kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

青天を衝け~poem

2021-04-02 16:07:04 | 青天を衝け


第七回   青天の栄一




漢文によるポエム ですか

惇忠の塾で栄一は、漢詩を教本にして

色々なことを勉強していた

あ~やっぱり昔の人は偉いですね

わらじで山野を歩いて遠いところまで行く

その体力が凄いなあ偉いなあと思いましたが、

まだありました

勉強方法も、あの難しい漢詩が教科書とは


思い起こせば小学校で、ひらがなを覚え、

字画が一画、二画、三画と優しい文字から

教えてもらい、次第に漢字を会得していく


小学校で漢字テストが何度もありました

嫌でした

教室に、全紙大のグラフ用紙が貼られます

横にクラスの面々の名前が書かれ

縦に…あれは何?

漢字テストで合格点をとるとシールが増えていたかな


先生が、小さな赤い丸のシールを貼って行く

いい点は取りたし、勉強は嫌

そうして、6年生を最後に赤丸レースは終わった

習ったはずの漢字を私の頭は取りこぼしていった(T_T)

という私の小学校の思い出でした


少年易老学難成
一寸光陰不可軽


ということです(>_<)


栄一や喜作は、向上心のある青年だったのですね

藍の仕事をしながら、塾に通ったんですもんね



あの幕末の頃、ひらがなと漢字を使った散文もあったような…

例えば坂本龍馬の手紙、ひらがなが目立ってた

乙女姉さん宛てとか、お龍さん宛てとか


結局、日常的には、ひらがな混じりの文で

芸術としてPoem を詠むのは漢文だったということでしょうか

ああ~こんなことも分からない


冒頭で、家康さんが

『漢詩で江戸人の心を知る…』

とか言っておられました

漢文って一般的に広まっていたのでしょうか

それなら、すごいですね

なんか今思い出しましたが、高校の漢文の時間に

「返り点」や「送り仮名」を付ける練習があったような

漢字ばかりがぎっしり並んだ文に、返り点と送り仮名を書き込む

そんなことをしたような…

今は漢文の授業、あるのでしょうか?



惇忠の塾に通った若人は、

偏差値高かったんですよね、きっと

そして、更にレベルの高い学問や武道を習いたくて

江戸へ江戸へと、心がなびいています

余談ですが、江戸を築いた徳川一家

すごいですね~

今も、東京ファーストです、日本は





惇忠兄さんと栄一が、藍の商いのため一緒に出掛けました

武州藍ですね

そうかあ~惇忠さんも、藍の商いをしていたのですね

いつも書物を読んだり、栄一達に学問を教えたり

そんな姿しか見てなかったので、意外でした

尾高家の家計は惇忠による学問や武術の指南料によって

賄われてると思ってました

その二人の信州方面への外回り営業の途中

栄一は、漢詩を詠んでいましたね

まあ~お父さんから、旅の途中でそういうことはせず

仕事に集中するように注意されたのに、聞いちゃいないわ


でもその漢詩は

「巡信紀詩」

として、残っているそうですね



惇忠兄さんと藍の外商の旅の途中、内山峡にて詠んだPoem

その中から抜粋した 「衝青天」 

「青天を衝く」

これをドラマの題名としたのだそうですね



まだまだ青い渋沢栄一は長七郎の手紙や惇忠の教えから


自分が何をやりたいのかを

見据えて歩を進めているようでした




旅支度をととのえると もう心は浮き立っている
ほんの短い旅だが それがちょうど野や山の
最も美しい時期にあたるなんて 誰が知っているだろう





さあこれから先達のあとについて 信州へと旅立つ
夜ごと旅の宿でその土地の風情を 詩に歌っていくことにしよう





山はうねうねと 波のごとき姿で
西は浅間山に接して ふたつ向かい合っている




 
天然の石や岩が ごろごろした岩肌は
人が削ってつくったかのように 険しい





一巻の書を肩に 険しい峰をよじ登る





やがて谷を歩くも 峰をよじ登るも
ますます深く険しくなり 
見たこともないような 大きな岩や石が
 横たわっている



 

