亡き者にまでして天下が取りたい征服欲?

 

 

 

時政は遠い親戚の曽我十郎と五郎という御家人を抱えていた

時政は親の敵討ちの相談を十郎五郎から持ち掛けられた

時政には言わなかったが、その裏にはさらに大きな企てがあった

比企能員には打ち明けた

親の敵討ちを隠れ蓑に、頼朝を討つという謀反を考えていた

頼朝の今までの仕打ちがこうさせたのか

頼朝、冷酷ですからね~

 

曽我兄弟の企ては上手くは行かなかった

義時は頼朝を守ることに必死だった

謀反が起きたと世間に知れたなら鎌倉が揺らぐ

時政も関係していたから、どんな処罰が与えられるか

この非常時を義時は見事に切り抜けた

 

「敵討ちを装った謀反ではなく

謀反を装った敵討ち」

 

そう裁き、生き残っていた五郎に死罪を命じた

 

義時、上手く切り抜け頼朝の信頼を失うことはなかったようだ

と同時に、もう一切頼朝に抗うことは出来ないと心に決めたように思う

 

義時は、やはり天が頼朝を守っていると思ったが

本人の頼朝は今までの様に、天の導きを感じなかったというのだ

わしが成すべきことは、この世に残っていないのか…

と言った

 

そう言えば、義経も似たような状態でした

平家を倒したあと、これから何をしたらよいのか…

そんな風に落胆していましたね

 

弟の源範頼もどうなるやら

源氏が次第に居なくなっていきます

 

邪馬台国か大和国かちょっと分かりませんが、

日の本の起きたときからずっとなのですね

 

曽我兄弟の謀反をきっかけに、

比企も、範頼も、実衣も誰もかれも

鎌倉殿のあとをしたたかに探っているような

 

そんな中で、梶原景時は一番怪しそうなのに、一番分かりません

 

 

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鎌倉殿の13人 第20回 帰ってきた義経

2022-05-29 00:47:42 | 鎌倉殿の13人

 

第20回 帰ってきた義経

 

文治元年三月 

義経は檀ノ浦の戦いで源氏に勝利をもたらした

 

でも、頼朝とのわだかまりは大きくなるばかり

勝利の凱旋は成りませんでした

ただただお兄ちゃんの喜ぶ顔を見たいという希望もかなわず

 

 

文治三年三月

 

義経は鎌倉を捨て、藤原秀衡を頼って平泉に来た

 

おまえは日の本一の英雄になった

平家を倒したのは、おまえだ

ようやった

 

秀衡は温かく迎え入れてくれたようですね

かつて秀衡にも、鎌倉を倒し天下取りの願望があったようですが

やはり、世代交代が見えて来た

 

そして、秀衡の死

 

秀衡役の俳優の田中泯さんは前衛派ダンサーですが

白い着物で庭に降りた時の動きは、もう

お得意のダンスに見えました

指の先までダンスしてました

 

義経を庇護してくれる人が亡くなり、義経の命が危うくなってきた

 

文治五年四月

 

義時は平泉に行かせてほしいと頼朝に願い出た

なんで行くかなあ~

義経に以前、平泉に行くことが火種になると言ったが

今度は義時が平泉に行くことこそ火種になりますよ

 

「自らの手は汚さず、義経の首を取るように」

と、頼朝は義時に言った

「あくどいよの~」と、自ら言った

分かってたらやめて下さい

 

義時と共に、あの善次も行くとは、殺人請負人ですよ

 

義時は義経の鎌倉に対する心を探ろうとする

田畑を耕し、妻と娘と睦まじく暮らしている義経

 

「平家を倒した私は、今はこおろぎと戦っている

日々田畑に立って仕事に勤しんでいる」と言った

畑の作物がこおろぎに食べられて困っているそうで(^-^;

だが、

「平泉に手を出してみろ、決して許さない

その時は、鎌倉が灰になるまで打ちのめしてやる」

 

そう言った義経の目は、平家と戦ったあの時の鋭いまなざしだった

 

頼朝兄さん、恨まれてる、そりゃそうです

 

頼朝もですが、義時の様子が変わって来ましたね

目つきが変わって来たし

静ちゃんのこと言ったりして、どういうつもりか知ってますけど

こういう風に、人は変わっていくということでしょうか

義時さん、変わった

 

