愛国者の邪論

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岸首相も林長官も集団的自衛権は行使できないと国会で言っているのにウソをつく安倍首相・高村副総裁!

2014-04-07 | 集団的自衛権

つづき

では、前号につづき、岸首相と林法制局長官が何を言っているか、掲載しておきます。これで、この集団的自衛権行使論を正当化する議論は結着がついたはずです。ウソをついているのですから!

第034回国会 予算委員会第23号 昭和三十五年三月三十一日(木曜日http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/034/0514/03403310514023c.html

第034回国会 予算委員会第23号 昭和三十五年三月三十一日(木曜日)http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/034/0514/03403310514023c.html

秋山長造君 …武力攻撃を受けた場合に、日本軍とアメリカ軍とが対処するように行動するというのでしょう。その法的根拠は何か。
国務大臣(藤山愛一郎君) 日本の持っております自衛権の発動、こういうことであります。
秋山長造君 その自衛権にも従来の政府の説明によると二通りあるはずなんですが、どちらですか。
国務大臣(藤山愛一郎君) 個別的な自衛権の発動でございます。
秋山長造君 アメリカ軍はどうですか。
国務大臣(藤山愛一郎君) アメリカ軍は集団的自衛権も個別的自衛権も両方持っております。日本といたしましては、国際法上は集団的自衛権の権利を持っておりますけれども、日本はこれは憲法上の点もございますし、また、個別的自衛権の発動によりまして十分達せられるのでありますから、個別的自衛権の発動によってこれを行なうわけでございます。
○秋山長造君
 前段の、日本は国際法上団的自衛権を持っておるが、憲法上集団的自衛権はないという御答弁ですか、その点はっきりして下さい。
国務大臣(藤山愛一郎君) 集団的自衛権を引用しなくても、日本の個別的自衛権でもってこれに対処することができるわけであります。個別的自衛権の発動で済むわけであります。従いまして、日本としては、個別的自衛権しか発動いたしません。
○秋山長造君
 じゃ日本の憲法は集団的自衛権を認めておるわけですか。(略)
政府委員(林修三君) 集団的自衛権という言葉についても、いろいろ内容について、これを含む範囲においてなお必ずしも説が一致しておらないように思います。御承知の通りに、国連憲章では、集団的自衛権を固有の権利として各独立国に認めておるわけです。あるいは平和条約におきましても、日ソ共同宣言におきましても、あるいは今度の安保条約におきましても、日本がいわゆる集団的自衛権を持つことをはっきり書いてあるわけです。そういう意味において国際法上にわが国が集団的、個別的の自衛権を持つことは明らかだと思います。ただ、日本憲法に照らしてみました場合に、いわゆる集団的自衛権という名のもとに理解されることはいろいろあるわけでございますが、その中で一番問題になりますのは、つまり他の外国、自分の国と歴史的あるいは民族的あるいは地理的に密接な関係のある他の外国が武力攻撃を受けた場合に、それを守るために、たとえば外国へまで行ってそれを防衛する、こういうことがいわゆる集団的自衛権の内容として特に強く理解されておる。この点は日本の憲法では、そういうふうに外国まで出て行って外国を守るということは、日本の憲法ではやはり認められていないのじゃないか、かように考えるわけでございます。そういう意味の集団的自衛権、これは日本の憲法上はないのではないか、さように考えるわけでございます。
秋山長造君 それ以外にどういう集団的自衛権があるのですか。
政府委員(林修三君) これはいろいろの内容として考えられるわけでございますが、たとえば現在の安保条約におきまして、米国に対して施設区域を提供いたしております。あるいは米国と他の国、米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対してあるいは経済的な援助を与えるというようなこと、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、こういうものを私は日本の憲法は否定しておるものとは考えません。
○秋山長造君
 そんなものは詭弁ですよ。それはこの国連憲章五十一条にいっている集団自衛権ということは、これは武力行動を伴うものです。そんな単なる経済的な援助とか何とかいうことは違うと思う。で、日本の憲法が集団的自衛権を認めてないということを、今日まで総理大臣以下言ってこうれたのじゃないですか。総理大臣どうですか、その点はっきりして下さい。