私は青天を衝く勢いで

白雲を突き抜けるほどの勢いで進む











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青天を衝け~uneasy

2021-03-25 19:10:10 | 青天を衝け

第六回  栄一、胸騒ぎ



あら、言ってしまった


どうしよう、恥ずかしい



千代さん、そんな栄一さんをお慕いしているんですね

飾り気がなくて真っ向勝負なところ、ですか


ま、融通が利かないところ、理屈っぽいところ

覚悟して




さて、今回も家康さん、ようお越し下さいました

まあ、息子さん沢山おられたんですね!

何といっても、徳川の未来を見据えてのこと




今回ご紹介に預かりました、十一男の頼房さん

写真までご持参いただいて、かなりお気に入りですね

水戸藩の初代藩主になられた方なのですね





7歳で常陸国水戸藩、二十五万石をお与えになったとか

太っ腹ですけど、そんなに甘えさせて大丈夫かなあ~

なんて、要らぬ心配と言われそう

たかが、二十五万石なんでしょうね~スゴイな…



今回、この方のことをお話になった訳は

尊王攘夷

このことに関係するのでしょうか

栄一の村でも、騒然としてきます



初代さん、とても朝廷を大切にされた

毎年、水戸の那珂川で獲れた一番鮭を朝廷に献上されたとか

茨城県で鮭が獲れるとは、びっくりです

二代目以降もそうだったのかな?



二代藩主といえば、光圀

はは~っ

ちゃんと紋どころも眼に入りましたよ、黄門さま

人生楽ありゃ苦もあるさ~

ほんとですね…

とにかく、水戸藩は朝廷一番、幕府は二番だったとか

孝を東照公 忠を天祖

とか言っておられました、斉昭お父さん

慶喜とその兄の慶篤との三人揃って

朝廷のある方向に向かって手を合わせていました

二代藩主光圀公からの掟があったそうで

徳川の政治を助け、何があっても

天子様に弓を引くようなことがあってはならない、と


この尊王攘夷思想を著わしたのが

藤田東湖の書いた「水戸学」という書物 ↓





尾高家の惇忠、長七郎は傾倒していますが

この先どうなるのか

もう少し様子を見ないと分かりません

ただ、惇忠は開港を迫る外国に脅威を感じ

死の覚悟を持ってひとりひとり頑張ろうと決心しているが

塾生の栄一、喜作はどうするのか

でも…、他に心配なことがありそう

恋愛問題

三角関係どころか、お千代ちゃんは可愛いので

四角にも五角にもなりそうですね

どうするのでしょうね

栄一は血がぐるぐる脳天まで回ってるそうです

さあ、なんとしょう





美賀君



篤君



第六回、あっちもこっちも難題が山積しておりましたが

今日はここまでで失礼いたします



あ、それからあとひとつ

ヒュースケンという名前が出ました
いつか聞いたことのあるお名前です
ちょっとWikipediaで探してみました
大河ドラマ「新選組」で川平慈英が演じた人
オランダの人で、ハリスの通訳兼秘書
攘夷派に殺害されてしまった

思い出しました

攘夷で騒然となっている日本で
外国の人が殺害されたとなれば
日本にとって大変な事態になるのは当然ですね


ヒュースケンさんは、
日本をどんな風に思われたのでしょうか
知りたいです


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青天を衝け~shake and waver

2021-03-19 19:08:04 | 青天を衝け

青天を衝け

第5回  栄一、揺れる



揺れましたね~

安政2(1855)年10月2日

指折り数えて今から…165年?前

安政江戸大地震が起きた



引用:安政2年10月2日 午前10時頃
江戸湾北部を震源とするマグニチュード7クラスの地震が発生
世にいう安政の大地震(安政江戸地震)である


 

