kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

真田丸船賃六文波枕 十七

2016-09-13 19:47:40 | 真田丸

 

 

貼り付けた画像_2016_03_16_12_42

 

「大一大万大吉・だいいちだいまんだいきち」

 

意味は

 

大  : 天下

   一  : 一人の人間

    大万 : 万人、多くの人

     大吉 : 幸福、安寧、平和

 

「一人がみんなのために、みんなが一人のために力を尽くせば

天下が安泰になる」

 

という意味が込められています。

 

御存知、石田三成の旗印です。

 

そんな三成さん、いよいよ…

 

この方は、こんなにも実直な方だったのですね。

 

とにかく秀吉に死の直前、頼まれたことを忘れず、その通りにして行こうと

 

必死になって…

 

見ていると、なんと世渡りの下手な、不器用な人だったんだなあ~

 

と思います。

 

実際、今の政界にしろ実業界にしろ、

 

やっぱり石田三成型の人は…どうでしょうね。

 

疲れて、めんどくさがられて、損な人生。

 

 

前回、大谷刑部が三成に語られたこと、

 

それを聞いていた三成。

 

切ない…

 

もう、二人とも覚悟をした言葉ですよね。

 

大谷刑部は、自分の病状のことと、もう三成に勝ち目は残ってないということ。

 

それを分かりながら加勢すると伝え、さらに三成に発破をかけた。

 

三成には大谷刑部の心が伝わったのでしょうね。

 

涙ぐんで、決心が固まった様子でした。

 

いいシーンでした。

 

感涙。

 

そうして、家康はだんだん、したたかさが露わになってきました。

 

狸おやじ全開。

 

内野聖陽さまが憎たらしく見えてきたあ(ーー;)

 

 

さて今夜はまだ見ていない第36回「勝負」の録画を見ます。

はい、遅れてるんです(^_^;)

 

 

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真田丸船賃六文波枕 十六

2016-09-04 19:42:16 | 真田丸

 

いよいよ、犬伏の別れですね。

 

とにかく勉強を学生時代おろそかにしたもので、

 

「そんな別れがあったのか!」 と(@_@;)

 

 

真田家の皆様、一世一代の決断を迫られることになるんですよね。

 

父昌幸と次男信繫 vs 長男信幸、この方後継ぎさんですね。

 

さて、これは仲違いなのか、それともチラホラ耳にする、

 

「真田」を絶やさないためどちらかが生き残れるように別れて戦う計画

 

三谷幸喜さんはとにかく「真田丸」を史実に忠実に脚本を作るということなので、

 

 さあ、どっちでしょ。

 

 

 

 

秀吉の言い残した

 

『政は十人の大名の合意がなければ決められない』

 

それに逆らうように、家康は大名同士の政略結婚を決めるなどはみ出してきましたね。

 

三成と家康、それぞれに大名を宴に招けば、

 

伊達氏、宇喜多氏をはじめ主な大名は家康の屋敷へ 

 

ここらあたりから家康は、確たる意志を持って台頭してくるんですよね。

 

そうそう、こんなこと言ってましたね。

 

 

『 ん~、イケルかもしれないな 』

  

 

天下統一をしっかり描いてきたんですね。

 

ちょっとお堅い三成さんが怒り心頭、

 

いや、お堅いのではなくあくまで自分は豊臣家を守り抜くという

 

義に溢れる熱い武士なのですね。

 

大谷刑部や信繫の、いさめるのも聞かず

 

家康暗殺計画を立ててしまいましたが、

 

「壁に耳有り障子に目有り」

 

江雪斎にこれを知られ、家康にバレてしまいました。

 

ここぞと、家康は三成に謹慎命令発令!

 

信繫や上杉景勝は三成を守ろうとします。

 

景勝さん、三成を鎧の上からギュッと抱きしめ、諌めておられました。

 

 

そうなんですよ、この大河ドラマ、スキンシップが多過ぎる気がするんですが…

 

とにかく、お話する時に顔が近い!