その静は鎌倉側に捕われている

 

”しづやしづしづのおだまきくり返し昔を今になすよしもがな”

 

白拍子の舞は見事で

「静御前でございます」

と名乗ってしまったから、もう絶体絶命

産んだ男の子は葬られてしまった

 

そして、静は鎌倉を去り行方知れずになってしまった

義経伝説のように、静のその後の伝説もあるようですが、知らないです

悲恋ですね

 

”吉野山峰の白雪踏み分けて入りにし人のあとぞ恋しき”

 

義時は義経に、けし掛け、泰衡や国衡を欺き

もう、藤原氏は後に引けなくなってしまった

義経、武蔵坊弁慶の居る衣川の館に泰衡勢は攻め入った

 

この時なのですね、弁慶が自分の身を盾にして義経を守った

”弁慶の立ち往生”

 

 

頼朝が、鎌倉に届いた義経の首印を前に号泣の場面で

第20回は終わりましたが

どの場面も判官贔屓の涙を誘う場面でした

 

と同時に、やはり義経は北へ逃げおおせた!

と思わせる余韻を、三谷幸喜さんは演出されたと思います

 

源義経はこれから先も悲哀のつわものとして、語られるのでしょうね

 

 

 

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鎌倉殿の13人 第19回 果たせぬ凱旋

2022-05-21 16:09:17 | 鎌倉殿の13人
  1.  
 
第19回 果たせぬ凱旋
 
 
 
 
”互いを認めつつ 信じられない兄弟がいる
 
政治の頼朝 戦の義経
 
ふたりの天才が 手を取り合うことを
 
後白河法皇は 許さない”
 
語り 長澤まさみさん
 
 
 
 
安徳天皇と三種の神器の刀は深い海に消え、現れることはなかった
 
まだ海の中を探している者もいるという
 
 
 
鎌倉殿の側近たちは、何とか義経を鎌倉へ戻したいと策を練っていた
 
大江広元が思い付いたのが
 
義経を「受領」にしてもらうよう後白河法皇に願い出る、ということ
 
受領になれば検非違使と兼任できないので検非違使から外れ
 
鎌倉に帰って来れる
 
 
 
 
上手くいった!
 
 
と、思いきや法皇は検非違使&受領を兼任させる
 
そう来ましたか
 
法皇は何としても義経を京都に置いておきたいようです
 
なんで、そんなに?
 
朝廷のことに詳しい三善康信が鎌倉に来ていて
 
それを聞き、こんな裏話をしました
 
 
『法皇様は大きな力が生まれると、それにあらがう力を作ろうとなさる
 
鎌倉殿と九郎殿の仲が上手くいかないことを望んでおられる節があります』
 
 
さすが法皇のそばにいる人でないと言えない事です
 
 
法皇は死んだふりしてまで、義経引き留め作戦に出るし
 
源行家が出なくてもいいのにまた出て来て
 
不安をあおることばっかり言うし
 
これでは、義経も頼朝も惑わされますよ~毎週TVを見てるこちらも~((+_+))
 
気持ちが行ったり来たり、何を信じていいのやら予測不能です
 
 
法皇が 【頼朝追討】 の宣旨を出した
 
 
それを聞いた頼朝は、全軍で京を攻めると決断した
 
で、またここで思わぬことが
 
義経が失踪した、兵が集まらなかったからだ
 
で、次は法皇が 【義経追討】 の宣旨
 
裏返って裏返って裏返って
 
なんとまあ
 
畿内、西国諸国を頼朝が統治することを法皇に認めさせた
 
また義時は法皇にきっぱりと言った
 
『されど我が主は疑うております
 
法皇様は日本一の大天狗、お言葉を信じていいものかと』
 
 
すごい勇気の義時 でも首が飛ばなくてよかったです
 
 
 
義時と父時政が義経を探すために来ていた京の宿に
 
失踪していた義経が突如現れた
 
 
鎧兜も着けていない、薄汚れた蓑をまとった姿だった
 
『兄上とのことは、今から何とかならぬか』
 
問いかけられた義時は、法皇から義経追討の宣旨がなされたと告げる
 
義経は、もう何もかも終わったと思ったようだ
 
呆然としていた
 
 
 
『私の何がいけなかったのか』
 
 
 