江戸城や水戸邸も大きな被害だったようですね

藤田東湖さん、母上様を守って梁の下敷きになり亡くなられた…


烈公と呼ばれた斉昭の側近として仕えた方なのですね

何年位お側におられたのか、大変でしたでしょうね




江戸地震の時、命を落とした東湖を抱き締め

東湖東湖東湖…

と泣き叫ぶ斉昭を見ていると

どれだけ東湖を信頼していたかが分かりました


ある時、地震の津波でオロシヤの船が転覆して

乗組員が海に放り出されたと聞くと

斉昭はそれを喜んだという

その時東湖は


「異国人とて国には親や友がありましょう

誰しもかけがえのなき者を天災で失うは耐えがたきこと

また、今となっては、夷狄を打ち払うよりも

いかにして日の本の誇りを守るかが肝要でございます」






この言葉が遺言になってしまいましたね…



東湖さんは、水戸藩士で主君の側用人であるだけでなく

幾つかの本を書いておられる知識人だったとか

斉昭も本当に残念だったでしょうね

東湖の死で、斉昭の尊王攘夷思想は、揺れたのでしょうか





そう言えば、他にも斉昭を諭す人がいました


下田沖でオロシヤの船が大波で転覆

それを聞いた斉昭は船員を皆殺しにせよ、と

これは、この前に書いた話と重複しますが、お許しを



一方、写真の真中の人、老中首座の阿部正弘は

「天災にあるものの命を絶つなどと、道に外れたこと

我が国に悪しき評判が立ち、異国は皆日本に攻めるだろう」

ですよね、阿部さん



下田では犠牲者のオロシヤの水軍関係の方々の救助が行われました

でも

もう息絶えていた方も、ここで力尽きた方もあったでしょう

外国人を恐れている場合じゃないと言わんばかりに

救援に集まった人々がどんな立場の方だったかは知りませんが

様々な身分の方で立ち上げたボランティア活動が

あったのかもしれません

ドラマの冒頭で今回も家康さんは遥か向こうの黄泉の国から

やって来て話してくれたあの

士農工商


家康さんは、武士が長く支配せんがために

私は厳しく線を引いた

と、豪語されてました

が、その線がゆがみ始めたとも

実に率直に言ってもおられましたね


今の教科書には載っていない言葉だということまでご存じで!

載ってないとは、私知りませんでした

今では子供達に教える必要のない言葉なのですね






支配階級の「士」は全体の7%

その他の階級が支配される立場の「農・工・商」

下田の皆さん、そんなの関係ないと

一生懸命、子供までが救助に出ていたということは

快なり♪



斉昭お父さん、いい息子さんがおられます

大丈夫

日曜日には元気になっといてくださいね


そして、藤田東湖さんに、この歌を鎮魂歌として捧げたい


時代おくれ   河島英五

一日二杯の酒を飲み
さかなは特にこだわらず
マイクが来たなら微笑んで
十八番(おはこ)をひとつ歌うだけ

妻には涙を見せないで
子供に愚痴をきかせずに
男の嘆きはほろ酔いで
酒場の隅に置いてゆく

目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい





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青天を衝け~american・メリケン

2021-03-09 22:06:23 | 青天を衝け


メリケン粉

この言葉使われますか?

今は、小麦粉と言いますが

子供の頃はメリケン?何のことかなあと思いつつ

メリケン粉と言ってました

「米利堅」 と書くんですね知らなかった

アメリカン

「ア」は弱く「メ」を強く発音すると、

「メリケン」と聞こえますね、たしかに

そんな、どんな?アメリカがやって来る






青天を衝け 

第四回 栄一、怒る



家康さん、今回はおさらいですね

ドラマもなかなか複雑になって来て

そうなんです

日米和親条約なんか出てきて

難しいので、おさらいでもなんでも



驚いたことに、幕府は外国船の来航について

幕府の内外から広くアンケートをとったとか

なかなかやりますやん♪

どの様な人々が、提出したのか知りませんが

書状が700通来たとか


”外様が意見するなど時代というものですな~”

と家康さんがおっしゃってました

今も猛スピードで変わって行ってます


気になるメンバーの意見は

幕府に復帰して海防参与という役職に就いた、

徳川斉昭は、外交反対


先週の放送で囚人の身を解かれた高島秋帆だけが

寛大な心で異国を受け入れようという意見

おまえも励めよ、と栄一に声をかけたお武家さん


”さあ、徳川はどうするか!”