 

喜び合う時は、頬をピチャピチャ叩いたり、抱き合ったり。

 

これは三谷さん流ということでしょうね。

 

ほぼ400年後にこの世に生を受けた私でさえ、こんなには~

 

実はうらやましかったりして。

 

 

さて、今までのことがどういう風に犬伏の別れに繋がって行くのか。

 

もう、8時まで時間がありません。

 

BSご覧になる方なら、もう知っておられる。

 

ぎりぎりに、書けました。

 

いつもとんとご無沙汰の「真田丸船賃六文波枕」

 

お読みいただき本当にありがとうございました。

 

最終回まで、出来る限りがんばってアップしたいと思います。

 

それではまた、お会いできる日まで

 

 

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真田丸船賃六文波枕十五

2016-08-02 01:30:13 | 真田丸

 

黄昏

 

”黄昏せまる頃 ため息ひとつ

私の人生に 灯りをともす

生きてゆくこととは ただそれだけで

悲しいことだと 誰かが唄う”

 

これは、松山千春さんの「黄昏」の歌詞です。

 

……

 

秀吉の「黄昏」

 

秀吉が壊れ始めたようで…

 

側近の石田光成、真田信繫はそれを他に知られないようにと

 

必死になっています。

 

でも、一番知られたくないであろう、徳川家康の前で秀吉は

 

同じ申し渡しを何度も言い…

 

やってしまいましたね。

 

 

『がんこな人、ボケますな。

ほんま。

字の通り固いたちの人。

心もかたくなな人、おりまっしゃろ。』

 

これは京都のお医者さんで早川一光さんの本

「わらじ医者 京日記」

の一節です。

 

いちがいにみんながこうだとは思いません

 

 

秀吉さんて、元々は明るく自由な人で、心もやらかい人の様に思えますが…

 

「わらじ医者」にこんな人の話が載っています。

 

とある女性、だんなさんは大酒飲みで夫婦仲は悪いようなのに、子供は5人いました。

 

わらじ医者さんの心配通り、だんなさんは肝硬変で亡くなりました。

 

子供達はそれぞれに結婚をしたりで独立していき奥さんの所には三女が残りました。

 

しかし、その娘さんが慰安旅行の飛行機の墜落で帰らぬ人となり、

 

奥さんの束の間の平穏がまたもや…

 

でも、立ち直り一生懸命働いて、ボケる暇なんか無い様に見えたのですが、

 

ところが!

 

事故死した娘さんの弔慰金がドンっと入ったのです。

 

奥さんは次第に派手になり、家も買いわらじ医者さんの所へは来なくなりました。

 

それから一年、突然あの奥さんが尋ねて来たのです。

 

聞くところによると、独立して行った子供たちが色んな事情を抱え

 

戻ってきたというのです。

 

そして、お金の無心が次々と…

 

わらじ医者さんの目には、奥さんは何かに追われ誰も信頼することが出来なくなっている

 

明らかに心の疲れが見て取れたのです。

 

『人をボケさせ、バケさせるのは年や病気だけではないことを、

私ははっきりと見た。』

 

とわらじ医者さんは確信したそうです。

 

……

 

秀吉は天下人となってもその野望は留まることはなかった。

 

そのためには多くの人を殺す事さえいとわない

 

残忍な心をむき出しにする秀吉

 

反面、世継ぎの秀頼をとろけそうな顔をして溺愛する。

 

家康はじめ側近の者に自分が死んだあとのことを

 

懇願する姿は惨めにさえ映る

 

 

誰でもが欲しいからと言ってトップになれる訳ではありませんから、

 

天下人まで上り詰めた秀吉はそれは凄い人だと思います。

 

 

地位もある財力もある。

 

優しい奥様の寧々さんも素敵です、どこが不満なん?

