【卓上四季】:惨事を記録する
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【卓上四季】:惨事を記録する
筆舌に尽くしがたい被害は、伝えられるまでに時間を要するのだろう。東日本大震災の夜、「壊滅した」とだけ報道された陸前高田市の状況が翌日まで分からなかったことを覚えている▼74年前のきょう、長崎に原爆が投下された。その惨状を最初に記録したのは東潤という人物である。爆心地に到着したのは翌日未明。「『悲劇の谷・浦上』の午前三時は、世紀の大暴風が去った三日月の下にひらく死の砂漠だった」と表現した▼東は軍の報道部員として福岡から現地調査に入った。朝を迎えて目にしたのは「この世の生地獄(いきじごく)」だった。穴から出てきて足に絡みつく黒い生き物とは、立ち尽くす女性が手に提げたバケツの中には何が―。あえてここでは語るまい▼8月10日の長崎を記述した全文が公表されたのは10年後だった。東が同人でもある雑誌「九州文学」に「原爆の長崎ルポルタアジユ 浦上壊滅の日」と題して掲載された。その直筆原稿がこのほど見つかり、西日本新聞が報じた▼雑誌記事には被爆地の生々しい写真もある。調査に同行したカメラマン山端庸介の撮影で、長崎原爆資料館に今も展示されている。奥野正太郎学芸員は「このルポなくして長崎の原爆の状況は語れない」と断じる▼被爆者が高齢化し、原爆の非人道性を世代を超えて継承することが重要になっている。客観的事実を伝えることがその一助になると信じている。2019・8・9
元稿:北海道新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【卓上四季】 2019年08月09日 05:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。