○国務大臣(岸信介君)
 今法制局長官もお答え申し上げましたように、いわゆる集団的自衛権というものの本体として考えられておる締約国や、特別に密接な関係にある国が武力攻撃をされた場合に、その国まで出かけて行ってその団を防衛するという意味における私は集団的自衛権は、日本の憲法上は、日本は持っていない、かように考えております。
○秋山長造君
 じゃあ集団的自衛権というものは今総理大臣がおっしゃるように理解しておられる、そうしてそういう集団的自衛権というものは日本の憲法は許していないということなら、集団的自衛権というものは日本の憲法は許されないのだ、こういうふうにはっきり言われたらどうですか。何かあいまいな、含みを残すようなことを答弁されちゃ困る。
国務大臣(岸信介君) 御承知のように、集団的自衛権という内容については、これはいろいろ学説なり、その内容について議論が必ずしも一致しておるとは思えないのであります。ただ、最も典型的な、しこうして最も重要視せられるものが、先ほど私が申し上げるような意味であることについては、ほとんど学説上も、いろいろな人の意見も一致しているようであります。そういう意味のものは持っておらないということを申したのであります。
○秋山長造君
 ですから端的にですね、日本の憲法上は集団的自衛権は認めないのだと、こう了解していいんですか。
国務大臣(岸信介君) 今お答え申し上げましたように、集団的自衛権ということにつきましては、私が今最も典型的であり、最も問題になるところをはっきりと申し上げましたが、そういうものだけだという説にはなっておらないようであります。しかし、(「日本自身の集団的自衛権だ」と呼ぶ者あり)だから、日本自身でも集団的自衛権というものはこういうものだと、私が言っただけのものだと、こう言い切ることは、これは一般的の国連で解釈されておる集団的自衛権というものの内容の全部を言い尽くしているものではないと私は考える。それだから申しておるわけでありますが、しかしながら、問題の、一番問題になり、また、本体的に考えられるものにつきましては、意見が一致しているところのものについては、私は今申したように、日本の憲法の、自衛権の、この憲法の規定から見るというと、いわゆるよそへ行ってその国を防衛する、いかにその国が締約国であろうとも、密接な関係があろうとも、そういうことは日本の国の憲法ではできない、こういうふうに考えます。
○佐多忠隆君
 関連。今お話の通りに、集団的自衛権は最も典型的には他国を防衛をする、従って、よく言われているように、これは他衛権である。最も本質的なものは他衛という概念であり、しかも今総理も言われるように、最も典型的なものは他国を外に出て行って守るという行為でなければならない。それならば、そういう本質的な意味での集団的自衛権は、日本の憲法は禁じておるし、持っていないのでありますから、持っていないということを明瞭に、今持っていないということは言われましたが、持っていないということを明瞭にここで言明をされるのならば、条約の前文においてその権利があるかのごとくうたわれたことは、憲法違反であると、こういうふうに言わざるを得ないと思う。そうでなくて、ただ派生的なものがあるからどうのこうのというようなことは問題にならない、その点どういうふうにお考えですか。
国務大臣(岸信介君) 私は、先ほど来お答え申し上げておるように、国連憲章にいっておる、いわゆる独立国が個別的また集団的自衛権を有するという国際的な関係において、日本が自由独立国としてこれを国際法上持っておるということは、これは私は考えていいのだろうと思います。しがしながら、それを現実に行なう上におきまして、日本の憲法を見まするというと、日本の憲法におきましては、これを外国に出て他国を、締約国であろうとも、その他国を防衛するということは憲法が禁止しておるところでございますから、私はその意味において、この集団的自衛権、集団的な自衛権の最も典型的なものはこれは持たない。しかし、集団自衛権というものが、そういうものだけに限るのだ、その他のものは集団的自衛権に入らないというふうには、私が知っております限り、学説が一致しておるとも思わないのであります。従って、私が申し上げておるのは、先ほど来繰り返して申し上げておる通りでありまして、今佐多委員もおあげになりましたような、他衛権というようなものであるならば、これは日本の憲法では、これを持っておって行使できぬという説もあるようでありますが、私は持っておらないと言っていいと思います。しかし、集団的自衛権がそれに尽きるかというと、学説上けそれに尽きるとは、私は一致して議論がそうなっておるとは考えないのであります。そこにあいまいな点が残っておるわけであります。
