kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

直虎が竜宮小僧になる時四十三

2017-11-04 18:18:51 | おんな城主直虎

 

 

第43回  恩賞の彼方に

 

 

長篠の戦いの時の留守居の働きは、家康認められ、

 

万千代と万福は常の小姓となりました

 

小姓の衣装

 

しかし、小姓の頭、酒井一門の小五郎のいじめは止まりません

 

とにかく仕事をくれない

 

これも、現代にもありますね

 

逆に、仕事は与えた事しかしない人、多くないですか?

 

 

小姓には様々な仕事はあるけれど、どれも入り込む余地はないと踏んだ万千代

 

身近なことから、し始めるものの、自分の仕事というものを持ちたかった

 

そこで、思いついたのが殿に薬を出す役目

 

積極的です

 

先日、殿に「ひめはぎ」を差し出したとき、養生に興味があると

 

聞いたことから、井伊の薬草を手に入れればいいと思いついたのでした

 

 

後に井伊から絵図を書いた報酬として受け取った薬草の数々

葛根、半夏、芍薬、姫萩、當犠・トウキ?などが見受けられます

 

 

この「ひめはぎ・姫萩」 薬草名が「遠志・おんじ」

 

「おんじ」といえばアルプスの少女ハイジの、おんじしか知らなかった…

 

イトヒメハギの根もしくは根皮を使うそうで、

薬効は 初心を呼び起こし志を遠くに持つといわれる薬草

激しい労働によるふさぎこみ、意気消沈したときに

この薬を配合した処方が用いられる

とか


なんか、おまじないの様な、そうでないような…?

ちょっとアブナイ薬のような…


でも、記憶のメカニズムに働きかける成分として薬になってるんですね、今

私も、飲もうか?


このひめはぎを持って、寝所に行った時、

ちょうど、戦の手柄改めの最中で、申告された手柄を書いた書状が散乱して、

それぞれの手柄の比較、取りまとめに殿は手を焼いている様でした

 

様子に驚いている万千代に、家康は言いました

 

『これは、大きな役目じゃ

報いるところに報いてやらねば、人は働いてくれん』

 

 

一緒にテレビを見ていた主人が、テレビに喋ってました


そうや!その通りや、偉い!

 

 

 

この時ぞ、パッと前に出るのは!

 

と万千代は判断しパッと前に出た訳ですね、ノブさん♪

 

一晩、明かして戦改めを効率よく、見える化(可視化) しました!

 

殿が、あやつは使えるぞ、なんて榊原康政さんに笑いながら言ってましたもんね

 

榊原さんも、酒井さんや本多さんに、我らとは違う道で殿のお心を

つかんでいくのやも知れぬ…って、しみじみしてましたしね

 

さて、次なるお役が万千代に命じられました

 

殿は、見える化する過程で、誰が何をしたか理解したであろう万千代に

 

処遇に対する岡崎の手ごたえを岡崎に出向き見て来てほしいと

 

大役ではないですか

 

今川に諏訪原城を与えるなど岡崎はあまり優遇されてないけど

 

信康は、徳川の後々のために今回は耐えるが、いずれ地味な働きの岡崎にも

 直に報いて下され、と言づけて快く万千代を帰したのでした

 

織田への配慮を忘れずしてくれたからこそ、戦への援軍があった

これは、家康もよくよく承知ですから、この次は良いご沙汰があるとは思うのですが…

 

 

岡崎の徳川信康、瀬名といい感じで対面し、万千代は浜松に帰って来ました 

 

この先、主従として年頃も釣り合いがとれていると信康と万千代の未来を

 

期待する家康でしたね

 

戦改めも上手く収まり、束の間の安らぎを皆が感じていた頃だったでしょうね

 

ただ、井伊谷は大変だったんですね

 

大雨で、山崩れが起き麓に危険が迫っていました

 

いち早く、危険に気付いたのが村の長である甚平衛

 

気付かせてくれたのは、竜宮小僧、久しぶり♪

 

 

ちりりり~ん

 

雨の中、甚平衛の家に小石を投げ入れ、山に注意を引かせていました

 

たくさんの木を伐った山が悲鳴を上げていたんですね

 

最近の災害も、やっぱり人災

 

自然をめった切りしているのですから

 

山崩れを止めるのに土砂止めを直虎は手配しました

 

傑山さん、昊天さん、と策を練りました

 

絵図は事の始終はあまりわかって無さそうだけど、万千代が書きました

この時は薬草が欲しかったからです

 

万千代は絵が上手だったとか

 井伊直弼も文化人ですから、血筋かもしれません

 

 

”巌石(ガンコク)に松を栽える”

 

の言葉もあると近藤を説き伏せ、井伊谷の山に松を植えはじめます

 

ごちゃごちゃと文句を言う村人は、甚平さんが一喝!