 

程々のところで、

 

『これでもうええわ』

 

と手を打って、寧々さんと平穏な暮らしをしていたら、

 

気持ちは楽だったでしょうねぇ

 

可愛く壊れて、みんなに見守られて終焉を迎えることが出来たかも…

 

思い返せば 

 

私はひょっとして、あの茶々さんが引き金になったのではと思うんです。

 

元々秀吉さんは織田信長の妹のお市さんが好きで好きでしょうがなかったんでしょ?

 

そのお市さんの長女が茶々さんで、面影を重ねたとか。

 

自分よりずっと若い茶々さんの気を引くため自分に箔をを付けたかった

 

そのために領土を広げ、お城を築き、地位と財産で

 

茶々さん獲得大作戦を繰り広げた?

 

やっぱり茶々(淀殿)は魔性の女人、信長の呪いも抱えていたんでしょうかねぇ

 

 

…… 

 

 

わらじ医者さんは、あの奥さんが

 

『どうしてワテらついてへんのやろ』

 

と言うのを聞き、小声で

 

『おばさん、ついてたんやけど、つきをお金で洗ったんやで』

 

とつぶやいたそうな…

 

 

諸行無常…

 

 

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真田丸船賃六文波枕 十四

2016-07-30 18:22:48 | 真田丸

 

 

今日は土用の丑、

 

炎昼13:30

 

部屋の中から持ち出した温度計を炎天下に置いてみました。

 

温度計のガラス管の赤い液はあっという間に40℃まで上昇

 

夕方のニュースが予想できます。

 

 

さて、

 

またまた久しぶりの真田丸となりました。

 

これだけ間を空けてしまうと、何をどう書いていいのやら正直戸惑っています。

 

そんな心境の中

 

ちょっと前から思っていたのですが大河ドラマ「真田丸」の面白さは

 

登場する人物像を丁寧に描いているところではないかと。

 

言葉であったり、映像であったり、しっかり説明してくれてます。

 

それも有名な人物だけでなく、

 

歴史の教科書などに名前の出てこない人物も大切に描かれていますよね。

 

第29回 「異変」 では、片桐且元(小林隆さん)

 

ずっと胃の不快感があるようで、食事はおいしく摂れてるのだろうかと

 

秀吉の傍にいてとても信頼されているようですが、

 

いつも無理難題を押しつけられ、

 

片桐さんは実直そうですし、すべて『ははあ~っ!』 と受け入れて、

 

それはそれは気を遣う日々を送っていたのでしょうから

 

ストレスから神経性胃炎みたいな感じになっているのかもしれません。

 

現代人も様々なストレスの中、こうした病状をお持ちの方も沢山おられると思います。

 

そういう私も、経験ないことはないですが。

 

片桐さんのそんなお人好しで人を疑わないところを利用して、石田光成と真田信繫は、

 

お布団すり替え作戦を決行!

 

まんまと片桐さん、術にハマってしまって…

 

吾が身の老いたるをしきりと嘆き、

 

益々胃の具合は悪くなったことでしょうね、可哀そうに…

 

当の仕掛け人は知らぬ顔の半兵衛

 

なんちゅうやっちゃ (-_-;)

 

でも、ひょっとしたら秀吉に信頼されて、ずっと重用されてきた人ですから、

 

おねしょ布団を押し付けられることぐらい何でもない、

 

主君のためならと、ああして引っかかったフリをしたのかな?

 

そりゃ分かるでしょ、お殿様のお布団と自分のお布団と

 

お殿様のはきっとツヤツヤの、絹でしょ!

 

それ以前の問題ですが…

 

 

 

ここでちょっと裏話ですが、胃の病を持ちながら奮闘の片桐殿をお気の毒にと

 

思ってか、思わでか、

 

NHK大河ドラマ「真田丸」の美術さんが、片桐殿に

 

熊の胆(くまのい)の入った巾着袋と水の入った瓢箪をプレゼントしたそうな。

 

熊の胆とは

(熊胆~ゆうたん)ともいう

クマ由来の動物性の生薬のこと

古来より中国で用いられ、日本では飛鳥時代から利用していたとされる

クマの胆嚢(たんのう)を乾燥させて作る

健胃効果や利胆作用など消化器系全般の薬  

 

 

にがそうですね~

 

片桐殿、効きますか?