政府委員(林修三君) 今総理の言われたことで尽きるわけでございますが、御承知の通りに、国際法的に独亡国が個別的または集団的自衛権を持っておりますことは、これは国連憲章でも認めております。あるいは平和条約の第五条でもそのことを明らかにいたしております。また、日本がそれを持つことも平和条約の第五条に書いてございます。あるいは、日ソ共同宣言においてもそれを引用して、前文にそれを明示しております。あるいは現在の安保条約においてもしかりでございまして、国際法的に日本が持っておりますことと、それが日本の憲法においてその行使が許されない、行使が許されない結果、持たないのと同じことでございますが、そういうこととは別問題でございまして、これは別にそういう国際法的に認められたことを引用することが国内の憲法に違反するというようなことは起こらないというふうに私は思います。集団的自衛権という言葉は、多少蛇足のことでございますが、いわゆる本質的の面は先ほど私が申し上げ、あるいは総理が今御答弁になった点が中心的な問題でございますが、しかし、世間では、あるいは学説的には、たとえば日本がやられた場合に、日本とアメリカと一緒に守るということも、これも集団的自衛権で、集団的自衛権の発動であるという言葉で説明される方もあるわけでございまして、私どもは、これは個別的自衛権で説明できることだといっておりますけれども、そういうふうにいう説もあるわけでございまして、そういう意味において、集団的自衛権という言葉をいろいろに理解されているわけであります。そういう意味で、日本の憲法で認められない範囲は先ほど私が申し上げ、あるいは総理が申し上げた点だと、かように考えます。
佐多忠隆君 先ほどから繰り返して言われるように、集団的自衛権の典型的なもの、本質的なものは日本は持っていない、日本憲法はこれを禁じている、これはもう総理もそれから法制局長官も明瞭に肯定をされる点だと思う。それで、今平和条約をあげられましたが、平和条約では、国連憲章が各独立国に対して集団的自衛権を認めているということを再確認をしているだけであって、これは一般国際法的な規定としてそういうことになっているということを繰り返しているにすぎない、しかるに、その後あなた方はそれをすりかえて、日本もまた従って持っているのだというふうに拡張をしておられるけれども、先ほど言うように、それは一般国際法的な規定であって、従って、日本がそれを持つことを禁ずるものではないという程度のことにすぎない、一般国際法的な規定を繰り返してあげているにすぎない。ただ、日本は先ほど言っているように、憲法はこれを禁止をいたしているのでありますから、日本が当事国としての条約においては、日本を当事国とする条約においては、そういう規定の仕方は憲法上できないはずである。そのできないことをあなた方は最近において、たとえば日ソ共同宣言において、さらにはそれを今度、すでに一ぺん犯したのだからといって、おくめんもなくそれを堂々と引きずり込んで憲法違反を明瞭にしておられる、これが問題である。
国務大臣(岸信介君) 私は、日本が独立国として国際法上個別的並びに集団的自衛権を持っているということはきわめて明瞭な事柄でありますから、別にこれが憲法違反になるという問題だとは考えておりません。
○秋山長造君
 国際法上どうこうということを私は聞いているのじゃないのです。日本の憲法が集団的自衛権を認めるのか認めないのかということを聞いているのですから、それに対して端的に答えて下さい。時間が経過して困る。
国務大臣(岸信介君) その点につきましては、さっきから私はきわめて明瞭にお答えをしているつもりであります。すなわち、集団的自衛権というものの最も典型的に考えられておる点については、日本の憲法は持っておらない。しかし、集団的な自衛権というものをそれに限るということに全部意見が一致しているわけではない。しかし、その本質的な、典型的なものは日本の憲法においてにこれは持たない、こういうことを申しております。
秋山長造君 そんな、評論家のようなことを言ってもらっちゃ迷惑ですよ。これは学説がいろいろあるとか、世間ではいろいろ言っておるとか、そんなことは何事についても言えることなんです。ただしかし、この条約について、これに責任を持ってやろうという政府自身にはおのずから、そのいろいろな学説、世間でいろいろな話があっても、その中でおのずから確たる一つの方針、一つの見解、一つの解釈というものがなけりゃならぬはずなんです。それでなければ、内容の不確定なものを、ただばく然と名前だけ、集団的自衛権があるとかないとか、確認するとかなんとか、こんな公文書に持ち込まれては困る。政府自身はどう解釈しておられるのですか、いろいろな見解の中でどれが正しいと思っておられるのですか、それを確定して下さい。そうしなきゃ発展せんです、議論が。