義時が、義経に言った
 
『人をお信じになり過ぎるのです』
 
父時政は
 
『経験もないのに自信も無かったら何も出来んと、あなたは仰った
 
自信をつけるには何がいるか
 
経験でござる、まだまだこれからじゃ』
 
と励ますように言ったが…
 
 
 
 
『私は御台所の膝の温かさを忘れない』
 
 
 
『さらばじゃ』
 
 
 
こんな寂しいそうな顔…
 
この場面は辛くなります、泣きそう
 
 
奥州に行けば火種が生ずると義時に言われても奥州に行くのですよね
 
そばに家族のいない寂しい少年時代を平泉で過ごしたけれど、
 
藤原秀衡は可愛がってくれたのだと思います
 
 
 
頼朝軍を敵に回し勝ち目はあるのか、と義経を気に掛ける藤原秀衡
 
 
『早まったな…、九郎』
 
 
義経はいい思い出があるから戻りたいと思ったのでしょうね、平泉へ
 
 
 
歴史を変えることが出来るなら
 
誰も知らないところに行って、戦を知らない戦は出来ない若者になって
 
無邪気に暮らしてほしい
 
 
恐らく近々、義経の最期を見なければならない…
 
 
 
 
子供の頃、鞍馬ではどの様に暮らしていたのだろう
 
厳しかったでしょうね
 
 
 
京都の貴船から鞍馬へ抜ける道がありまして
 
貴船から鞍馬へ、或いはその逆を取り、歩いたことがあります
 
2~3回、或いはもう何度か行った気がします
 
太い木の根のむき出しの道を行くのですが
 
牛若丸はこの木の根を飛び越えたり、高い枝を飛び移ったりしてたのか…
 
天狗さんに習ったというが、誰やったんかなあ~
 
などと思いつつ登ったり下ったりしました
 
静かな山道ですから、淋しい道です
 
若い時に行ってるので、しんどかったという思いは残ってないのですが
 
今ならとてもとても、無理です
 
 
途中に、与謝野晶子さんの庵があったと思います
 
木造平屋の簡素なものだったと覚えていますが、今もあるでしょうか
 
与謝野晶子さんは、あの庵で義経を思われたこともあるでしょうね
 
 
 
貴船はシャガの花が沢山咲きますが、もうその時期は終わったかも
 
義経の場面を見て、なんだかうら悲しくなりました
 
 
 
