「いざ、鎌倉」
この言葉が早々と、副題として出てきましたね
以前にもちょっと触れていて重複しますが
由来は謡曲「鉢木・はちのき」の中の出来事
「只今にてもあれ、鎌倉に御大事あらば
ちぎれたりとも此の具足取って投げかけ
錆たりとも長刀をもち痩せたりともあの馬にのり
一番に馳せ参じ…」
一番に馳せ参じ…」
この謡曲「鉢木」は、鎌倉殿の第五代執権・北条時頼が
引退後に僧侶の姿で諸国を旅した伝説をもとに作られました
旅の途中で、大雪に見舞われた時頼は
近くの武士・佐野源左衛門の家に泊めてもらいます
源左衛門は一族に領地を奪われ、とても貧しい暮らしをしていました
しかし、なんとか温かい食事を提供し、囲炉裏の薪がなくなると
鉢植えの梅や松を燃やして時頼をもてなします
囲炉裏を囲みながら、源左衛門は僧侶姿の時頼に
「どんなに貧しくても武具と馬は手放さず
いざという時には真先に鎌倉へ駆けつけるつもりだ」と語ります
源左衛門は僧が時頼であることを知りません
時頼を送り出してからしばらくして
源左衛門に、幕府から召集の連絡がありました
「いざ鎌倉」と馬で駆けつけた先に居たのは、雪の日に泊めた僧でした
時頼は、源左衛門の言葉に嘘はなかったと褒め
奪われた領地を取り戻してあげたほか
鉢植えを燃やしてまでもてなしてくれたお礼に
新たな領地も与えました
ということ、とある処より引用させてもらいました
北条義時が二代目執権なので、五代目ならまだ先
このドラマでは描かれないような<m(__)m>
執権と将軍、ややこしいですね
政治の実権を握っているのが執権
高貴で血筋の良い人物が就くのが将軍なのかな
さて、平家を倒したくてしょうがないい坂東武者
たくさん集まりましたが、その実まとまらないですね
いつか誰かが暴発しそうです
血筋の良さに頼朝のもとに集まって来てますが
その頼朝も、信じていいやら悪いやら…
ちょっとほっとするのが、北条義時と三浦善村
いとこ同士なんですよね
ふたりはなんでも話せる間柄みたいです
が、善村からは、たまに裏と表のお顔が
ただ、今回は義時の頼みを聞いてくれたし
大事な情報を持って来てくれたし、ええ人です
三浦善村の役の山本耕史さんですが
新選組では「待たせたな」と、土方歳三役
幕府を守る、死ぬまで守り切る、という気迫で
北の果ての北海道の五稜郭辺りで戦死しました
この役の印象がぬぐい切れず、善村役は方向性が違うけれど
若い時から役者さんで経験豊富でベテランの域ですね
まだお若いしこれからどんどん様々な役をされると思う
色んないい役見せて頂きます
一方、源義経が動き出しましたね
平家を倒すと兵を挙げた兄である頼朝の力になろうと
平泉から鎌倉へ向かっています
が、途中で富士登山をしたり、海の匂いに誘われて
海が見たあ~い、とかけて行く
自由奔放、やんちゃな弟ですね、運動神経は良いし
兎の取り合いは、ちょっとやり過ぎではないですか?
喰うか食われるかの世では、これで普通?
明るく元気な義経を見るにつれ、後々の…悲しくなります
頼朝 「いざ鎌倉」
義経 「判官びいき」
こんな言葉が今にまで伝わって来ました
毎日、ニュースではウクライナとロシアの様子を
刻々と伝えています
一日も早く、戦争を止めてほしいです
そんなさ中に、戦のドラマに一喜一憂してます
ひんしゅくを買うかもしれませんが<m(__)m>
さて、武田信義とも折り合いが付き、
梶原景時も大庭と袂を分かったというし、
どちら様も頼朝になびいて参りました
義時の努力あってのことですね
そして、鎌倉の御所をどこに据えるか
頼朝は、大蔵?大倉?「おおくら」という所に決めました
おそらく今も史跡が残っているでしょうに
数年前に旅行した時は、御所跡は訪ねていません
鶴岡八幡宮や建長寺までは行けたのに、残念です
あの時は、3日間、鎌倉、江の島を歩きました
鎌倉は魅力的な所です、も一度行ってみたいです
でもコロナはこの先どうなるのでしょうか
俳句会もまた流れました
最近はテレビが話し相手、相棒は杖といった状態です…
が間もなく杖を使わなくてもよくなります♪
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