第18回 檀ノ浦で舞った男
頼朝は少しでも火種になりそうなことは
ことごとく消してしまいたいようで
信濃源氏の義仲、義高を討ち取り、
甲斐源氏の武田信義を抑え込み、その嫡男は殺された
次の標的は
源範頼、義経は、瀬戸内方面に進軍した
範頼は義時と共に周防まで進軍
義経は暴風雨のため摂津で足止め
辛抱できない義経は反対を押し切り、悪天候の中進軍していった
瀬戸内海は穏やかな気候の所と聞きますが
この時は荒れたのですね
鳴門の渦潮など海流も過酷な条件のひとつだったでしょう
文治元年(1185)3月
義経率いる軍は、檀ノ浦へやって来ました
義経は、厳しい戦いでの勝利をもぎ取りましたが
やってはいけない事をしていました
漕ぎ手や舵取りを討つのは戦の作法に反する
味方の諫めるのも聞かず、味方にもそれを強いるなど
これは、あかんやろ~
平家軍の舟から舟へと飛び移る、「八艘飛び」
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これはかっこよかった、と言えばひんしゅくを買いますが
見事でした
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海に慣れ、さらに地の利も大きい平家を滅ぼしてしまいました
檀ノ浦の戦、もの知らずの私もこれは心に残っています
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二位尼は死を決意して、幼い安徳天皇を抱き寄せた
安徳天皇が「どこへ連れてゆくの」と仰ぎ見れば、
二位尼は
「弥陀の浄土へ参りましょう波の下にも都がございますよ」
と答えて、ともに海に身を投じた
総帥宗盛も嫡男の清宗と入水するが
命を惜しんで浮かび上がり水練が達者なために
泳ぎ回っていたところを義経軍に捕らえられた
小泉孝太郎さん演ずる平宗盛は総帥なのですね
そして、こういう事で、源氏の陣に連れてこられたのですね
この戦いにより、平氏(伊勢平氏の平清盛一族)は
25年にわたる平氏政権の幕を閉じた
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三種の神器の刀も安徳天皇も
海の底へと消えた
戦は一時止まり、源氏平氏共に手を合わせた
義経には想定外の結果だった
「この先私は誰と戦えばよいのか
私は戦場でしか役に立たぬ」
遠くを見つめ、何を思っていたのだろう
梶原景時曰く
神がかった強さを持つ
才走る
人の情をないがしろにする
勝つためには手段は選らばぬ
そういう気性だったんですね…
そう言えば、義経は鎌倉へ帰れない
兄の喜ぶ顔見たさに、ここまで戦ってきたのに
検非違使に任命されたということは京を離れてはいけない
えらいこっちゃです(>_<)
そんな時、捉えていた平宗盛を鎌倉へ送る役目を受けた
が途中、
頼朝からは鎌倉へ義経を入れるな、という命令が下った
ああ、お兄さんはもう…
義高を許したように、許してくれないのでしょうか
助け船がでないのでしょうか
その時、平宗盛が義経のために嘆願の文を書いてしんぜようか?
よかった!渡りに船ではないですか
でも、その文は義経の自筆ではない、と見破り
余計にこじれたようだ
義経は、もう見放されたと悟った
そして、法皇第一に仕える
「源九郎判官義経」と名乗り京で生きることにする
と、決心したのですが…
初めて兄に会った時、
嬉しさのあまり号泣していた義経だったのですが…
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