 

胃カメラも熊の胆も、嫌ですね~

 

 

秀吉没後は、秀頼(拾・ひろい)の後見人として

 

片桐且元は徳川家との交渉役を担っていました。

 

方広寺つり鐘の文字の事件では駿府城に行く弁明の使者の役を任されたが

 

その対応が気に入らなかったのか、逆心の恐れを見せたのか

 

淀殿やその重臣の疑いを招き、大坂の陣では大坂城を出てしまいました。

 

そして、徳川方の人となったのです。

 

この辺のことは、いずれ「真田丸」で描かれると思います。

 

ただ三谷幸喜さんは「真田丸」はあくまでも史実に忠実にを

 

モットーに脚本されてるとのことですが、

 

片桐且元は本当は賤ヶ岳の合戦では「七本槍」の一人として戦ったりして

 

武勇伝を残した荒武者でもあったのです。

 

今のところ、そういった面は見えませんよね?

 

大坂の陣での片桐さんは、どんな顔で現れるのか?

 

 

これはまだ少し先のお話でございます。

 

 

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真田丸船賃六文波枕 十三

2016-06-19 16:07:33 | 真田丸

 

真田丸と共に船出するも、わたくし、いつの間にやら船底で眠ってしまった様で

気付けば景色はずいぶんと変わってしまいました

 

 

 

第一次上田合戦で徳川を倒し、

真田信繫が青春の日々を送った上田の地より大坂へと舞台は変わりました

 

 

 

 

こう言っては申し訳ないかもしれませんが、やはり

信繫は田舎から都会へ出て来た感があったと思います

 

 

 

この信繫、上杉景勝の人質から秀吉の人質になり

大坂に来たわけですが、

人徳と、やっぱり優秀な方だったのでしょうね

 

景勝の人質になっても相互の信頼を築き、また秀吉の馬廻り衆となれば

秀吉のそばで警護の役、更には政策会議にまでも参加するようになりました

大坂の日々は人質の割には充実していたようです

 

 

 

 

それから茶々さんね~どうなんでしょ

信繫に行為を抱いてるようですが

ギリギリのところで阻んでますね、信繫さん、今のところは

今後何か起こるような、そんなことないような…?

妖しい空気が…

 

『そなたと私は一本の糸で結ばれている…』

と、なんだか呪いの言葉

 

これから先、茶々は蟄居中の九度山より大坂城に信繫を呼び戻し、

大坂夏の陣で信繫は討たれるというのは紛れもない真実で

変えようもありませんが…

 

正直、今生きている人は歴史のオーソリティであろうと誰一人

自分の目で見た人はいないのですから、

その史実と史実の隙間にどんな出来事を持ってこようが御沙汰はお咎めなしですよね

 

そこんところを三谷幸喜さんのとっておきの妄想、あ失礼、構想力で

視聴者をアッと言わせて頂きたいものです

 

期待しております

 

 

 

 

語り~NHK社員

 

 

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真田丸船賃六文波枕 十二

2016-05-16 19:27:49 | 真田丸

 

真田丸第十九回 恋路

 

  

 

『 おかしな話をします

 

私と源次郎は不思議な紅い糸で結ばれている気がするのです

 

そして私達は同じ日に死ぬ 』

 

 

茶々のこの言葉に源次郎は(幸村)は、

 

『 遠い先の話であることを祈っています 』

 

と答えた

 

 

『 まだ先の事でございます 』 と、

 

ここでも、有働由美子アナウンサーは言うでしょうか…

 

 

大坂夏の陣、源次郎は奮戦空しく四天王寺の近くで徳川方に討ち取られ

 

