路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

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【社説】:長崎原爆の日 被爆継承は人類の責務だ

2019-08-09 10:45:30 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【社説】:長崎原爆の日 被爆継承は人類の責務だ

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説】:長崎原爆の日 被爆継承は人類の責務だ 

 「あの忘れ得ない劫火(ごうか)の日に受けた破壊のしるしを、今なお身に負っている皆さんの生きざまそのものが、最も説得力のある生きた平和アピールなのです」

 38年前、このメッセージに心を揺さぶられ、封印していた被爆体験を語り始めた人たちがいた。 

 きょう8月9日は、長崎原爆の日。来年迎える被爆から75年という節目を前に、体験の記憶を後世に伝える、いわゆる「被爆の継承」について改めて考えたい。

 ■「忘れてはいけない」

 夏の青空に周囲の山々の緑が映える長崎市の「恵の丘長崎原爆ホーム」。1981年2月26日は大雪で、一面の銀世界だったことを現在の別館施設長のシスター、赤窄(あかさこ)ゆみ子さん(64)は覚えている。その日、初来日していたローマ法王ヨハネ・パウロ2世がホームを訪問。入所者たちに語り掛けたのが冒頭の言葉である。

 施設側はかねて被爆体験継承の必要性を認識していたが、入所者の多くは口を閉ざしていた。8月になると必ず体調を崩す人も少なからずいた。「いかに原爆の体験がすさまじいもので、口にもできない、その表れなのかと思っていました」と赤窄さんは振り返る。

 ところが法王の訪問後、施設側が体験記編さんへの協力を呼び掛けたところ、多くの人が自らペンを取ったり職員による聞き取りに応じてくれたりして、翌年、原爆体験記の第1集が発行された。

 原爆に妹と弟を奪われた卯野ノブ子さんは、「十三歳の夏の日」と題して「あの惨事は、一日も早く忘れてしまいたいことです。でも(略)忘れてはいけない、多くの人に話し、訴え続けなければいけない」との思いを刻んだ。

 その卯野さんも今年87歳を迎えた。法王の言葉を別館3階ホールで聞いた約100人の被爆者は、卯野さんら数人を除き、既に他界した。「被爆者のいない時代」が静かに迫り来る現実を映し出す。

 全国で被爆者健康手帳を持つ人は2018年度末時点で約14万5千人。平均年齢は82歳を超え同年度中に9162人が亡くなった。

 ■「つなぎ目」なしには

 被爆者たちは、あの巨大なきのこ雲の下で起きたこと、飛び散った放射能がもたらした今なお続く苦しみの実相を語り、時に傷ついたままの身をさらして、「ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ」と叫び続けてきた。まさに被爆者たちの地道な「生きた平和アピール」が、核戦争の最大の抑止力となって今に至るのは間違いない。

 被爆の継承こそが核廃絶の根底をなすと確信する被爆地は、未来につなぐ手だてを模索し続ける。

 被爆体験を「受け継ぎたい人」が「託したい人」から聞き取って語り継いでいく事業も、その一環である。14年度に長崎市で始まった。長崎大3年の坂本薫さん(20)は今春、丸田和男さん(87)の体験継承者として本格的な活動を始めた。彼女の場合、県外学生が核に無関心なことに危うさを感じたのがきっかけだったという。

 丸田さんは原爆ホームの卯野さんと同じ13歳で被爆し、母親と旧制県立瓊浦中1年の同級生114人を失った。坂本さんは長崎商高の美術部員が制作した紙芝居を使い約30分、全身全霊を傾けて語る。「ピカッ」のひと言には聞く者の肌をあわ立たせる響きがある。

 「被爆者の方の体験を直接聞ける私たちの世代が、後世とのつなぎ目だと思う。私たちが頑張らないと、つながっていかない」。若い世代が語り継がなければ、継承の道は途絶えてしまうのである。