と元祖徳川さんに投げかけられて、視聴者へのおさらい

ありがとうございました



徳川幕府は、第十三代家定になったが

実務は、老中首座の阿部正弘が取り仕切っていた

それとあと一人、徳川斉昭

開港絶対反対派

外国人をすべて排除せよとまで言ってごねて

阿部さん泣かせな人



ペリーが早くも二度目の来航で江戸湾にまで入って来た

幕府はたくさんの大砲を砲台に備える目的で

品川の沖を埋め立てて、台場を築いた

某テレビ局が、お台場という所にあるとか、

はっきりは知らんのですけど

江戸時代に出来た御台場ゆかりの名前なのでしょうか

そして、もう見切り発車みたいに

阿部正弘は、日米和親条約締結してしまった

この事を聞いた、尾高惇忠は水戸の教えを請い

我々はどうするか考えようと思った

水戸の教え、尊攘ですか

栄一や喜作や長七郎、心揺らされるんでしょうね

アメリカと日本の立ち位置、この辺から難問だらけ

だったのでしょうか



一ツ橋家では

慶喜付きの小姓に平岡円四郎が抜擢されました

ま、本人は嫌々みたいですが、でまた

その気持ちを、慶喜に隠さない、ストレートに言ってる

まずは、ご飯をよそうところで、あれあれ

てんこ盛りのごはんにお椀の蓋を乗せるわ、ご飯は縁に

なすり付けとくわ、なんてことを

まそれがきっかけで気に入ってもらえたし気に入ったし

平四郎さん、最終審査合格なのかな


そして前途多難の空気が流れる栄一

お代官様の前で、栄一、怒る

よう斬られなかったと思いますよ

お慈悲なのか、栄一のあの迫力に刀が抜けなかったのか

ほんとにどうなる事かとはらはらしました

ハラハラは、もう1回ありました

あの藍作りの番付け企画で、

長老が番付持って近付いてきた時には、

あ~えらいことになった、と思いましたもの

あの顔で、あの雰囲気で怒ってこないなんてありえない

でもよかった、おこられなくって

栄一のタイプは、これから何度もはらはらさせられますね

三角関係の行方も気になるし…

また来週見ましょ




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青天を衝け~Indigo blue

2021-03-04 18:09:56 | 青天を衝け

青天を衝け

第三回  栄一、仕事はじめ  (その2)



”青は藍より出でて藍より青し”


中国の荀子さんとか言う方がおっしゃったのだそうで

てっきり日本で生まれた言葉と思ってました

中国はこれに関わる本が散逸してしまっていたそうで

それが金沢文庫に一冊あった

日本の文化的財産が外国に流れていて、日本はどないやねん

と思っていましたが、その逆もあったんですね



”学ぶ時は自分勝手でなく、信頼できる師のもとで

且つ、正しい礼を学び身につけて

そんな君子をめざそう!”