 

『武士であろうと百姓であろうと山は選んでくれん

山の前では、皆、ただの人じゃ』

 

 

 

 

この木が育つ頃にはこの辺りはどうなっておりますかの~

 

木を伐ったら植える」を習わしにしてほしい


そんな事を言いながら皆で植えた松に、直虎は

「甚平衛の松」

と名付けました


幾年かが経ち、松は育って行きましたが、甚平衛は

もう帰らぬ人となっていました


おいくつだったんでしょうね…


ところで、植林という事業、いったいいつ頃どこで始まったのかと気になりました


人工造林

これは、室町時代に始まっていました

 

戦乱の世に、鉄砲・刀剣・槍などの武器製造や、砦、城の建築に大量の木材が使われ、

森林は乱伐されました

 

増え続ける木材需要に何とか追いつこうと考えたのか?

森林の荒廃による河川の氾濫を防ごうと考えたのか?

両方?

 

室町時代、1469年に天竜の犬居町秋葉神社でのスギ、ヒノキの植林が

開始されたという記録があります

 

松とは書いてないですけど、時代といい今の静岡県辺りであることといい、

けっこう、ピンポイントですよ

 

戦の激しいところが、そうなったという事でしょうか

 

あの井伊谷で栽培した「綿」も

陣幕、鉄砲、兵の衣服と木綿はどんどん戦のために費やされ

民には高級品で、手に入らなかったのですから

 

戦が憎い!

 

 

この様な光景を見ない日が来るのだろうか…

 

傑山と直虎は、死者のためにお経を

 

 

 

日本の歴史で戦国時代と呼ばれる時代に生まれたおふたりには

途方もなく遠い日のことに思えたでしょうね

 

現代の私達は、平和ボケと呼ばれます

もちろん、違う形の争いはありますが、比較にはならないでしょう

 

 

さて、万千代と万福に初陣が決まったような…

 

歴史を変えようがありません…

 

 

 

 

 織田信長さん

 

テレビで見てても、怖かったあ~

 

頂いた茶碗、皆命がけで受け止めていました

 

 

 

 

 

でも、ごめんなさい、笑えたわ~

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時四十二

2017-11-04 18:17:07 | おんな城主直虎

 

第42回  長篠に立てる柵

 

いつも怒ってばかりの万千代が、珍しくこんな顔してました

これはどんな場面だったか、覚えておられると思いますが、

 

 

『槍や弓を整えたのは、そなたと万福か、

いつもより随分と細かく整えてあったゆえ、今まではこうではなかったから

新しく入った者かと思うてな、

草履棚も様変わりしておったし…』

 

家康は、寝所に呼んだ万千代に言った

 

その家康の言葉に、万千代の表情はみるみる変わっていきました

 

『誰も気づいてなど下さらぬと…』

 

 家康に仕えるようになって、まだ日は浅いが色々ありましたよね

 

それも、ほとんど当てが外れた事ばかりで…、

 

『殺っす!』 

 

と、万福を困らせてばかりでしたが、

 

この時のこんな顔、初めて見ました、

今までは

 

こんな顔や

 

こんな顔や

 

こんな顔?

 

こんなにがっかりして…

 

 

松下から久々に帰って来た時は、夢と希望に満ち溢れた青年の顔だったのに… 

 

自己主張が強く、気の強い万千代ですが、さすがに最近は落胆気味で

 

見てくれてる者などないだろうと思っていた留守居の仕事を

 

家康が評価してくれたので、感激していました

 

 

よかったなあ~

 

それに引き替え、酒井一門の小五郎ときたら、

万千代が誰も見てないところで、弓や槍を完璧に手入れしていたものを

さも自分がした仕事などと上司に言ったりして

こういう人、今どきの社会にもいるんでしょうね、むかつく人ですわ

 

 

 

万千代くん、よかったね、仕事ぶりは認められたし、

最大の心配事だった、家康さまのナンチャラ小姓になるんではなかったし

常の小姓でやれやれね♪

ずい分、気をもんでましたものね

 

あれぇ~~

 

万福はドキッとしてたし、

ノブさんなんか、万千代様は顏だけはお可愛らしいから、

殿も趣味が変わられてもおかしゅうないですから…

と、褒めてるのやら、脅してるのやら

 

仕方がないここは決心してと、真新しい下帯まで付けて寝所に行きましたものを

 

ま、空振りというか…

 

 

家康さまは笑った笑った♪

 

徳川家康、今まで実は嫌いでした

 

織田信長ファンなんです、私

 

 

 

 

今まで、様々な表現で家康が描かれてきてますが、

なかなか、ええ人やなあ~と思ったことはありませんでした

 

