kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

鎌倉殿の13人 第8回 いざ、鎌倉

2022-03-06 13:19:05 | 鎌倉殿の13人





「いざ、鎌倉」 

この言葉が早々と、副題として出てきましたね

以前にもちょっと触れていて重複しますが

由来は謡曲「鉢木・はちのき」の中の出来事



「只今にてもあれ、鎌倉に御大事あらば
ちぎれたりとも此の具足取って投げかけ
錆たりとも長刀をもち痩せたりともあの馬にのり
一番に馳せ参じ…」




この謡曲「鉢木」は、鎌倉殿の第五代執権・北条時頼が
引退後に僧侶の姿で諸国を旅した伝説をもとに作られました
旅の途中で、大雪に見舞われた時頼は
近くの武士・佐野源左衛門の家に泊めてもらいます
源左衛門は一族に領地を奪われ、とても貧しい暮らしをしていました
しかし、なんとか温かい食事を提供し、囲炉裏の薪がなくなると
鉢植えの梅や松を燃やして時頼をもてなします
囲炉裏を囲みながら、源左衛門は僧侶姿の時頼に
「どんなに貧しくても武具と馬は手放さず
いざという時には真先に鎌倉へ駆けつけるつもりだ」と語ります

源左衛門は僧が時頼であることを知りません

時頼を送り出してからしばらくして
源左衛門に、幕府から召集の連絡がありました
「いざ鎌倉」と馬で駆けつけた先に居たのは、雪の日に泊めた僧でした

時頼は、源左衛門の言葉に嘘はなかったと褒め
奪われた領地を取り戻してあげたほか
鉢植えを燃やしてまでもてなしてくれたお礼に
新たな領地も与えました 


ということ、とある処より引用させてもらいました

北条義時が二代目執権なので、五代目ならまだ先

このドラマでは描かれないような<m(__)m>



執権と将軍、ややこしいですね

政治の実権を握っているのが執権

高貴で血筋の良い人物が就くのが将軍なのかな




さて、平家を倒したくてしょうがないい坂東武者

たくさん集まりましたが、その実まとまらないですね

いつか誰かが暴発しそうです

血筋の良さに頼朝のもとに集まって来てますが

その頼朝も、信じていいやら悪いやら…



ちょっとほっとするのが、北条義時と三浦善村

いとこ同士なんですよね

ふたりはなんでも話せる間柄みたいです

が、善村からは、たまに裏と表のお顔が

ただ、今回は義時の頼みを聞いてくれたし

大事な情報を持って来てくれたし、ええ人です



三浦善村の役の山本耕史さんですが

新選組では「待たせたな」と、土方歳三役

幕府を守る、死ぬまで守り切る、という気迫で

北の果ての北海道の五稜郭辺りで戦死しました

この役の印象がぬぐい切れず、善村役は方向性が違うけれど

若い時から役者さんで経験豊富でベテランの域ですね

まだお若いしこれからどんどん様々な役をされると思う

色んないい役見せて頂きます


一方、源義経が動き出しましたね

平家を倒すと兵を挙げた兄である頼朝の力になろうと

平泉から鎌倉へ向かっています

が、途中で富士登山をしたり、海の匂いに誘われて

海が見たあ~い、とかけて行く

自由奔放、やんちゃな弟ですね、運動神経は良いし

兎の取り合いは、ちょっとやり過ぎではないですか?

喰うか食われるかの世では、これで普通?

明るく元気な義経を見るにつれ、後々の…悲しくなります

頼朝 「いざ鎌倉」
義経 「判官びいき」

こんな言葉が今にまで伝わって来ました


毎日、ニュースではウクライナとロシアの様子を

刻々と伝えています

一日も早く、戦争を止めてほしいです


そんなさ中に、戦のドラマに一喜一憂してます

ひんしゅくを買うかもしれませんが<m(__)m>


さて、武田信義とも折り合いが付き、

梶原景時も大庭と袂を分かったというし、

どちら様も頼朝になびいて参りました

義時の努力あってのことですね

そして、鎌倉の御所をどこに据えるか

頼朝は、大蔵?大倉?「おおくら」という所に決めました

おそらく今も史跡が残っているでしょうに

数年前に旅行した時は、御所跡は訪ねていません

鶴岡八幡宮や建長寺までは行けたのに、残念です

あの時は、3日間、鎌倉、江の島を歩きました

鎌倉は魅力的な所です、も一度行ってみたいです



でもコロナはこの先どうなるのでしょうか

俳句会もまた流れました

最近はテレビが話し相手、相棒は杖といった状態です…

が間もなく杖を使わなくてもよくなります♪




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