みたいな、

表現が幼稚ですみません

時代変われば考え方も変わりますし…どうでしょか


ま、そんな偉いお方の言葉にも用いられた藍

好きな色です



あのお蚕さんが出てこなくてさみしいですが、

一段落したのでしょうか

渋沢さんちでは藍の葉を「すくも」にして

そして、すくもを江戸の紺屋さんへ買ってもらいに

渋沢さんちは、栽培~加工~販売

一貫して扱ってるのですね






栽培だけに終わらず、その先の商いも携わっていたのですね~

その最後の販売に、栄一は初めて、お供させてもらえた♪

家業を継ぐのを嫌う跡取りも多いのに、

栄一は父親の仕事の全てが好きみたい



江戸城下に、藍問屋の集まっている紺屋町へ来ました



川の水に晒していますね

京都に堀川という川がありまして、子供の頃

友禅の染め上がった生地を川の水に長く流して洗っているのを

見たことがあります

川の水に色とりどりに染まった生地が揺れるのは

きれいでした

でもこの光景はあっという間に見なくなりました

染料が流れ落ちてそれで川が汚れるのが駄目になったのだと思います

鴨川もそんな風でしたね~

ずいぶん昔の話です




例えば「両替」「釜座」などの町名や通り名が京都に今もあります

東京にも紺屋町という町名は残っているのでしょうか



そんな、紺屋町を見て栄一は、

この町は商いで出来ている、お武家様は脇役

なんて大きな声で言うものですから、

ひとりのお武家さまに聞かれてしまいましたね




三十六計逃げるに如かず

今では

逃げるは恥だが役に立つ

なんて言いますから、いいではないですか

このお武家さまが、「直言の臣」ですね♪



この紺屋町の遥か彼方、うんと高い所に見えたお城は

江戸城

慶喜は、病床に臥している義父の家慶を見舞っていました



栄一が江戸から帰って来て3か月

かわら版がスクープを

「黒船来たり」

栄一の通う道場も、黒船だ、ぺルリだと炎上


しかし血洗島に切羽詰まった、

それこそ村の皆の生き死にに係るくらいの大変なことが起きた

藍が虫にやられちまった!

もう収穫間近なのに

栄一の父は、上州や武州に買い付けに行くことになった




しかし、栄一は連れてもらえなくて、

「あてにされねえのは淋しいもんだに」 とがっかり

一方

「あてにされても困るのです

私にはこの先、将軍になる望みはございませぬ」





この世は思うようにはいきませんね(^-^;



嘉永六年(1853)六月二十二日

十二代将軍家慶、逝去

江戸城では、緊急会議

福井藩主、松平慶永(春嶽)が慶喜を目で追っています



慶喜、自分の意志ではないものの将軍の座へ近付いてゆく

栄一の、仕事はじめ、買い付けは、父に高評価


遠く離れた所で、このおふたりは、次のステージへ


快なり快なり~!





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青天を衝け~epoch

2021-03-03 21:28:59 | 青天を衝け


青天を衝け

第3回  栄一、仕事はじめ



こんばんは家康さん、今回は何でしょう

家康さんお気に入りの異国の方を紹介して下さるのですね、どれどれ





#マルコ・ポーロ(伊国・商人・父と叔父とでアジア各地を陸路にて・
東方見聞録)



#ウイリアム・アダムス(英国・航海士・リーフデ号・三浦按針)



#ラナルド・マクドナルド(米国先住民と英国の混血・漂流者を装い蝦夷の

島々に鎖国中上陸~長崎へ・日本初のネイティブ英語教師であろう)



#マシュー・ペリー(米海軍東インド艦隊司令長官・浦賀・黒船etc.)


この中で家康さんが、実際に会われたのは

ウイリアム・アダムスさんなのですね

商船で、豊後の黒島に漂着し

その後、長崎、大坂へ

引見を繰り返した家康の信頼を受け

江戸で外交顧問として助言をする役目を与えられた

家康さん曰く、”いい男”なんですってね

武器、航海術、幾何学数学、造船、通訳、なんでも知識を伝えた

三浦按針という名前も、家康さんからもらったという

ウイリアムアダムスは、1600年に漂着している

その半年後、関ケ原の合戦が起きた

これが epoch  なのか  


新しい時代を作る画期的な出来事




「そしていよいよ、運命の外国人がやって来ます」

どなたが見えますか




あ~、前置きが長くなってしまいました

本編は…

後日、見て下さいますか(^-^;