直虎のドラマでは、納得してしまうことがあります

 

潰れた家の子、裏切者、恥知らず、そんな立場の人物を召し抱える

相手をよく見て何かいいところを見つけてくれる

思慮深い人だったのですね、家康は

 

鳴かざれば鳴くまで待とう不如帰

 

などと例えた句もありますものね

 

ノブさん(本多正信)も、殿はなかなかの人だと言ってますね♪

 

その後、本多正信は家康のそばにで御意見番のように仕えたみたいですね

 

家康と側近の者は共に苦労して登って行ったのですね

 


徳川家康の名言・格言

 

 人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし、急ぐべからず

 

 

ところで、ぱっとしないノブ(本多正信)ですが、その言葉、心に響きました

 

自分の弱点を強みとして行けばと言いました

 

”殿がかようにはみ出し者の私どもを迎えいれたのには必ず意味があるはず、

殿を信じ、いつか時が来るのを待ち…、

パッと前に出るのです!”

 

パッと前に出る!

 

好機を見極め逃がさない

この才覚は私にはないなあ~

いつも、後悔先に立たず、的に終わって…

 

万千代と万福と、力を合わせその時をガッチリ掴むのを

楽しみにしています

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時四十一

2017-10-21 00:48:47 | おんな城主直虎

 

 

第41回  この玄関の片隅で

 

さあ、草履番の後釜さんのご登場、ノブとおっしゃるの?

 

おや、鷹狩の時の家康に虎松の印象などを話していた鷹匠さんではありませんか

 

ちょっと胡散臭いなあと思っていましたし、

 

ま、この人は原作者の森下佳子さんが生み出した

 

架空の人物ちゃうのん? と思っていたのですが、

 

な、なんと!

 

ノブ、すなわち「信」 本多正信ですと!

 

最近の記憶では、「真田丸」において、近藤正臣さんが熱演されていました

 

あの、本田殿だったのですね

 

大変失礼いたしました

 

三河の国の出身で、はじめは家康に鷹匠として仕えたが、

三河一向一揆の時、家康に反旗を翻したが鎮圧され、

逃走し、10年程は諸国を放浪していた

 

その後、また家康の元に戻り大久保忠世(タダヨ)の世話で

帰参を許されていたという

 

万千代と会っている今がまさにその時ということかな

 

その後、家康の側近となり、家康が「友」と呼ぶほどの信頼を得、

江戸幕府が開設されると幕政を主導するまでになった

 

正信は、出世しても所領を増やしてもらう事も望まないような人物だったとか

そして年老いて暇を許されるまで政務に励んだという

最期は、家康が亡くなって2か月経った頃だった

 

 

Honda Masanobu02.JPG

本多正信

 

家康が鷹狩で虎松の印象をノブに聞いていたのも信頼の証しですね

家康は人を見抜く力が凄いし、人を育てることにも長けていた

 

こうして家康の傍らには優れた武将が集まったのですね

 

 

さて、ノブがそんな人材とはつゆ知らず、血の気の多い万千代くんは

万福くんのアドバイスもどこ吹く風と、

とにかく早く小姓に上げてもらうことを思いつつ出勤しておりました

 

万福は、ノブを見る他の侍たちの様子から何やら妙な気配を感じたのですね

万千代にないものを持っていて、頼りになります♪

 

その頃、武田信玄亡きあと、息子の勝頼によって再び、

三河、遠江が侵攻され始めました

 

戦いの情報を、万千代は小耳に挟みます、情報元は、ノブでした

織田信長が援軍をよこすということ

そのためには材木を三千本調達すること

 

それを聞いた万千代は、小細工をはじめた

家康の草履の鼻緒を切ることによって家康に近づき

材木は井伊が得意分野なので、調達を申し付けてほしいと直接願い出る

首尾よく調達が出来れば、初陣を飾らせてほしいと

 

いやあ、言わば入社したての平社員ですよね、それを社長に

直談判ですか、イケイケですね

 

『誠、あやつはあの手この手で出し抜いてくる』

と、家康も呆れながらも、心なしか嬉しそうでしたね

 

結局、徳川からの材木調達の役目は近藤康用にすり替わっていた

 

『あの話はなしということでな、

戦から戻ったら小姓には引き上げてやるゆえ、

日の本一の留守居、励むがよいぞ♪』

 

そんな事を家康から言われた万千代の今回一番のキレどころでした

 

『あの腐れ尼じゃあ~!