大坂城は落ち、その翌日淀殿(茶々)は秀頼とともに自害し果て

 

二人はほぼ時を同じくして死にました

 

茶々さんの紅い糸…

 

石田光成、大野治長、真田源次郎(幸村)

 

絡んでいたのですか

 

” 捩花の茎は真すぐに未練なき ”

 

 

 

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真田丸船賃六文波枕 十一

2016-04-24 19:24:07 | 真田丸

 

                               (2016.4.22)

 

天下統一を遂げる豊臣秀吉の築いた大坂城

 

ここから南の方角に、かつて「真田丸」がありました

 

徳川軍の城攻めを阻止しようと、真田信繫が築き、

  

大坂冬の陣で見事、徳川勢を撃退した出城 「真田丸」です

 

お城は残っていませんが、「真田山」という名は残っています

 

 

小学校の名前、マンションの名前、商店、プール、

様々に「真田山」は付いていました

 

真田山の「三光神社」にある銅像

 

真田の抜け穴

大坂城に繋がっているといわれます。 

 

 

心眼寺

 

山門前には真田丸の跡を示す石碑がありました 

 

 心眼寺前に立つ 「真田幸村出丸城跡」 の石碑

 

 

「真田丸顕彰碑」 

この向こう側には学校がありました

 

戦の犠牲になった人達を供養されているのか

沢山のお寺が建っています

 

 

 

 この辺りはJR天王寺駅が近く、あべのハルカスからそう遠くない所です

 

 ↓ 「安居天満宮」 

 

「真田幸村戦死地」 とされる 「安居天満宮」

 

 

”  真田山幾多の魂落ち椿  ”

 

”  逃げ水の坂道くねる真田山  ”

 

……

 

大坂冬の陣では、信繫(幸村)達の野戦案が却下され

大坂城での籠城作戦が決定する

そこで信繫達は弱点である城の南側に「真田丸」(出城)を築いた

信繫は鉄砲隊を率いて敵に大打撃を与え、徳川勢は撤退

 

しかし、冬の陣の和睦に伴う堀の埋め立て工事の際、真田丸は取り壊される

更に徳川は信繫に寝返りを持ち出すが、信繫は断じて従わなかった

 

半年後、夏の陣勃発

信繫は家康の首だけを狙い本陣に突撃するも

次第に兵力で勝る徳川が挽回

安居神社に逃げ込んだが討ち取られたのだが…、

 

 

 

NHK大河ドラマ「真田丸」の中では、まだ先の話でございます

 

 

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真田丸船賃六文波枕(拾) 梅ちゃ~ん

2016-04-04 18:21:13 | 真田丸

 

梅ちゃ~ん


言わんこっちゃない!


なんで、戦場に行ったの?


すえちゃんがお乳欲しがるのに


村の人たちのお世話も大事なことは分かるけど


今、梅ちゃんが一番しなくてはいけないのは


戦場に赴く事ではなくて、赤ちゃんを見てあげることなのに


真田家の次男を父に持つすえちゃん、


いえ、お偉い方の子ということではなく


すえちゃんを見てあげるのは梅ちゃんが一番、


今しか出来ない事ではないですか


賢明な梅ちゃん、戦の嫌いな梅ちゃんが


どうしてこんな事をしたのか理解できません


きりちゃんが、あんなに言ってくれたのに…


きりちゃん、ライバルだけど一番の友達ですね、やっぱり


すえちゃんのこと、守ると誓ってくれましたよ




今の世も同じようなことがあるんですよ


最近も保育園に我が子を入れられなかったと、


きつく怒っている女性がいたんです


こんなこと言ったら、反感持たれそうだけど、


保育園に幼い子を預けて共働きをすることの重要さ?