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青天を衝け~オランダのNewspaper

2021-02-22 19:46:58 | 青天を衝け


青天を衝け

第二回 栄一、踊る




家康さま、今回もお出まし♪

今日は日本の鎖国のお話でした

家康さんの頃は、イギリス、オランダとは貿易をしていたのですね

その後、あちこちとも一時は外交があったみたいですね

でも、結局オランダだけが貿易相手として残ったとか

そんな時、他の国々の情報を知りたくて

オランダに提出させていたのが、「オランダ風説書」

オランダ風説書は、日本が鎖国政策をとっていた時期に

江戸幕府がオランダ商館長に提出させた

海外事情に関する情報書類で

海外情報を得る上で大切なニュースペーパーだった

そういうことなのですね

何だか、一枚の布がふわふわと

地図になったり船になったり

まるで、仮想大賞でもしているみたいでしたよ



でも、家康さんのその後200年余りのあいだに

外国も江戸幕府も変わりましたね~

その江戸時代の土壇場に現れる

渋沢栄一

まあ、あの信長さん、光秀さん、秀吉さん達の

戦国時代以来の大きく揺れ動く日本だったのですね



光秀の待ち焦がれた、麒麟

どうだったのでしょうか

家康さんは、光秀に「あとをヨロシク」と言われましたよね

光秀さんは、山崎の合戦で亡くなっていないという

噂もあるんです

本当のところ、どうなんですか?





九歳になった栄一、いい子ですね~

明るくて、のびのびして、素直、無邪気、青空みたいな子

家族はじめ周りの人達から

愛情いっぱい注がれて育ったからでしょうね

ま、強情だけれど



一方、七郎麻呂

物質的には何不自由ないけど、

大人に権力を握るための手段に使われるから、嫌やろね

そりゃあ、屈折してきますわね

でも、この子、切れ者

上手く、世の中~渡って行きそうな…

世渡り上手って、褒め言葉なのかどうなのか?



藍は夏に刈り入れするのですね

とっさまの市郎右衛門さんが言ってました

嫌~な感じの代官が、労役に大勢の人を出すように言うてました

百人の人足と、御用金二千両を用意⁈

無理難題をいう悪代官、お前も悪よのう

と時代劇にはよく出てきますが

栄一が「承服できん」

井戸に怒りをぶつけていましたね




小さくても道理の通ったことを言うんですよね~

どこで覚えてきたん、というようなことを

三男坊主に私もお説教されたことがあります(^-^;

言い返す言葉もございませんでした

ところで栄一を演ずるこの子

ちょっと前の氷川きよし君に似てませんか?

似てます








繭の収穫も藍の刈り取りも女の人たちが仕上げた頃

栄一と喜作と長七郎は、なんと

獅子舞の支度をして藍畑へと練り歩いて来ました

村中の人が喜んでくれた

とっさまも嬉しかったんでしょうね、獅子の舞をいっしょに踊った

「みんながうれしいがいちばんだに」

ワンフォアオール オールフォアワン

ちょっと違うかな、大体合うてるかな




月日が流れ、栄一はもう青年!

やっぱり底抜けに明るい、飾り気がなくて無邪気

ナチュラル派

そうそう、明智十兵衛光秀さんは、颯爽としてスカッとスマート

シティ派

でも、平らかな世の中を願ったのは同じですね



山田長政、シャム、という名前が出ましたね

聞いたことあるなあ~と思いました

学校で習ったみたいですが、教科は?

もひとつ、引きずり出てきたのが

安南

シャムと安南をセットで覚えた記憶

でも、今で言う…どこか分からない

なので、そのうち調べてみます



さあ、二宮尊徳さんによく似たヘアスタイルの栄一さん

次回も何か承服できない事が起きるのかな




何だか、見所がいっぱいだったので

まとまらないままですが<m(__)m>





” お天道さまと武州の人は天下無双の藍を生む ”

血洗島の人々は、

自分たちの作る藍に自信を持っておられたのですね

私なんか、自信を持てること、ないなあ







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青天を衝け~It's fine today

2021-02-15 14:41:56 | 青天を衝け

青天を衝け

第一回  栄一、目覚める

始まりました









”こんばんは、徳川家康です

今日はまず日本の歴史です”


最近の大河は意表を突いてきます

毎週お出になるのでしょうか?