裏から手を回し握り潰したに決まっておる~!』

 

まだまだ未熟な万千代を甘やかさないでほしいと、

手柄はさておき、材木は近藤に命じてもらったのですね、さすが直虎さん

 

 

そして、五百本調達が近藤に命じられたのですが、これが奥山六左衛門に

思わぬ幸せを連れて来ましたね

 

かねがね、六左は武功を立てたいと願っていたところ、

井伊からの材木を切り出す役目のリーダーを直虎から命じられ、

これも武功と喜んだのでした

 

どんなタイプの者にも心を配り、働く喜びを感じさせてくれる

そんな上司だったら仕事に励みますね、私でも♪

 

直虎は竜宮小僧になることを忘れてはいなかった

いや、むしろ、知らず知らずのうちに皆の助けになっていたのかもしれません

やっぱり、名おんな城主ですね♪

 

万千代、今は直虎のことが腹立たしくて憎くらしくて、怒ってますが

潜在的に直虎の愛を感じているからこそ、

安心して直虎に刃向うことが出来るのかも

 

ま、いずれにしても実母のしのさんと、養母の直虎と、

かなり気の強い母二人に育まれたゆえ、あの形相で怒り放題の万千代が

あるのでしょうね

 

次回は何が万千代を怒らせるのでしょうね~

 

ではまた

 

 

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時四十

2017-10-21 00:43:02 | おんな城主直虎

 

 

再び、第40回 天正の草履番

 

今一度、人間観察を

 

今度は、恐れ多くも勿体なくも、徳川家康さま

 

阿部サダヲさん演じるところの家康さまは、今のところ古狸は可哀そうかも

 

木の葉をお金にして人を化かすことなど…どうでしょう

 

今は若き日の家康さんで、アラサーくらいかな?

 

奥様の瀬名さんに弱いし、三方が原の合戦ではしかみ顔の図を残すほどの

 

痛手を受けましたし…それでも

 

天下人となる片鱗をうかがい知ることが出来ますね

 

直虎は、虎松(万千代)のことで浜松に来た時、

 

家康に会い、話す機会がありました

 

龍潭寺に帰り、和尚に家康に会った時の様子を伝えていました

 

『ああいうお方のことを ”非凡なる凡” というのではないでしょうか

 

生まれが凡なることを踏まえ、凡なることを着実に成しえて行かれるお方は

 

やはり、非凡だということでは…』

 

 

家康は、人を見る目があるし、その人を使うだけでなく

 

育てていくのに長けていたのでしょうね

 

直虎が、なぜあの子(虎松)を抱えて下さったかと聞いていました

 

家康は、理由は三つあると

 

一、井伊を助けたかった

(直親暗殺の時も井伊攻めの時も、助けるだけの力がなかった

その悔いから解き放たれたかった)

 

二、泣かせてばかりの瀬名の望みを聞き入れてやりたかった

 

三、万千代が武将として大きく育つと思った

(あの子は叩かれれば叩かれるほど、奮い立つと思った)

 

その叩かれるというのは、松下の跡取りなら他の家来の目は温かいが、

井伊の遺児となれば、今川の国衆の子とか、銭で潰れた家の子で、

あるのは家格だけ、こんなことを言われるだろう、ということ

 

こんなことを、推察したのですね~家康さん、さすがです

 

更に、直虎にこんな事も言ってました

 

『徳川の所帯も大きくなった

家中には今川の者、武田から来た者もいる

三河者でなくとも、実力次第で出世が望める、

そういう家風にならねば謀反が相次ぐことが目に見えている

 

今後の徳川の生き残りを分けること

万千代がその先駆けとなる力を秘めておるような気がするのじゃ

 

人は宝、大事にせねば』

 

直虎は、虎松にとって家康に仕えることは意義があると考えが

変わってしまったみたいですね

 

このことを、万千代は知る由もなかったのでしょうね

 

何しろ、「〇〇尼~~」 ですもん

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時三十九

2017-10-21 00:40:24 | おんな城主直虎

 

 

第40回 天正の草履番

 

家康に、日の本一の草履番になると言い切った井伊万千代

 

今回は万福をニンゲン観察モニタリングしたいと思います~♪

 

とにかくこの状況から抜け出し、一日も早く小姓になりたい

 

井伊万千代と小野万福は、アイデアを絞り出すものの、

 

始めから、そう上手くいくはずはないですよね~

 

万千代は、猪突猛進型で、気に入らないとキレる!