政府委員(林修三君) この点は先ほどからも申し上げております通り、平和条約でも――先ほど佐多委員の仰せでございますが、平和条約の五条の項は明らかに、日本国が主権国として個別的または集団的自衛権を持っておることを、平和条約にも書いてございます。で、先ほど来申し上げました、いわゆる国際法的に集団的自衛権というものが独立国として、日本を含めてすべての国が持っているということは、これは明らかなことでございまして、それをこの条文で引用したことは何ら間違いがないと思います。この日本の憲法の解釈といたしましては、先ほど来私が申し上げ、あるいは総理が御答弁になったことで尽きていると、かように考えております。
秋山長造君 憲法が集団的自衛権を認めているのか認めていないのか、ずばり答弁して下さい。はっきりして下さいよ。(略)

政府委員(林修三君) これは先ほどから何回もお答えしているところでございますが、要するに、いわゆる国際法的に、あるいは国連憲章の五十一条で、集団的自衛権として、いわゆる一国の武力行使が正当化される場合が、いわゆる個別的自衛権または集団的自衛権の行使という場合は認められておるわけでございます。あの五十一条の場合によって、いわゆる一国の武力行使が正当視される――国連憲章上正当視される一つのタイプとして、集団的自衛権の行使というものがあるわけでございます。これは先ほどお話が出ましたように、一国が、自国と歴史的あるいは地理的あるいは民族的に密接な関係のある他国が武力行便された場合に、それを武力をもって援助することもまた国際法的には認められる、国連憲章上違法な戦争ではない、かような意味において使われておるわけでございます。そういう意味において集団的自衛権――集団的自衛権という言葉はそれのみで必ずしも理解されておりません。それ以外にも、たとえば一国に一国の軍隊が駐留して、それを協同して守るということも集団的自衛権という言葉で理解されておる面もございます。そういう点をあわせまして、先ほど申し上げました五十一条で、いわゆる違法性阻却という理由で書いてあります部面、こういう部面にまで、日本において自衛隊が、たとえば日本が他国に行って武力を行使するという意味の集団的自衛権の行使は、これはできないのじゃないか、こういうように言っておるわけでございます。
○秋山長造君
 もう要らんつけたしを言わないで、一言で答えて下さい。あなた方は、憲法九条の拡張解釈をするときには、自衛権というものはきわめて明々白々として、これに疑問の余地のないようなことをいつも言っておって、集団的自衛権ということをこそこそと持ち込んで、これについての解釈を聞けば、何だかんだといろいろなことを言って、結局は何を言ったかわからぬ。何のことですか。集団的自衛権――少なくとも集団的自衛権をこの条約の中に持ち込む以上は、いわば世間にどんな意見があろうと、政府自身としては、総理大臣自身としては、集団的自衛権というものはこういうものだ、憲法との関係はこういうものだということを割り切っていなければならぬはずだ。それを割り切ってないじゃないですか。名前だけは持ち込んでおるけれども、内容については中心的な解釈はどうだとか、しかし、他にもいろいろあるとか、いろいろなことを言って、何か将来またこれをだんだんと広げていく足場に使われるのじゃないかという私は非常な懸念を持たざるを得ない、今のようなことをおっしゃるなら。ここでもう一ぺんはっきりして下さい。集団的自衛権というものを政府はどう解釈しておるか、確定的に。集団的自衛権というものと、日本の憲法との関係はどうだということをずばり答えて下さい。ほかのことは要らぬです。総理大臣から答えて下さい。
国務大臣(岸信介君) 先ほどからお答え申し上げておるように集団的自衛権というものの最も典型的なものにつきましては……(「秋山長造君「あなた自身がこういう解釈でいくのだという確定的な解釈を言って下さい」と述ぶ)だから、それ以外に私は集団的自衛権というものがあるという考え方をいたしております。それが何だと言われるというと、これはいろいろ何がありますけれども、(「何がじゃわからん」と呼ぶ者あり)しかし、一番問題になるところの、この、他国に行って他国を防衛するという意味のことは、日本の憲法上はそういう意味の集団的自衛権というものは持たないということは先ほど来申し上げた通りであります。
秋山長造君 総理大臣ね、とにかく何が何がと言って、何が何して何とやらということになってしまって、何のことやらさっぱりわからん。だから、「何」という言葉を使わないで、もう
 一度答弁して下さい。わからんですよ。
羽生三七君 関連。私の方の解釈で聞きたいのですが、集団的自衛権の場合に、基地提供とか、あるいは経済的な協力とか、そういうことも含んでおると言っておると思うのですが、それをわれわれが認めるか認めぬかは別として、そういうもののほかに、ある本質的な軍事的相互援助――日本が他国に出て行って相互防衛の義務を負う、そういう意味の相互援助的なものは、これは絶対この条約では認めておらない、そう解釈してよろしいですか。これはこっちの解釈を聞きます。