”今日はまず日本の…”

ですもの、でますね♪



今年の舞台は武蔵国

「武蔵国」日本のお名前の中でも力強いですね

だけどドラマは武蔵だけに納まるようではなさそう





渋沢の栄一さん

まずは幼少時代から始まりました



これには驚きました

ダンシング シルクワーム




蚕は桑の葉を好む

小学5か6年生の時、蚕の飼育実習がありました

先生が、蚕、あの白い幼虫を数匹ずつ皆に配ってくれるのです

それを確か家に持ち帰り世話をしました

まずは、食べるものの調達ですが、どうすれば?

よく出来たもので誰かが知っているのです

『六角通の〇〇寺に桑の木があって、採らしてもらえるねん』

何人かで行きました

我々も最低限の礼儀はわきまえていた様で、

お寺の戸を叩き、

こうこうこういう理由ですので、桑の葉を採らせてください

とお願いして採り始めました

女だてらにとお思いでしょうが、木登りです

登って葉をちぎります

思いもよらず、実が成っていまして、その色は赤

誰かが実は食べられると言ったのですが、

勇気がなくて…

たっぷりの葉と、少しの実を持って帰りました

ありがとうございました、と挨拶しましたよ皆で


早速桑の葉をお蚕さんにあげていたら

母の顔が怒っています

何で?と思ったのですが

桑の実の色が、服に着いていたのです

そのあとの記憶は一足飛びに…

繭から蛾が出て、可愛くないので逃しました

六角通のお寺はもちろんまだありますが、

その時の友達は今どうしているのやら

という私の思い出話でした


栄一は元気はつらつですね

一万円札に上がる写真からは、ちょっとかけ離れた感じですが

どんな一生だったのか、楽しみです

この役の吉沢亮さん、鼻が膨らみますね(^-^;

興奮するとか、慶喜を追ってたくさん走った後だからか

この目力とこの鼻息の時はきっとフルパワーなんだろなあ






片や、静を演ずる



草彅剛さん

ほんとに大河ドラマは、配役がすごくてそれだけで

来週も見たくなる


青天を衝け

ドラマのテーマカラーは


薄い藍、濃い藍、どんな風に醸し出されるのか

今はまだ、畑で元気に育つ藍の苗の成長が楽しみです




無事に見守れますように

どうか 本日は晴天なり~ It's fine today  で




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遠くですけど揺れました

2021-02-14 17:46:33 | 青天を衝け

昨夜は、揺れました

11時過ぎ、最初にストーブがギシ、と言って

何?と思って照明を見たら、ひもが揺れ出した

これが揺れたら間違いなく地震で

床から体に揺れが伝わって来て

一旦止まったと思ったらまた揺れて

自分ではちょっと長かった気はしたのですが

また東北やなんて、どう申し上げればいいか

前の震災から10年経って、またなんてお気持ち察します


太平洋プレートの深いところだそうで

津波の心配はないけど、広範囲に揺れる

で、こちらは確か震度2だったと思います


最近私は怖がりになりまして

取りあえず、貴重品とその他数点をリュックに入れました

今までと違うのは、マスクと除菌シートの

大切度が上位に入ります

お布団の中でNHKのニュースを見ていたら、寝付きました

昨日はパジャマに着替えず寝ました


町内に、緊急時優先して助けに来てくれる制度に

登録しようかなあ~と思いました


で、結局大阪の息子と滋賀の私が揺れを感じたのでした

富山と京都は感じなかったらしい


今日は、箪笥の上に置いてるものを降ろそうと思い付き

昼間に半分降ろし下の引き出しに片付けました

今朝は、3キロほど歩いたし、かたずけものもしたし

久々の充実感は、ウォーキングのおかげです♪

やっぱり暖かくていいお天気ですとやる気になります


「麒麟がくる」も終わり、

今日から「青天を衝け」ですね

2月という中途半端なスタートですが

何だか、新しい1年が始まった、みたいな感じがします

脳内回路がおかしいな(^-^;

今年1年、無事に進むといいですね

ま、少々のことでこけない大河ドラマを証明済みですから

大丈夫と思います(^^♪

カモ~ン!です


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