  

そんな物騒な若殿の横にいつも居るのが

 

小野万福

 

母はなつ、父は小野玄蕃、玄蕃は政次の弟です

 

弟は結婚し、息子を設けましたが、兄の政次は未婚

 

幼い頃からいつもおとわ(直虎)を温かく見守って、

 

最期は究極の愛の形で、帰らぬ人となりました

 

思い出しても目頭が熱くなるわたくしめにございます(@_@。

 

脱線しました

 

万福くんのことでした

 

万千代の、爆発する心を押さえたり、ふと違う角度から

 

物事を見てくれたり、この子は、万千代の懐刀ですね

  

 

そんなことで、万千代と万福の新入社員の日々が始まりました

 

ただ、松下や小野、奥山、井伊の思いですよね…

 

松下としては、これでは跡取りが居なくなるし、

 

奥山、小野は、その松下に抱えてもらってるのだし…

 

直虎にしてみれば、それらの皆を困らせ悲しませるだけのことと考えました

 

南渓和尚は、ちょっと違いますけどね

 

 

万千代がまだ虎松だった時、松下に養子に行くことを言い渡され

 

虎松は、和尚や直虎に泣いて行きたくないと訴えていましたね

 

自分が井伊を支えなければ、と直虎に誓っていたのに

 

もう井伊の虎松ではないと告げられたことが悔しかった

 

だから、直虎には恨み辛みがあるようです、若さゆえの…

 

浜松に来た直虎にも、

 

そなたは頭首でもないのに何故説教をされねばならぬのじゃ

 

なんて言うてました

 

草履番の手法にアドバイスをしてくれたのに、ありがとうって言いましたぁ?

 

昔のことを相当根に持ってるのですね

 

そんな直虎に、万福がこっそり言いました

 

井伊が潰れた時のことです

 

『自分たちはまだ幼くて戦うことすら出来ず、戦は終わってしまった

 

それを、負けた奴らだと言われるのが悔しいのです

 

ここは静かに見ていて下さいませんか

 

殿は我らに思う様に生きよ、とおっしゃったのですから』

 

いつもは穏やかな万福の言葉だけに、心に響きましたね

 

直虎も松下常慶も思うところがあったようです

 

こうして見ると、心を伝えることに万福は長けていますね

 

動の万千代、静の万福

 

この2人は、相棒、トミーと松、のび太とドラえもん、鉄郎とメーテル

 

1+1=∞ 無限大です♪

 

そして、日の本一の草履番、の言葉が家康の口を突いて出ましたね♪

 

しかし、またもや課題が!

 

そこまで極めると、あとがない、後輩の育成をしよ、と

 

ここで、次なる日の本一の草履番の候補者がやって来ました

 

どこかで見た顔と思えば、鷹狩場で幕の後ろから

 

顔をのぞかせ、万千代の第一印象を家康に話していた

 

鷹匠 ノブ

 

何だか、秘密がありそうな人

 

どんなかなあ~

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時三十八

2017-10-06 12:09:38 | おんな城主直虎

 

 

第39回 虎松の野望

 

井伊が潰れて6年、

 

天正十二年に、直親の十三回忌が龍潭寺で営まれました

 

しの、なつ、六左衛門、亥之助、そして虎松も帰って来ました

  

 

 

松下虎松

 

直虎に向けた笑顔に、どことなく直親の面影が…

 

 

 

 笑顔の爽やかな、聡明な男子になっていました

 

 

井伊の里を、直久の案内で、亥之助と共に見て回った虎松

 

井伊の里の豊かなこと、今は水堀造りを近藤に願い出ていること

 

これらが、直虎の尽力あってのことと聞いて、

 

キレてましたね~(^^♪

 

自分には諦めよと言いながら、直虎は諦めていない

 

この事にカチンときたようで、颯爽とキレッキレだけでなく、

 

気にらないと、キレる、この時代にもこういうタイプ、いたのでしょうね

 

そして、虎松の猛進が始まりました

 

『すばらしく豊かな里、何がなんでも頂戴しとうなりました!』

 

虎松は、南渓和尚にアシストを求めました

 

思えば、南渓和尚は虎松が松下に養子に行く前に、秘かにけし掛けていました

 

それは、直虎がもう井伊を再興するつもりがないのを知って、

 

『虎松は井伊の虎松にございます』

 

と、和尚に泣いて訴えた時のこと

 

『あれ(直虎)はのう、もう殿ではない

ならば従わねばならぬという道理もないのじゃ』

 

 

だから、虎松がその気になるのを和尚は虎視眈々と待っていたはず

 

和尚は、この上なく喜んだと思いますよ♪

 

 

 

 

虎松は、あの日のことを忘れず、井伊の家名を立て直す機会を待っていたのでしょう

 

和尚に徳川への手紙を託し、六左にこの事を口止めをします

 

六左さん、冷や汗を拭いてもらえばもらうほど、冷や汗が出ます

 

優しく、追い詰められていますよ(^_^;)

 

 

手紙は、井伊虎松として徳川の小姓に上がりたいと願い出たものでした

 

なかなかやりますね 

 

 

 

しかし、相手は家康、そう易々と希望を通してもらえることもなく、

 

井伊を名乗りたいと内心思っているだろう?と 

 

居並ぶ貫録の家臣の前で、自ら「なりたい!」と言い出す羽目になりました

 

 

 

皆にとっては、たかが、小童なのでしょう

 

 更に、小姓にするのは「松下虎松」なら、

 

「井伊…」なら、小姓ではなく草履番を、と、

 

ま、そんなもんかなと思わなくもないですが…

 

虎松、当てが外れました

 

あ~キレるう~

 

 

しかし、偉い!

