kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

お江戸の言葉もべらぼうで

2025-02-19 19:00:56 | べらぼう

 

 

 

ドラマ「べらぼう」には分からない言葉が

ぽんぽん出て来ます

 

あ、また聞き取れなかった~と

専門用語もありますし

 

エイッ

調べるしかない

 

こんな言葉がでましたね

 

「改・あらため

 

情報を集め原稿を新しいものに編集する

 

蔦重は「吉原細見」の「改」をしていた

 

でも本に関わる仕事の「仲間」にしてもらえなくて

鱗形屋に入って「改」の仕事をすることに

 

まあ、仲間もいけずですね

 

 

「赤本」と「青本」

 

「赤本」は子供向けの絵のある読み物

「青本」は大人向けの絵入り読み物

 

売れてない

どうやら飽きられてるようです

 

花の井「青本が面白くなれば読む」

それを聞いた蔦重「面白くすれば売れる!」

 

 

 

「早引節用集」

 

室町・江戸時代にあったいろは引きの

国語辞書のこと

「節用」は節約

早引き…辞書を「字引き」とも言いますね

 

第6回「鱗剝がれた節用集」で

「新増早引節用集」は「増補早引節用集」の

にせ版で

企んだ鱗屋孫兵衛はしょっ引かれて行きました

 

本家本元が偽版を見つけたんですから

 

ちょっと前に蔦重は鱗方屋と西村屋の

ひそひそ話から自分が利用されている事

 

他に早引き節用集は海賊版で

鱗形屋や作ったと言う事を知った

 

また蔦重は、偽節用集のロスを厠で見つけた

これは動かぬ証拠ですね

 

ただ、訴えたり本人達を正すことは

出来なかった

蔦重

 

 

「金々」

蔦重の居た時代の江戸に

細い髷、着物の裾をだら~と長く

 

こんな身なりでカッコつけて歩いてた男性を

「金々」という

ドラマの中で金々を描いた錦絵が映りましたが

今も錦絵残ってるのかな

 

 

 

「半可通・はんかつう」

 

いい加減な知識しかないのに知ったかぶりする人

 

蛇足ですが国語辞典で

「半可通」の前には「ハンカチーフ」

「半可通」の後には「蛮から・ばんから」

が載ってました

はんかちーふ~はんかつう~ばんから

 

それがどうした <m(__)m>

 

 

花の井に売れる本の相談に行った時

そこにいた花魁たち

 

「金々なやつが面白い(半可通な奴)だから」

 

金々を本に載せたらいい、と花魁仲間が

ナイスな助言♪

採用! かな?

 

 

求愛ダンスの派手な黒光りしてる鳥がいますが

「カタカケフウチョウ」

 

みたいなのが金々?

鳥さんか人間さんかどちらに失礼だったかな

 

 

 

花の井はいつもタイミングよく蔦重を

バックアップしてくれてますね~♪

 

吉原で共に育った幼なじみ

蔦重は一歩踏み出すことは出来ないんでしょうね

 

歯がゆいなあ~

 

今や!言うてしまおう

 

なんてお茶の間から声かかってるんでは

 

「光る君へ」との共通点

 

1、本を作り上げる

2、生きていく境遇の違い

 

「花魁」はう~んと高い所にいる女性

 

 

蔦重と花の井はどうなのか

さっぱりわかやまみかんぶね

 

なんか切ない…

 

 

 

 京都には「島原」「五条楽園」などがあった

 

京都定期観光バスの半日コースで「島原」行きました

 

島原の揚屋「角屋・すみや」見学しました

揚屋(あげや)は料亭のタイプ

太夫や芸妓さんを「置屋・おきや」から呼び

お客さんと遊宴を繰り広げる

 

「置屋」は太夫や芸妓を抱え教育するところ

呼ばれれば派遣させる

 

以外にも男女だれでも遊びに行けた遊郭だった「島原」

 

各藩の武士、新選組などもひんぱんに出入りした

 

 

観光ツアーで見学した部屋の壁が

薄紅色だったり独特の色合いでした

 

江戸では「花魁」 京都では「太夫」と

呼び方が異なる

 

 

京都には江戸時代「寛永三名妓」と称えられた太夫がいた

 

太夫は知識、品格、遊芸すべて優れていた

踊り、楽器、和歌、俳諧、茶道、花道

諸々修行を積んできた女性

 

 

 

吉野太夫

 

江戸時代初期の島原の太夫

武家の娘だったとか

14歳⁉ で二代目吉野太夫を襲名

 

関白近衛信尋(このえのぶひろ)と

灰屋紹益(はいやじょうえき)が

身請けを争った

どちら様も大富豪~

 

 

夕霧太夫

 

嵯峨釈迦堂(清凉寺)で夕霧太夫の

太夫道中を見たことがあります

 

夕霧祭

夕霧の法要(本堂にて)のあと⇒太夫道中

清凉寺の境内を太夫道中が通ります

禿ふたり、傘をかざしてあげる男性を引き連れて

 

カメラマンの数が凄かった!

 

太夫はきれいな方でした

まっすぐ前を見て歩く

結ってる髷も着ている着物も履いてるぽっくりも

非常に重たそうで

それでもあのぽっくり裁きのきれいなこと

素足で「内八文字」で

からからからから…と

 

 

( 履物の呼び方分かりませんでしたので子供の頃

「ぽっくり」とか「おこぼ」と言ってたもので

ぽっくりと書きました

分かり次第「改」いたします<(_ _)> )

 

清凉寺の近くに生まれた方でお墓も近くにあるそうです

 

 

 

京みやげに生八つ橋がありますが

「夕霧」と銘打った生八つ橋もあります

販売元は「井筒八つ橋」です

 

あ、思い出した!

京都の嵯峨野に住んでいた時、

肉桂の香りが遠くから漂います

 

井筒八つ橋の会社が近くにあったんです

生八つ橋の切り落としを安くで売ってました

美味しかった(^^♪

 

 

 

桜木太夫

 

歌人

島原の太夫で和歌に秀でた人でもある

当初は桂小五郎、その後伊藤博文の愛妾

伊藤博文がハルビンの駅で暗殺された後

尼となる

 

 

 

歴史ある「角屋」や島原の町並み

揚屋も置屋も残されている

 

今も定期観光バスで訪れる事できるかなあ

 

 

 

蔦重は23歳の頃から3年程の間に

 

*蔦屋の一角で貸本屋「耕書堂」開店

*「吉原細見嗚呼御江戸」

*「一目千本」

*錦絵本「雛形若菜初模様」

あれこれ工夫をこらしながら

板元や出版を自ら行い本を出す

もめ事もある

 

でも折れる時は折れる!

これには感心します

 

「ぬれてにあわもち」も頂いた

 

頑固一徹ではないんですね、蔦重

 

頑固な私には、よく辛抱しゃはったなあ~

と驚きます

それにつけても鱗形屋さん、西村屋さん

そちら悪よのう~

 

でも長谷川平蔵が逮捕しましたね

お願いです

唐丸はどうなったんでしょう

大捜査網をひいてくださいね<(_ _)>

 

唐丸~!

帰りにくいかなあ~

蔦重は怒らないと思いますよ

生きてるなら蔦重のところに帰って来てね

 

 

 

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