国務大臣(岸信介君) その通りだと思います。
秋山長造君 いろいろな学説を並べるだけでは国会の政府答弁にならんですよ。(鈴木強君「何が何がと言って、普通のときはわかるときもあるけれども、こういうときの何はわからんです。そこを少し補足説明して下さい。こういう大事なときは、何がじゃわからんから」と述ぶ)私はきわめて簡単明瞭に質問しているのですが、それに対して簡単明瞭に答弁して下さい。指摘してみて下さい。何が何して何だかんだということはわからんです、回りくどいことは。
政府委員(林修三君) 集団的自衛権という言葉の内容としては、先ほど来申し上げましたように、まあいろいろのものが含まれておると思います。たとえば先ほど申し上げましたような、たとえば自国を守るために基地を貸与する、あるいは他国が、密接な関係のある他国がやられた場合にこれに対して経済的な援助を与える。そういうような、その他の、経済的その他の協力を与てる、そういうものもございましょうし、あるいはさらにこれは学説によりましては、自国を他の国と協同して守るということも集団的自衛権だという説もあるわけでございます。しかし、まあそういうものはさておきまして、こういうものは実は日本の憲法上どれも私は認められていることだと思うわけであります。しかし、それ以外にいわゆる他国が、自国と密接な、たとえば歴史的あるいは民族的あるいは地理的に密接な関係のある他国が武力攻撃を受けた場合に、それを自国が武力攻撃を受けたと同様に考えて、その他国に出かけて他国を守る、そういう意味のものがまあ五十一条で集団的自衛権の行使として国連憲章違反でない、かように考えられておるわけでございます。こういう意味が集団的自衛権としては実はあるいは典型的な表現かもかわりませんが、こういうのは日本の憲法のいわゆる自衛権が認められているという範囲には実は入らないのじゃないか、こういう考え方が実は私どもの考え方であります。
秋山長造君 わからんです、私は。そんな要らぬことをよけい言わんでも、私が何べんも言うように、そんな要らぬことを教えてくれんでもいいんです。要らぬことをいろいろ言うからますますわからなくなってしまう簡単に言って下さい、もう少し。で、あなた方は今まではとにかく集団的とも個別的とも、そういうまくら言葉をなるべく使わないようにして、自衛権、自衛権ということで第九条の解釈をしてこられたわけです。そしてあたかも個別的自衛権即自衛権であるかのごとく国民を思い込ませて、それで言いくるめてきた。ところが、いつの間にか集団的自衛権という概念をそっとあの手この手で引っぱり込んで、そしていつの問にか憲法第九条の自衛権というのは個別的自衛権だけでなしに、集団的自衛権をも含んでおるかのごとき方向へ誘導してきているのですよ、あなた方は。だから、今でこそそんな他国へ出かけていって云々というのはだめだとか言っておるけれども、また今後どういう解釈に発展せぬとこれは保証できぬのです、あなた方の今までのやり口から見て。ですから、こういう概念というものは時の政府、あるいは情勢の変化によって伸びたり縮めたりすべきものじゃないと思う。だから、日本国憲法が集団的自衛権というものを認めているのかどうか。集団的自衛権とは政府はどう解釈しておるのかということを明瞭に確定しておいてほしいということを、私はだから繰り返し言っておるのですよ。もうほかのことは何も要りません。(「もうちょっと要領よく整理したらどうですか」と呼ぶ者あり)何かごまかそうとしている。
政府委員(林修三君) 決してごまかそうという趣旨で申しているのではございませんので、今の点は政府として一貫して前から言っておるところでございます。普通の自衛権という観念は個別的自衛権、これは歴史的には個別的自衛権という言葉から発達してきているわけでありまして、集団的自衛権という言葉が条約上にも用いられるようになりましたのは、国連憲章以来であります。従いまして、これは新しい観念と言えば新しい観念でございます。しかし、ただいま申しましたようにわれわれといたしましては、日本の憲法との関係におきましては集団的自衛権と言われますものの中で、他国を防衛する、自国と密接な関係にある他国を自国が攻撃を受けたと同様な関係に立って他国を武力をもって守る、そういう意味のもの、そういう内容のものは集団的自衛権という名があっても、これは日本の憲法上は認められない、かように考えております。(佐多忠隆君「それが集団的自衛権の典型的な本質的なものなんだよ。それを憲法は持っていないのだ。この本質的な典型的なものを持っていないことを認めながら憲法に違反しないというのはおかしいじゃないか」と述ぶ)
