「龍馬伝」 も終わってもう数日が経ちました。
再放送も見ると、また新たに気付くことがありました。
「龍馬暗殺」 には未だに諸説があり、真相が解明されていないという。
「龍馬伝」 では、「京都見回り組」 が暗殺の実行犯となっていました。
そして、黒幕…?
さて、その「京都見回り組」 を演じた俳優さん達、名前は分からないのですが
迫力ありました。
今に残る、幕末の武士の写真から抜け出たような、
ああ、こんな顔立ちの武士が幕末にはまだ、闊歩していたのだろうなあ~と
歌舞伎の「市川亀次郎さん」 も「京都見回り組」 のひとりでしたね。
この回1回だけの出演にすべてを込めた迫力を感じました。
こんな人達に不意をつかれたなら、さすがの龍馬も…
そして、「岩崎弥太郎」 の香川照之、日曜日に見た時も、
「主役は弥太郎?」と錯覚するような。
ただ、このシーン??? 何で、何で?
さて、最終回は視聴率、関西地区では第3位でした。
でも、
1位: 報道ステーション 22.7%
2位: NHKニュース 22.3%
3位: 龍馬伝 21.3%
と、ニュースを除けば1位でした。
江戸へ剣術修行に行く頃の龍馬
亀山社中の面々
切腹した長次郎に陰膳を添え、盃を差し出す龍馬
龍馬と中岡慎太郎のお墓(京都・霊山)
龍馬と中岡慎太郎の銅像(京都・円山公園)
10月長崎、秋の青空の下、はるか遠くを見やる龍馬像
同じ、風頭公園の龍馬像の横には、「司馬遼太郎」の「竜馬がゆく」の
一節が石碑に刻まれていました。
船が長崎の港内に入ったとき、
竜馬は胸のおどるような
思いをおさえかね、
「長崎はわしの希望じゃ」
と陸奥陽之助にいった。
「やがては日本回天の足場になる」
ともいった。
いろいろな所で、龍馬像を見てきましたが、やはり、この龍馬像が、
高知・桂浜にて(2007.6)
坂本龍馬は明治初期は
何の功績も知られてなかったでやんす
高知の新聞社が幕末の土佐の偉人達の活躍を新聞に掲載したところ人気が出て全国に広まったと聞いてるでやんす
この物語はインタビューを基に構成されており
最も参考にしたのが岩崎弥太郎だというでやんす
龍馬伝はこのストーリーを基に脚本が書かれているでやんすから実際の主人公は弥太郎になってしまうでやんすな
学校の教科書には龍馬の名は出てきた気がしないので、
(なんて言っても勉強嫌いでしたが) いったい何時からこんなに名を知られ、
みんなに愛されるようになったのかと思っていたのですが、そうだったのですね。
本当に勉強になります m(__)m