 

『井伊万千代、かくなる上は日の本一の草履番を目指す所存にございます』 

 

何とか、徳川ホールディングスには入社した、そんなとこでしょうか 

 

 

とは言うものの… 

 

 

 意気消沈の、虎松と亥之助

 

 

 いいお部屋を当てがってもらえたのもたった一日…

 

一見、物置小屋に移され、堪忍袋の緒が切れた

 

悪口、言い放題

 

亥之助は、ちょっと大人ですね、若様の好き友♪

 

一生懸命、虎松を諌めておりました

 

 

 

なんか、紐が頭に絡んでますけど…涙…

 

気を取り直した虎松は、亥之助と二人

 

草履番を極めるべく、動きはじめました

 

さてさて、徳川方の皆々様の草履は、

 

虎松の出世への足元をすくうのか、はたまた、加速させるのか!?

 

 

ではまた

 

 

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時三十七

2017-10-06 12:02:06 | おんな城主直虎

 

 

第38回 「井伊を共に去りぬ」 では、武田信玄と南渓和尚が酒を酌み交わしながら

 

戦のこと、来世のことを語り合っていましたが、

 

よかったです~

 

立場は違えど、共に戦国の世に生きる二人の言葉は深かった…

 

緊張感のない平成のおばさんにも、すこぶる印象的な場面となりました

 

 

今一度、振り返ってみたい

 

 

 

 

風林火山

 

 

 

 「風林火山 意味」の画像検索結果

 

 

疾きこと風の如く

 

徐かなること林の如く

 

侵掠すること火の如く

 

動かざること山の如し

 

 

 甲斐の戦国大名・武田信玄の軍旗にある有名な「風林火山」とは、


孫子の兵法書にある一節


第38回で、武田信玄が急病で亡くなりましたが、


その直前、南渓和尚は武田の陣を訪れていましたね

 

徳川の軍を追い払い、遠江へどんどん攻め進んで来ていた時でした

 

本人にしてみれば、今川も落ち、もう徳川も落とせると思った矢先だったかも


井伊谷も近藤に焼かれ、更に武田軍に焼き尽くされていました

 

 

 

 

南渓瑞聞の願いは、井伊の安堵でした

 

ひとつ間違えば、首も飛びかねないような中、

 

やはり僧侶という立場は、特別なのか

 

武士と言えども手出しは出来ない世だったのか

 

信玄はそんな和尚に、何か魅かれるものがあったのでしょうね


信玄の陣営で、酒を酌み交わしていました

 

 

 

『なまぐさ坊主がちょうどよい。 戦ごとは苦手…』 と和尚

 

二人のやり取りを見ていて、

あ~戦国乱世を渡って行く宿命なんて、つらいだろうなあ~

と思いました

 

人と人とが命を奪うことの愚かさを知りつつも、

 

生きる糧を得るために、他国を襲い奪い続けなければ生きられない

 

だから、戦に強くなることが何よりの生業

 

 和尚がそんな信玄に、

 

『来世は何になりたいとお思いか、朝な夕なに祈願して差し上げましょう』

 

 と問いかけると、

 

『お天道様がよいかのう、

 

あちこち睨みをきかせ雨、土を調略し、どこもここも恵まれた土地とする』

  

 

 

よく知られている信玄の辞世の句は 

 

大低還他肌骨好 不塗紅粉自風流


大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流

 

(大ていは他の肌骨の好きに還ろ 紅粉を塗らずしておのずから風流)

 

此の世は、世相に任せるものだ

その中で自分を見出して死んで行く

見せ掛けで生きるな

生きるのは本音で生きることが一番楽である

 

と、言っていた

 

そんな信玄も…

 

 

 

冥府よりお迎えに参りました…

 

 

と、寿桂尼様が…

 

 

 

信玄は本音で生きることが出来たのでしょうか… 

  

なまぐさ坊主と、甲斐の虎と、女戦国大名は、

 

あちらへ行って三人仲良くお酒を酌み交わしているのでしょうね…

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時三十六

2017-09-24 17:37:04 | おんな城主直虎

 

第37回 武田が来りて火を放つ

 

高瀬ちゃん、やっぱりでしたね…

 

武田方の隠密ということでしょうか…

 

今までも時代劇を見ていると、隠密が下男や下女の姿で

 

敵方に入り込み、城や屋敷の間取りを調べたりしながら

 

味方からの指図を待っています

 

