kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

青天を衝け~wonder

2021-06-26 21:46:38 | 青天を衝け


第19回  勘定組頭、渋沢篤太夫


一橋の懐具合を、調えることになった篤太夫ですが

不思議です

こんな短時間で、経済の意識豊かに策を練り出せるとは

①摂津・播磨の米の入札
②備中の硝石
③播磨一橋の木綿

帳簿を覗いてこれだけ見つけ出すとは!

思い付くのは、血洗島で父っさまと藍の仕事をした


あの仕事のやり方を一橋の経営に当てはめたのですか?

すごいなあ~

経済のことは、疎いのですが財閥というか

確か、カルテル、トラスト、コンツェルン

という言葉がありましたが、これですか?

例えこれだ、と分かっても私には意味が分かりませんが

篤太夫が栄一だった頃に教えられた商いが

役に立った、ということなのでしょうか

でもそれで幕府の財政に入り込めるなんて

賢い人!


こんばんは家康さんも、徳川も経済の意識なしでは

乗り切れない

と仰ってました

確かにもっと上層部でも色々徳川を豊かにしようと

対策を立てておられるようでしたね



*幕府勘定奉行の小栗上野介さん
経済産業大臣みたいな立場ですか?
フランスと公儀のコンパニーをどうとかこうとか



*薩摩藩士の五代友厚さん
ベルギーとコンパニーをつくって薩摩は幕府の先を行く
なんか、万博とかも言ってましたね?
薩摩言葉が理解できず…(>_<)

こうなりますと、篤太夫は不利?

となると、応援したくなります、篤太夫を


ある時、篤太夫が一橋家臣の猪飼勝三郎にあれこれ言ってた時

猪飼様、篤太夫の話に、またヤキモキされてましたね

通りかかった慶喜がそれを聞き留め

続きを聞きたいということでこれ幸いと

一橋の銀札を作りたい、と願い出る篤太夫

許しを得た

やりましたね

試作したりしながらも、なんと半年後に

「銀札引換所」設立の運びとなりました

どこかの政府より早いかも

この一橋の銀札は業者の信用も得られた

慶喜の「よくやった」と、

「勘定組頭」に任命という出世も頂いた


この前に、慶喜も一大事があったんですよね~

大変だった様子です

でも、仕事が早かった

将軍をやめるという家茂のところへ馬を飛ばし、

話が固まったのか、次は天皇のところへ行き

「勅許」をもらった

1865年「日英修好通商条約」への勅許

「日米修好通商条約」から7年も後だったのですね

そんな時の篤太夫のややこしそうな願い出だったけれど

慶喜に許してもらえ、よかったです♪



この世は幸せ不幸せが、交互にやって来るような

成一郎と篤太夫は別々に生活することになった

同じ一橋家に仕えるとは言え、考え方が違ったようです

武士ならば命をかけてもという成一郎と

死んでしまったら、なんにもならねえという篤太夫


ずっと行動を共にした幼なじみ同士

どうなるのかなあ





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