もちろん、色々な事情で、母親が働き手という事もありますが、


やはり、今なにが一番大事かと言えば


母親が幼子をしっかり育てることではないでしょうか


決して女性蔑視で言ってるのではありません


私も一応女ですから、そんなこと出来ません


女性の特性、男性の特性と考えると


女性が赤ん坊を育てる事の右に出るものはないと思うんです


適した仕事だと思うんです


保育園外れた!と怒ってるという方の中には


工夫をしてみれば、夫の収入でやっていけるのでは?


仕事復帰が遠退く?


いえ、その気になれば道は出来ますよ、あなたなら


保育料だって相当の出費ですよね


どうか、今しか出来ない事


お乳をあげて、おむつを換えて、遊んであげて、


しっかり向き合って下さい


ほんとに、今しかないんです


二度とこの時はやってこないんです


私ももっと子供を見つめる時間を作ればよかったと思います


 

亡くなった梅ちゃんにこんなこと言ってごめんね

 

大好きな信繫さんとすえちゃんとの温かい日々はもうないのですね



ああ、女性の力、柔らかい力を大切にしてほしかった…


梅ちゃん、悔しいでしょうけど、どうか安らかに…


 

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真田丸船賃六文波枕 九

2016-03-31 20:26:11 | 真田丸

 

 

真田昌幸の二枚舌、三枚舌、その変わり身の巧みさに

 

秀吉に 『表裏比興の者』 と、言わしめましたが

 

どうやらある程度の形になったようです

 

上杉に付き上州の沼田、信州の小県を真田の領地とすることになりました

 

そして徳川家康とはこれから真っ向勝負!

 

 

そんな中、次男真田信繫(幸村)、喜んで上杉の人質となりました

 

上杉景勝、信繫お互いに好感を持っているようです

 

信繫と祝言を挙げた梅さん、

 

『子が出来ました』 

 

と言ったのはどうやら、ヤマ、掛けてました

 

ここという時、女性は強いですね(*^^)v

 

でも、ほんとに赤ちゃん、生まれました

 

梅ちゃん、おめでとう。

 

これで旦那様も揺るぎません…多分

 

ま、ちょっと覚悟しておきましょうか、梅ちゃん

 

 

登場人物、みんな意外な面を見せて、油断なりません。

 

登場人物の個性振り返ってみたいと思いました

 

 

真田丸の脚本の三谷幸喜さんは、ユニークな方ですよね。

  

その三谷さんは史実に忠実に作りたいとおっしゃっています

 

 

  

真田昌幸 

 

サバイバルな戦国時代、そのためにあらゆる手段を尽くし、

次々主君も変えた

 表裏比興の者と豊臣秀吉が評したほどの人です

 

 

真田信幸(信之)

 

昌幸の長男、真面目で一本気な人

嫡男としての責任を抱えて進んでいきます

初めは父のズルい戦法に反感を持っていましたが、

その本意が分かってからは、真田家の長男として尽くしていきます

弟にも信頼を持っています

 

演じている大泉洋さん

この性格、 どうでしょう

ご本人とは違い実直な役ですね(言いすぎました

もう10何回見てますので、慣れましたけど

 

 

真田信繫(幸村)

 

主人公は、次男で人質時代の長かった人です

今はまだ青年ですが、これから「日の本一の兵」 と言われるほどの

武勇伝を残していきます

兄は

『 物事柔和忍辱にして強からず。

言葉少なにして怒り腹立つことなかりし 』

と弟の事を評したそうです

 

思うのですが長男、長女と違い、どこか気楽なところがあり、

柔らかくことに対処出来たのではないでしょうか?