 ■消えぬ怒りと悲しみ

 「人類は広島、長崎から何も学んでいない」。11月にパウロ2世以来の来日が予定されるローマ法王フランシスコは、核軍縮が後退する現状について、こう口にすると伝えられる。法王のいるバチカン市国は核兵器禁止条約を最初に批准した3カ国の一つでもある。

 原爆投下は広島、長崎だけに起きたことではなく、人類全体に起きたことなのだと認識し、世界の人々、とりわけ若者が自らの問題と考えれば、核兵器禁止への賛同の輪は広がっていくに違いない。

 丸田さんが失った同級生の一人、谷崎昭治さんは、原爆の悲惨さを象徴的に世界に伝えてきた写真「黒焦げの少年」に写った人物とされる。自身も語り部を続ける丸田さんは「残された時間をあの日の記憶の継承に尽くすことが、罪もなく犠牲となった学友たちへの最大の供養になる」と信じる。

 丸田さんが74年たっても消えぬと言う怒りと悲しみ。その継承を被爆地だけに課してはなるまい。それは人類の責務である。

 元稿:西日本新聞社 朝刊 主要ニュース オピニオン 【社説】  2019年08月09日  10:45:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【春秋】:福岡県大牟田市の高校3年、古賀野々華さんが留学したのは米ワシントン州…

2019-08-09 10:45:20 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【春秋】:福岡県大牟田市の高校3年、古賀野々華さんが留学したのは米ワシントン州リッチランドという町…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【春秋】:福岡県大牟田市の高校3年、古賀野々華さんが留学したのは米ワシントン州リッチランドという町… 

 福岡県大牟田市の高校3年、古賀野々華さんが留学したのは米ワシントン州リッチランドという町。長崎原爆に使われたプルトニウムの生産基地だった

 ▼戦後も核関連産業が経済を支える「原子力の町」。原爆のきのこ雲は町のシンボルであり誇りでもあった。学校のロゴマークや学用品にもそのデザインが使われていたという

 ▼そんな米国での「当たり前」が、長崎の原爆資料館を訪れた経験もある古賀さんに違和感と疑問を募らせる。多くの人の命を奪った原爆は誇れるものですか。犠牲になったのは普通の市民なんです―

 ▼現地で思いを発信した。どんな反応が返ってくるか、不安や恐怖心さえあっただろう。反響は両論あった。「原爆のおかげで終戦が早まった」との肯定論は変わらずにある。一方で、あなたが声を上げなければ「日本側の考えを知る機会は一生なかった」との意見も届いたそうだ

 ▼原爆を落とした側にとって、立ち上るきのこ雲は軍事的にも政治的にも勝利の象徴である。だから、その下で起きた惨劇は国民に伝えられない。街や人が溶かされるように壊されたことを、知る機会も知らされる機会も多くはないと聞く

 ▼3日前の本紙にあった古賀さんの記事を読みながら、異国で振り絞ったであろう勇気の大きさに心が揺れた。「被爆国の国民として問い続けていきましょう」と18歳の若者に後押しされたような、今日は長崎原爆の日。

 元稿:西日本新聞社 朝刊 主要ニュース オピニオン 【春秋】  2019年08月09日  10:42:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【HUNTER】:福岡市ロープウェー構想断念の背景 ■激減したクルーズ船の入国者

2019-08-09 09:20:20 | 【地方自治・都道府県市町村・地方議会・議員年金・デジタル田園構想・地方地盤沈下】

【HUNTER】:福岡市ロープウェー構想断念の背景 ■激減したクルーズ船の入国者

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【HUNTER】:福岡市ロープウェー構想断念の背景 ■激減したクルーズ船の入国者 

 統一地方選挙を目前に控えた先月13日、博多駅と博多港をロープウェーで結ぶ構想を、高島宗一郎市長があっさりと断念した。市長選の公約にも掲げて「私の夢」だと公言していたロープウェーだったが、今後「検討もしない」(高島市長)という。
 市議会で、新年度予算からロープウェーの採算性などを検討する費用が削られたことを受けての判断だが、市関係者からは「賢明な判断」「ロープウェーにこだわれない理由があった」などといった声が上がっている。背景にあるのは……。(写真は福岡市役所)

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 ■減少一途のクルーズ船入国者
 ロープウェー構想は、博多港=ウォーターフロント地区の再開発に付随したもので、単独の事業ではない。クルーズ船の寄港を増やすことで観光客の一層の呼び込みを図りたい市長は、日本で初となる市街地のロープウェーを観光政策の目玉にしたかったのだろう。政治家が夢を語るのは結構なことだし、構想自体が間違いだったわけではない。将来的に、ウォーターフロント地区と博多駅を結ぶ交通システムの構築が必要になる可能性があるなら、検討作業まで否定する必要はなかったのではないだろうか。ロープウェーの事業主体が福岡市になるのか、JR九州になるのかも決まっていない中で、計画断念に追い込んだのは早計だったような気がする。ただし、ある市関係者は「ロープウェーの断念は賢明な判断だった」と言い切る。

 博多港は、2015年度から18年度まで4年連続で外航クルーズ船寄港回数が日本一となったが、気になる数字があるのだ。福岡市が公表している博多港のクルーズ客船入港実績によれば、昨年1月における入港回数は18回、2月は17回で、3月は11回だった。それが今年1月は13回、2月は14回と昨年より減り、3月で17回と少し盛り返したものの、4月は昨年の29回から22回へと減る予定になっている。クルーズ船の入港回数に陰りが見えているのだ。さらに、これを裏付ける資料を、今月8日に国土交通省九州運輸局が公表していた。下に一部を抜粋した(赤い囲みはHUNTER編集部)。

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 昨年1月と今年1月の比較では、九州全体への入国者が4.3%減。数字を下げた理由は、クルーズ船を利用した中国からの入国者数が、126,444人から78,821人へと4割近く減ったことだ。クルーズ船の寄港が49隻から38隻に減っているから当然なのだが、落ち込みの激しさは特筆ものである。

 悪化したのは、単月の比較数字だけではない。下は、2015年~2019年までの福岡空港と博多港のそれぞれの入国者数だが、博多港を利用した入国者数が、2017年から急速に減り始めていたことが分かる。

博多港5.png博多港入国者数推移.png

 ピークだった2016年の94万3,000人から2018年には67万9,000人と約3割の減。前述したように、ことしの1月~4月はさらに減っており、全体の数字はさらに悪化する見通しだ。

 ■空港利用は増える一方
 一方、前掲した同じ資料によれば、福岡空港からの入国者数は増加の一途。順調に数字を伸ばしている。

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 博多港へのクルーズ船の入港が減っているのは、減速する中国経済の影響なのかもしれない。船会社が、運賃の関係から寄港地を変えた可能性もある。確実に言えるのは、空港利用は増加し、博多港の利用が減っているということ。福岡市が、この事実を知らないはずはない。

 高島市長は就任以来、市政の柱に据えた“観光政策”の一環として博多港の整備に力を入れ、クルーズ船の寄港が増えていることを内外に自慢してきた。一方で、2017年には福岡空港の運営事業者に出資することを拒み、これが原因でいまだに市議会と揉めている。海外から入国する外国人の博多港と福岡空港の利用状況は、一連の市政運営が間違いだったことを示しているのではないだろうか。市長がロープウェーをあっさり引っ込めた背景には、こうした厳しい現実があった可能性が高く、「賢明な判断」(市関係者)との評にも合点がいく。

 元稿:HUNTER 主要ニュース 行政・社会 【行政ニュース】  2019年04月25日  10:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 
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【HUNTER】:福岡市で“高島一強”に陰り ■統一地方選で影響力のなさ露呈

2019-08-09 09:20:10 | 【地方自治・都道府県市町村・地方議会・議員年金・デジタル田園構想・地方地盤沈下】

【HUNTER】:福岡市で“高島一強”に陰り ■統一地方選で影響力のなさ露呈

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【HUNTER】:福岡市で“高島一強”に陰り ■統一地方選で影響力のなさ露呈 

 保守分裂となった注目の福岡県知事選挙は、現職の小川洋氏が自民党推薦の武内和久氏を大差で破って3選を決めた。小川氏の得票は自身最多の1,293,648票、武内氏はその約四分の一にしか過ぎない345,085票にとどまった。
 事前に行われた情勢調査通りの結果だったが、「意外に選挙に弱い」「人気に陰りが出てきた」などと冷めた目で見られることになったのが高島宗一郎福岡市長。支援した武内氏の福岡市内での票は伸びず、勢力拡大を狙ってツーショット写真に納まるなどした市議選や県議選の候補者まで惨敗したからだ。
 福岡市で、“高島一強”の状況に陰りが見え始めた。

 ■効果なかった“ツーショットポスター”
 下は、福岡市南区で市議会議員選挙に立候補した無所属新人のポスター。高島市長が並んだデザインはひときわ目立っていたが、5,000票が当選ラインといわれる同区での得票は1,256票で、最下位に沈んだ。

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 市長が城南区で熱心に応援した新人の女性市議候補も、あえなく落選。市議会の最大会派である自民党市議団との不仲が続くなか、新人候補の応援に走り回ったものの、親高島派の大幅増にはつながらなかった。

 下は、市議会の新しい勢力関係を示したグラフだ(8日現在)。条例の制定・改廃や予算に関する議決に異議がある場合、首長が再度議会に諮る「再議」で議会側に必要となるのは出席議員の3分の2以上。定数62の福岡市議会では42が求められるが、親市長派は改選前から一人増えて21人となったため、3分の2を阻むことは可能だ。

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 しかし、重要課題で対立が続き毎度「再議」ということになれば、多数決の原則が崩れるのも事実。21人の親市長派の中から、裏切り者が出ないとも限らない。「再議ができるようになった」と喜ぶほどではない微妙な数だということだ。反市長派を自認する自民党関係者は、次のように話す。
「親市長派といっても一枚岩ではない。市会議員にとって一番大事なのは、地元の住民であって市長ではない。案件次第で、執行部の案に反対せざるを得ないことだってある。数で優位に立っているのは、むしろ反市長派。ロープウェイの失敗でも明らかなように、高島人気にも陰りが出ている。これまでのような好き勝手は許さない」

 ■小川知事に負けた福岡市内の得票
 自民党関係者が言うように、高島人気に陰りが見え始めたのは確かだ。3度の市長選挙で圧倒的な強さを誇ってきた市長だが、前述したとおり、市議選で全面支援した南区と城南区の候補は惨敗。南区の市議候補と同じように高島市長とのツーショット写真を使ったポスターで注目された市内中央区の県議候補も、当選ラインには遠く及ばなかった。下は知事選で惨敗した武内氏のポスターの一部分だが、高島市長の応援は、ほとんど効果がなかったとみられている。

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 応援した候補者は相次ぎ落選――高島ブランドの影響力のなさに、一番ショックを受けたのは市長自身だったのではないだろうか。さらに彼のプライドを傷つけたのは、敵対した小川知事が福岡市内で自分より票を集めたことだろう。投票率が違うため単純比較することはできないが、昨年の市長選と今回の知事選で高島氏と小川氏が福岡市内で得た票は、次のようになっている。
 
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 昨年、市長選史上最多の得票で3選を飾った高島氏だったが、小川知事の得票はそれを大きく上回るもの。この結果を無視して、宿泊税や子供医療費で自説にこだわり続けることはできないはずだ。さらに、知事選での強引な候補者擁立で、保守陣営を2分させた麻生太郎副総理兼財務相の求心力が低下しており、県内の後ろ盾がなくなる可能性もある。 

 元稿:HUNTER 主要ニュース 政治・社会 【社会ニュース】  2019年04月09日  09:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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