長く居るうちに相手に重宝がられ、大事にされ

 

上手く暮らしているところへ元の仲間が接触して来るんですよね~

 

おじゃま虫ですよ

 

その時、飴売りとか、かんざし売りとか、行商の姿で現れますね

 

高瀬にも、胡散臭い行商人が近づいて来ました

  

井伊から、中野直之らとやって来た近藤康用の所で

 

近藤に尽くし、周りの者たちとも楽しく過ごしている様子

 

いつかは、武田から指令が届く事は分かっていたでしょうが、

 

いざ、世話になっている者を裏切らなければならないなんて

 

それはそれは、辛いことと思います

 

近藤の食べるはずのお粥に毒を入れ差し出しましたが

 

すんでのところで、最前線からの知らせが来て、

 

近藤が毒を口に運ぶ機会は失われました

 

高瀬は、おそらくほっとしたでしょう

 

とうとう、武田が井伊谷の城に迫って来ました

 

近藤は、徳川方として戦う立ち位置のまま自ら

 

井伊谷城に火を放ちました

 

燃え盛る城の中で、高瀬は近藤を探していたのでしょうか

 

それとも、この火の中で、自らの命を…

 

そんな時、龍雲丸とおとわが火の中へ高瀬を探しに来ました

 

さて、高瀬はこの後どう行動に出るのでしょうか

 

もう、これ以上隠密として今の殿である近藤の命を奪うなんて

 

出来るとは思えませんが、

 

死ぬことを覚悟の上で隠密の宿命を全うするのか

 

どちらにしても、高瀬の命が風前の灯となってしまいました

 

 

 

 

さて、本日の放送でどうやら、

 

成長した虎松が登場のようですね

 

井伊直政

 

井伊家の歴史上、とても大切な人

 

キレッキレの菅田将暉君が直政役

 

 

これからの、徳川家康との関わりが、どの様に描かれるのか

 

ここが、井伊直政が徳川四天王へと登って行くところですし、

 

戦の場面が増えるかもしれしれませんが…

 

 

あ、そうそう、戦と言えば「三方ケ原の戦い」

 

武田に敗れて、逃げ帰ってきた家康の場面、第37回にありましたね

 

しかみ顔   (浜松城で写す)

(徳川家康三方ヶ原戦役画像・とくがわいえやすみかたがはらせんえきがぞう)

として、残る画のこのポーズ

ドラマの中で、家康さん、煤けた顔でやってましたね~

軽妙な演技が、面白かった♪

 

 

浜松城に展示されていた、軍扇

これでないかもしれないけど、家康はこの様な軍扇を翻し、

武田軍と戦ったのでしょうね

 

 

 

さて、この家康に従いこれから進んで行く井伊家

 

耐えに耐えてきた井伊がいよいよ花開く、

 

輝かしい道のりを行くのかと思いますと

 

ワクワクします♪

 

ではまた…

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時三十五

2017-09-16 16:45:31 | おんな城主直虎

 

第36回  井伊家最後の日

 

政次と龍雲丸ではずい分と気性に差がありますけど、

 

 

政次もあんな風に次郎に言えてたなら…

 

 

これは碁の最中に、政次が珍しく直虎の前でぼーっとしていて

隙を見せた時

 

 

これは直虎がまた無謀な考えで動くので、走り出した直虎を止めようと

打掛の裾を踏む寸前♪

 

どちらも印象的な場面でした

表情の演技が抜群!

 

 

 

  

さて、井伊家最後の日、なんてうそでしょ?

 

と思いながら見ましたが…、ほんとでしたね

 

虎松はずいぶんと愚図ってましたが、和尚さんがなだめすかして

 松下家に行くことが決まりました

 

なつと亥之助と六左(奥山六左衛門)もいっしょに

 

 

 ゆきのじ(中野直之)は弟や中野一党そして高瀬と共に、

近藤康用に召し抱えられることになり、また井伊谷に住むことになりました

 

 

『所詮女子じゃな、その女子に一生ついて行くつもりだったんだ!』

 

 

とは言いましたが、井伊谷に住むことを願ったのですね、

ゆきのじ、ええとこああるやん♪

 

次郎は、皆を手厚く送り出したのでしょう

そして、自身は還俗し田畑を耕し暮らすという

井伊を守り抜くという大きな役目を終わりにして、

平穏な毎日を送ることになりました

 

次郎はおとわと呼ばれた頃、

人の助けになることを己の信条として次郎となることを選びました

 

この事を、南渓和尚は振り返り、ふと、思いました

 

 

 

『おとわがその道を選んだのでなく、我が選ばせたか?』

 

と、可哀そうなことをしたと考え込んでいる様子でした

 

でもまた、虎松にも松下へ行くことを虎松が選ぶよう仕向けたか?