 

そ、長男、長女はつらいよ~

 

となりの梅ちゃん、信繫の初恋の人で、

側室ですが一番最初にお嫁さんになって

信繫の最初の赤ちゃんを産んでます

 

いったいあと何人お嫁さんもらうのでしょうか

 

 

矢沢三十郎

 

真田家第一の家臣、三十郎さんは信繫と行動を共にしてます

人質となって上杉方に行く時も警護として同行し、従っている人です

 

まだまだ興味深い人がありますが、今回はこれにて

 

いよいよ徳川家康が暴れ出しそうですね

なにしろ、真田昌幸はあれだけ怒らせたのですもの

 

 

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真田丸船賃六文波枕 七

2016-03-07 11:49:06 | 真田丸

 

真田丸

 

生き残るためなら相手を欺き、味方をも欺く…

 

そんな真田昌幸(草刈正雄)は、もうサバイバルだけではなかった

 

だれの傘下にも入らない

 

元武田の家臣であった国衆たちを束ね独立した国の大名になろうと

 

考え始めた

 

 

そりゃ、北条、上杉、徳川という大大名と同等のように渡り、

 

悔しい思いを何度もした昌幸ですから

 

当然かもしれません

 

先を見越した調略が功を奏して、信濃から北条と上杉を追い帰し、家康から

 

諏訪、甲斐、沼田を真田の領地とする約束を取り付けたのですが、

 

相手も黙ってはいませんでした

 

北条が徳川と手を組むという大どんでん返し策に打って出たので

 

信濃と上野を返す羽目になり、昌幸の考えは大誤算となってしまったのです

 

そんな中でも

 

” 人の命を損なわず勝つ ” 

 

そんな父の考えの深さに、二人の息子はまた父を尊敬するようになった

 

といういい事もありました

 

 

 

ここで、ちょっと先走りになるのですが、この先、

 

「 大坂の陣 」が起こり、真田は豊臣側として戦いますが、

 

そのことの起こりが、あの

 

『 国家安康 』 の文字

 

豊臣秀吉が京都に建立し、秀頼が再建した京都の方広寺の大釣鐘ですが

 

そこに刻まれた鐘銘の中の、この四文字小さな小さな四文字

 

これをを徳川方は

 

「国家安康」は「家康」を真っ二つにしている

 

と、云わばいちゃもんですよね~

 

関ヶ原の合戦で天下をとったものの、豊臣の力はまだまだ

衰えてはいなかったので、何とか根絶やしにしようと

徳川方の仕組んだ策略だったのです

 

とこれは皆さん熟知の歴史のひとくだりですが

 

先日、方広寺に行ってきました

 

 「 君臣豊楽 」 「 国家安康 」

 これがね~

 

私だったら、 

「家康さんが身を砕いてまで国の安穏を叶えて下さった…」

と、

 

そう甘くはないと、はい

 

 

 

 天井は極彩色の格天井で、

(撮ったままでは、天女がひっくり返るので、写真をひっくり返しました)

 

ここで、編集させていただきます

コメントに上の写真が逆で違和感があると頂きました。

上に書いた通り、天女が撮ったままではひっくり返るので

わざと写真を逆に回し載せてみました

それでは、

この下に、ありのままの~♪

写真の向きで載せてみます

で、お好きな方をご覧頂けたら幸いです

 

コメント頂きまして、ありがとうございました。

今後もまた、何かありましたら宜しくお願い致します。

 

 ↓ これが写真を撮った時のままの向きです。


この方が心地いいですか?

 

 82.7トンの釣鐘、撞木も、大きかったです

 

 

 鐘楼

 

 南大門

 

 この門は三十三間堂の南端にあります

この左側に、土塀が続いてるのですが、

「太閤塀」 と呼ばれています

昔はここから今の国立博物館を超えさらに今の方広寺の境内までという、

大変壮大なお寺でした。

 

三十三間堂の東側の道路

 

道路のどんつきの白い屋根が京都国立博物館で、それも含め

その向こう側の方広寺までが昔の境内でした

 

家康は当時、三十三間堂も抱え込んだ広大なお寺を造っていた事が分かりました

 

境内の周りの石垣、相当大きな石を積み上げています

 

 

随分飛んでしまいましたが、真田丸、来週は第十回「妙手」

 

真田はどんな、妙手を打って出るのか

 

大誤算の後ですから

 

是非とも、倍返しで

 

 

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