秀吉のかか様の仲、人質として家康のところへ来ました
要らぬ飾り気のない優しそうな方です
人質という辛い毎日の中、見つけましたよ
心の安らぎを(^^♪
井伊直政
イケメンぶりに一目ぼれ
それから、娘の旭もそばに居てくれる
でも人質ですし…
井伊直政、顔では笑って仲のお相手をしてはいますが
今、関白殿下秀吉のところへ挨拶に行っている殿を案じ
相当な準備をしています
仲の部屋の前庭にどかっと薪
寒いといけませんからという建前
殿になにか起きれば、すぐさま薪に火を付け
ばあさんを焼いてやる! という本音
可愛い顔してあの子
相当やるもんだね~
家康家臣は感心しておりました
頼もしいような、空恐ろしい様な
さて、秀吉の弟の秀長の屋敷に家康は通され
いよいよ関白豊臣秀吉との対面です
家康が、殿下にはもう陣羽織は着けさせません
との言葉を受けて
秀吉は諸国の家臣の前で一芝居打つことになった
家康「殿下の陣羽織を頂戴いたしたく…」
と、うやうやしく言います
すると、秀吉は激怒 のふりをする
家康「殿下には陣羽織を着させません
戦なき世をつくります」
それを聞いた秀吉はその家康の忠心に喜び
陣羽織を、自ら家康の肩に掛ける
という、猿芝居の一幕
その後、大坂城の廊下で、たまたま
石田三成と家康は会いました
三成は夜空の星の並び方を見ていた様で
家康に、その興味深い見方、星をつないで線を想像すること
教えてくれました
いつになく家康は楽しそうでしたね
江戸時代の家康は、様々な道具を手に入れたそうで
時計、鉛筆は聞いたことがありますが
他にもいろいろ集めたのでしょうね
一番実用的なのは漢方薬でしょうか
「薬研」
すでに築山殿といっしょに薬研をひいていた姿が
ドラマの中にありましたね、私もあれ、
一度体験してみたいです
話が反れました
石田三成が、家康に教えていた「ひしゃく型の星の並び」
「その横の星、外国では大きな熊に見立てている」
「北斗七星」
おおくま座の腰からしっぽと見立てる七つ星
家臣酒井忠次が
「殿は戦の話よりああいう話がしたかったのじゃろ」
石川数正と共に永らく仕えた重臣酒井忠次だけに
こころのうちはよお~く分かっておられるということですね
やっぱり、家康はよい家臣を持っていたんですね
さて、差しあたっての難題は秀吉から命ぜられた
真田昌幸との談合
「沼田の地を北条に明け渡して頂けますか」
俄然、真田は抗った
で、この方も一芝居してましたね
昌幸とその息子信之(信幸)の二人による
題して「壺は誰のもの」 勝手に付けました(^-^;
酒井忠次、本多正信らとの、すったもんだが有りまして
正信が「関白殿下の指図でもある」
といえば
昌幸は「たやすく殿下のお名前にすがらぬほうが
よろしいですぞ、格が落ちますぞ」
この言葉に徳川の面々、殺気立ちました
そこで家康は一歩引き、他の取引を提案すれば
昌幸「有り体に言えば、我らは徳川殿を信用できぬ」
そして、示した要求が
「德川の姫を息子に頂きたい」
「無理となれば、家臣殿の娘を…」
大河ドラマ「真田丸」で真田のお父さんは
なかなかの策略家と聞いていましたが
手強そうな相手ですね
さあ、どうする家康
秀吉のかか様は心の温かい方みたいですね
家康の母、於大の方は欲望の大きい方
信長の母の土田御前は、信長、市、その他の武将の生母
有り体に言えば、長男信長には手こずった母なのでは?
でも優しい母だったのでしょうね
晩年は、子や孫と暮らしたようです
余談なのですが、秀吉の関白に任命のことから
気になったことがあり
Wikipedia、お借りしました、下記のとおりです
☟
天正7年(1579年)
信長がそれまで就任していた右大臣兼右近衛大将の官職を辞任したことで
朝廷は困惑した
天下統一を間近に控えた信長に官位を与えないということは、
朝廷の権威を損なうことになりかねない出来事だからである
そこで朝廷は天正10年(1582年)5月
信長に「征夷大将軍」「関白」「太政大臣」のうち
いずれか好きな官職を与えるとした
しかし、その翌月に信長は「本能寺の変」で亡くなってしまう
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