 
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鎌倉殿の13人 第18回 壇ノ浦で舞った男

2022-05-15 17:52:14 | 鎌倉殿の13人

第18回  檀ノ浦で舞った男



頼朝は少しでも火種になりそうなことは

ことごとく消してしまいたいようで

信濃源氏の義仲、義高を討ち取り、

甲斐源氏の武田信義を抑え込み、その嫡男は殺された

次の標的は



源範頼、義経は、瀬戸内方面に進軍した

範頼は義時と共に周防まで進軍

義経は暴風雨のため摂津で足止め

辛抱できない義経は反対を押し切り、悪天候の中進軍していった


瀬戸内海は穏やかな気候の所と聞きますが

この時は荒れたのですね

鳴門の渦潮など海流も過酷な条件のひとつだったでしょう



文治元年(1185)3月


義経率いる軍は、檀ノ浦へやって来ました


義経は、厳しい戦いでの勝利をもぎ取りましたが

やってはいけない事をしていました

漕ぎ手や舵取りを討つのは戦の作法に反する

味方の諫めるのも聞かず、味方にもそれを強いるなど

これは、あかんやろ~

平家軍の舟から舟へと飛び移る、「八艘飛び」





これはかっこよかった、と言えばひんしゅくを買いますが

見事でした





海に慣れ、さらに地の利も大きい平家を滅ぼしてしまいました


檀ノ浦の戦、もの知らずの私もこれは心に残っています








二位尼は死を決意して、幼い安徳天皇を抱き寄せた

安徳天皇が「どこへ連れてゆくの」と仰ぎ見れば、
二位尼は
「弥陀の浄土へ参りましょう波の下にも都がございますよ」
と答えて、ともに海に身を投じた


総帥宗盛も嫡男の清宗と入水するが
命を惜しんで浮かび上がり水練が達者なために
泳ぎ回っていたところを義経軍に捕らえられた


小泉孝太郎さん演ずる平宗盛は総帥なのですね
そして、こういう事で、源氏の陣に連れてこられたのですね 


この戦いにより、平氏(伊勢平氏の平清盛一族)は

25年にわたる平氏政権の幕を閉じた







三種の神器の刀も安徳天皇も

海の底へと消えた

戦は一時止まり、源氏平氏共に手を合わせた


義経には想定外の結果だった

「この先私は誰と戦えばよいのか
私は戦場でしか役に立たぬ」

遠くを見つめ、何を思っていたのだろう


梶原景時曰く

神がかった強さを持つ
才走る
人の情をないがしろにする
勝つためには手段は選らばぬ

そういう気性だったんですね…

そう言えば、義経は鎌倉へ帰れない

兄の喜ぶ顔見たさに、ここまで戦ってきたのに

検非違使に任命されたということは京を離れてはいけない

えらいこっちゃです(>_<)

そんな時、捉えていた平宗盛を鎌倉へ送る役目を受けた

が途中、

頼朝からは鎌倉へ義経を入れるな、という命令が下った

ああ、お兄さんはもう…

義高を許したように、許してくれないのでしょうか

助け船がでないのでしょうか

その時、平宗盛が義経のために嘆願の文を書いてしんぜようか?

よかった!渡りに船ではないですか

でも、その文は義経の自筆ではない、と見破り

余計にこじれたようだ

義経は、もう見放されたと悟った

そして、法皇第一に仕える

「源九郎判官義経」と名乗り京で生きることにする

と、決心したのですが…


初めて兄に会った時、
嬉しさのあまり号泣していた義経だったのですが…












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鎌倉殿の13人 第17回 助命と宿命

2022-05-05 18:30:17 | 鎌倉殿の13人

第17回  助命と宿命


義仲の陣を離れた巴御前ですが

頼朝軍に捕まり、鎌倉に連れてこられてしまった




巴御前に関する資料は少ないらしのですが

巴はとにかく武人としての才能が高かったようですね

その上、容姿端麗

義仲の幼なじみで武芸の稽古相手になったり

便女(びんじょ)として彼の配下となったとか

ただ、義仲との離別の場面はどの物語にも描かれているそうです

戦場で追い詰められ、

義仲は共に討ち死したいと言う巴に対し

生き延びるようにと説得し、逃した

巴が草深い道をふらふらと歩いて行きましたね




義仲よりの文を義時に渡す場面


義仲は義経、範頼の兄弟軍に討たれた

更に頼朝は人質の義高を討つつもりだ


「義時よ、三日やろう  義高を討て」

義時がその任務を課せられた、宿命と悟った

頼朝に逆らえば北条は生き抜くことは出来ない


だが姉の政子は違う、何が何でも義高を助けたい

そこで伊豆山権現に隠すことを考える

義高は巴から受け取った義仲の文から父の思いを知り

いちどは伊豆山権現に行くことに納得したのだがやはり

義高は

「私は鎌倉殿を決して許さない」

なんと義時をも信じないと言うのだ

そうなれば、結果は自ずと…

義高は信濃へ帰ろうとした

だが逃げ出すや否や、義高は討たれてしまった

大姫の命覚悟の願いに頼朝も屈し

「討つな」との命を出したのだが…

家人たちに伝わるのが遅かった


この時、政子のひと言が如何に大きな波紋となるか

御台所という立場がどれほどの力を持つか

前に亀さんの言った言葉

「自分が本当に鎌倉殿の妻として相応しいのか考えなさい」



鎌倉の人々は、誰を信じればいいのか分からなくなって

皆敵に見えて来ていたのかもしれない

鎌倉は海も島も、あんなに美しいのに



逃げ切れなかった源義高、冠者殿
ほんとに美しかったですね
目の保養が出来ましたよ、今生での5本の指に入る美形でした



大姫と無邪気に毬で遊ぶこともあった、12歳なのですよね






いよいよ我が身に危険が近づいてきたことを悟ったか






故郷の信濃で生きて行くと、文を残し逃亡




追手が来た




山の中を駆けるが…


源義高は鎌倉の常楽寺の木曽塚に眠っていると伝わります


それから、静御前が登場しましたね



白拍子の静御前

ちょっと挑発ぎみのような

義経には初恋かな、セカンドラブかな

史実を知らないので、このドラマわくわくします



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