 

『あれはのう、もう殿ではない

ならば、従わねばならぬ道理もないのじゃ』

 

『答はひとつとは限らぬ

道も一本とは限らぬ

行き止まりばかりならどうするか、

それは、

この世は諸行無常』

 

こんなことも和尚は言ってましたね

 

 

ま、和尚さんも井伊のために良かれと思ってのことですが…

 

百戦錬磨の和尚です

 

 

ところで、中野一党と共に、近藤へ自ら願って行った「高瀬」

 

この子は、井伊直親が討たれた後、信濃からやって来て、

直親の娘と名乗ったのでしたよね

 

直親の妻、しのと次郎が怒り心頭でしたね

自分たちに、甘い言葉を投げ掛けておきながら、信濃でも

他の女にも同じ事を言っていたとは、と、すけこまし、とまで言ってましたよ~

 

この不倫且つ親権問題は、高瀬が直親が笛で吹いていた歌を口ずさんだことから

次郎は、直親の娘と信じ快く受け入れました

 

高瀬はその頃からちょっと変わった様子もありましたが、

あれ以来、よく働き、気立てもいい子で問題なかったのですが…

 

そして、今、

 

 

武田がこちらへと動き出した頃、遠くの空をじっと見つめていました

 

信濃の方角なのでしょうか

 

いったい、高瀬は何をしようとしているのか、何もないのか?

 

そして、もう一人、出たきましたよ、くノ一かも、と思える女の子

 

またしても、私のゲスの勘繰りに終わるのか

 

その子は、侍女として家康のそばにやって来た、「ふさ」

 

賢く、機敏な女性に見えますが、どうなりますか…

   

ではまた

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時三十四

2017-09-08 14:19:37 | おんな城主直虎

 

第35回  蘇えりし者たち

 

何もかも失ってしまった井伊でしたが、今回はすこし希望が見えました

 

瀕死の状態で気賀から助け出された龍雲丸も

 

次郎や南渓和尚や、昊天さんの必死の看病で蘇えりました

 

(口移しの術の本当を明かすのはまだ先みたい)

 

 

 

井伊の皆も隠れ里で、何もないところからあれこれ工夫して、

 

今までは経験のない薪割りなんかもしたりして

 

何より皆がいっしょに元気に暮らしているのが嬉しいではないですか♪

 

やはり人は、ひとりではだめですね、仲間が大切ですね

 

 

  

 

とりわけ、亥之助(小野)と直久(中野)が、小石を集めて白と黒の碁石にした

 

それで二人が碁を打っている姿が嬉しかった♪

 

 

 

 

 

”一手打っては考え、また一手打っては考え、

 

一向に勝負がつかないと

 

それもそのはず、二人とも但馬(政次)に習ったので同じ手筋で、

 

まるで、但馬が但馬と戦っているようなものだから…

 

 

 

それを見ていた皆が、悲しくて、嬉しくて泣いた…”

  

 

 そんな皆からの便りを、直之(中野)が次郎の所へ届けてくれた

 

次郎はそれを読んで、政次はまだ生きていたのだなと、

 

 

 

 

その言葉に直之は

 

『残念ながら、政次は皆の中にしぶとく生きるでしょう』

 

じーんとくる場面でした

 

 

 気賀に大沢の軍と同時に徳川の軍が攻め入り、

 

龍雲党も、攻められ皆散りぢりなりました

 

いったい皆は、逃げ延びることが出来たのだろうか

 

瀕死の状態で気を失ったまま龍潭寺に担ぎこまれた龍雲丸は

 

また、自分だけが生き残ったのかと嘆き悲しみました 

 

次郎も、政次を死に追いやったと同じ思いでいました

 

ただ、瀕死の龍雲丸を助けることだけは出来て良かった

 

と、同じ悲しみを持つ二人は、気持ちをひとつにしたのでしょうね

 

お互い支えとなるかけがえのない存在だと強く感じたでしょうね

 

 

それにしても、矢を受けてしまったゴクウやカジは?

 

モグラ、力也たちは、討死した?

 

いや、まだ分からない、と思う

 

龍雲党の皆の中に、誰か生き残っているような、そんな気がします

 

 

「井伊にて待つ」

 

あの幟を見て、誰かやって来ますよ、きっと次回辺りに…

 

私は勘が良いほうなんですけど…

 

ほら、あの方久さん、「かあん!」 ですよ

 

 

こんなどん底でもお金儲けを思いついてます

 

頭を丸めて医術、薬草の勉強を始めましたよ

 

でも、これだけははっきりさせておかないと、この方

 

”医は仁術にあらず、算術なり”

 

ですからね、お気を付けあそばせ

 

 

龍雲党の皆、蘇ってきてちょうだ~い!

 

 

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