第八回 栄一の祝言
栄一さん、おめでとう
妙義山の切り立った崖の上から見た
空の青、山の青
あの時、心が決まったのですね
家に帰った途端
小学生がランドセルを放り出すみたいにして
一気に千代ちゃんの所へ行ったのですね
駆ける駆ける駆けるカケルカケルカケルーーーーーー‼
栄一はとにかくよく走ります
桑や藍の畑の間をいったい何度駆けているか
この、日頃のランニングのおかげで崖も登れたのかな
千代ちゃんの弟が、実にうれしそうに
お姉さんの居どころを栄一に教えてました
いやあ~優しい弟ですね、いつもいい笑顔で
栄一と千代の💖を見守ってますものね♪
可愛い弟です
栄一の告白タイムは突然に、でも
どろ~ん ξ
なんで、このタイミングでたぬき?
と思いましたが…、そうか大権現さまの化身か(^-^;
勝ったのに負けた喜作
潔いですね、最高にかっこよかった
一方、江戸は
大老問題、跡継ぎ問題、攘夷問題、
1858年6月19日 日米修好通商条約 調印
これは江戸では違勅です
非難の的になってますが、ここは滋賀県民として
井伊直弼 押しで
自分を認めてくれた家定との約束を叶えようと、
井伊直弼は、がんばった
これは強引な人事異動の敢行となるのか
直弼は、お兄さんがいっぱい居て
井伊家を継ぐことはまず、ありえへん
と思っていました
ところが次々亡くなり直弼にまで藩主の座が回って来たという
だから、帝王学は受けてないと思うのです
彦根城の横の埋木舎で、
茶道、和歌、鼓などの趣味に没頭していました
それでニックネームが、「ちゃかぽん」さん
私は、井伊直弼は立派に大老職を遂行してたと思ってました
家定に気に入られ大老に指名されアドバイザーとして
家定に仕えたのは降って湧いたことですけど…
家定のあとを慶福(家茂)と
公表したその後、反対勢力を粛清して
あの温厚な慶喜も、怒りがこみあげていました
波風立てないそよ風のような慶喜がです
直弼に登城禁止を言い渡されましたものね
ちょっと、直弼さん強行だったのかな
悪夢を見るほど追い詰められていたのか直弼さん
あの大事件は明日放送かな
埋木舎には数年前俳句の吟行で行きましたが
茶室はじめ、そこここに風流を感じる処でした
結構広いんですよ
お庭には、石蕗の花が
覚えたばかりのこの季語に心躍りました
で、句は?
詠めませんでした
仲間がたくさん詠んでました
また脱線してしまいました
どこまで行きましたっけ?
血洗島
村の皆の仕事が一段落ついた冬
栄一と千代の祝言でした
おめでとうございます💗
千代にふられた喜作、なんともう妻帯者です
こんなところにも喜作の潔さが出ています
立ち直りが早い!
どちら様も末永くお幸せに~♪
そんな幸せ気分が吹っ飛んでしまったのが
江戸から帰って来たらしい長七郎
怖い顔でした 何があったのでしょうか
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます