【社説・01.17】:阪神大震災30年 命守る教訓未来へつなぐ
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・01.17】:阪神大震災30年 命守る教訓未来へつなぐ
人知を超える巨大地震の脅威を象徴していた。高速道路の橋桁が600メートル以上も横倒しになった光景が目に焼き付いている。
復興を遂げた街で震災の爪痕を探すのは難しい。しかし今も多くの人が心に癒えぬ傷を負う。
6千人以上が犠牲となった阪神大震災から30年を迎えた。
市民団体が募った節目の手記には風化への危機感がにじむ。
神戸市灘区で5歳の長女希(のぞみ)ちゃんを失った小西真希子さん(65)にとっては忘れることのできない、つらく悲しい記憶である。
<あの日何があったのか? これから何をしなければならないのか? 学び伝えていってほしいと思います。(略)私のような思いをする人が一人でも少なくて済むように心から願っています>
当時指弾された政府の初動の遅れは、能登半島地震でも繰り返された。震災に対する政治の認識はまだ甘く、対応は不十分だ。
災害は社会の弱点をあぶり出す。教訓を未来につなげ命を守る備えに生かさなければならない。
■住宅の耐震化を急げ
1995年1月17日午前5時46分、戦後初めて大都市を襲った直下型地震だった。兵庫県・淡路島北部を震源に神戸市などで国内史上初の震度7を観測した。
保育士の小西さんは年1回、保育園で子どもたちに地震の話をする。必ず伝えることがある。
当時、神戸の人たちは「神戸って地震がなくていいね」と思い込んでいた。神戸でも起きるかもしれないという気持ちを持っていれば救われた命がたくさんあったと思う、ということだ。
日本はいつどこで大地震が起きてもおかしくない。地球を覆うプレート(岩盤)とプレートがぶつかり合っている所が列島周辺に多いからだ。
実際に大地震は過去に何度も起きている。阪神大震災を経て地震の活動期に入ったといわれる。2004年の新潟県中越地震、05年の福岡沖地震、11年の東日本大震災、16年の熊本地震、昨年は能登半島が揺さぶられた。
今週、宮崎県で震度5弱を観測し、気象庁は昨夏以来2回目の南海トラフ地震臨時情報を出した。今この瞬間にも大地震が起き得ると自覚したい。災害で生死を分けるのは平時の備えである。
地震から命を守る基本は住宅の耐震化だ。阪神大震災の犠牲者の多くは家屋倒壊による圧死だった。改正建築基準法で耐震性が強化された81年より前に建てた家屋が大半だった。この問題は能登半島地震でもあらわになった。
政府は耐震化した住宅の割合を30年までにおおむね100%にする目標を掲げる。
18年時点で耐震性不足の住宅は全国で700万棟に上る。今も手つかずの住宅は、能登半島地震が示したように高齢化した過疎地域に多い。公的補助の拡大、低コスト工法の普及はもとより、住民意識の向上も不可欠である。
地震があっても、住める状態で家が残れば生活再建がしやすい。
■「災害文化」育てよう
阪神大震災が起きた年、被災地に全国から延べ130万人以上のボランティアが駆け付けた。市民が自発的に被災地の復旧・復興に協力する機運が高まり「ボランティア元年」と呼ばれる。
全国社会福祉協議会が把握する災害以外を含むボランティア人口は、東日本大震災が発生した11年をピークに、新型コロナウイルス禍を経て減少傾向にある。24年は11年比25%減の約650万人だ。
災害ボランティアに対する行政や社協の管理強化も減少の一因といわれる。能登半島地震では石川県が当初、ボランティア活動を控えるよう発信したことも響いた。
参加者の健康や安全確保は必要だが、役に立ちたいとの思いにブレーキをかけている面もあるのではないか。個人の善意を最大限生かせる共助の仕組みが欲しい。
私たちは災害大国に暮らす。だからこそ、過去の教訓を防災や減災につなげ、助け合う「災害文化」を育てたい。改めて誓う震災30年の節目としたい。
元稿:西日本新聞社 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2025年01月17日 06:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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