辻政信君 関連。憲法で自衛権を認めているというのが岸総理及び政府の解釈でありますから、自衛権を認めている以上は個別的自衛権では守れないからアメリカと協同して守ろうという、集団自衛とか個別自衛というのは自衛の手段にすぎない。その自衛の本旨を認めているならば手段も当然認めらるべきである。それを否認するならアメリカと協同して守るなんという条約を作る必要はないのじゃないか。もう少し勇気と信念を持って憲法解釈をやらなければこの安保条約は成り立たないと思います。口先の議論では。岸総理いかがですか。(「あまり勇気を持つと困る」と呼ぶ者あり、笑声)(略)
国務大臣(岸信介君) 日本の自衛、いわゆる他から侵略された場合にこれを排除する、憲法において持っている自衛権ということ、及びその自衛の裏づけに必要な実力を持つという憲法九条の関係は、これは日本の個別的自衛権について言うていると思います。しかし、集団的自衛権という内容が最も典型的なものは、他国に行ってこれを守るということでございますけれども、それに尽きるものではないとわれわれは考えておるのであります。そういう意味において一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは私は言い過ぎだと、かように考えております。しかしながら、その問題になる他国に行って日本が防衛するということは、これは持てない。しかし、他国に基地を貸して、そして自国のそれと協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている点でございまして、そういうものはもちろん日本として持っている、こう思っております。
○永岡光治君
 関連質問。それでは端的にこれは一つお答えをいただきたいと思うのですが、あなた方が日本の憲法で禁じられているという集団的自衛権の内容、これは今大体岸総理の答弁でわかったが、それじゃ禁じられていないと考えている集団自衛権の内容ですね、原因的に今あげられるとすれば、つまり考えられ得る事例は、例示的にどういうものですか、端的に示してもらいたい。
国務大臣(岸信介君) 他国に基地を貸して、そして日本が他国から武力攻撃を受けた場合に協同して日本を守るというようなことは、その内容の一つであると思います。
秋山長造君 そういたしますと、今度の条約の第六条で基地を貸しておるというのは、つまり今総理大臣のおっしゃるような集団的自衛権に基づいて貸していると、こういうふうに解釈していいのですか。(略)

○政府委員(林修三君) 先ほどから申し上げております通りに、集団的自衛権という言葉についてはいろいろ幅のある解釈があるわけでありまして、いわゆる、たとえば、日本が、アメリカが攻撃された場合に、それを援助する意味においてあるいは基地を提供する、あるいは経済的援助をする、こういうようなことは、いわゆる武力を行使して米国を守る、米国の本土を守るというようなことを除きまして、それ以外の面において、たとえばアメリカが他国の武力侵略を受けた場合に、これに対して一定の基地等を提供する、あるいは経済的援助をするというようなことは、これを集団的自衛権という言葉で理解すれば、これは集団的自衛権の問題じゃないかと思うわけでございます。それから、いわゆる、日本を守るために日本が日本の独力で守れない、そういう場合に、アメリカ軍の駐在を求めて、日本が共同で守る。これはわれわれは実は個別的自衛権というもので説明できることと思っております。個別的自衛権の範囲と思いますこういうことも集団的自衛権の発動なりというふうに言う方もあるわけでございますこれは両方の面で説明がされておるわけでございます。私どもは個別的自衛権の範囲で説明できる。日本は日本を守ることで、それはアメリカと協同して守る、あるいは日本が単独で守る、これはいずれにしても日本の個別的自衛権の発動と実は考えておるわけでございますが、こういうことをさして集団的自衛権だという人もあるわけでございまして、こういう点において集団的自衛権という言葉の使い方はいろいろそこに、人によって使い方の違いがあるということを申し上げておるわけでございます。
秋山長造君 ちょっと、さっきの私の質問は第六条について質問しているのですがね。六条がどちらかということを答えて下さい。
政府委員(林修三君) 自衛権の問題は、一つ問題になりますのは、それが具体的に発動しまして、まあ端的な場合は武力行使という点でございますが、それが国連憲章に違反するかしないかという問題が起こった場合に一番問題になるのでありまして、そのほかの面においては、現在、国際法的に自衛権というものを武力行使以外の方法でやる場合については何も規定した国際的な根拠はないわけでございます。従いまして、一般的な通念でこれは理解されるわけでございます。日本が日本の安全を守るために基地を提供して……、このこと自体、日本の、私は、持っておる自衛権の範囲において日本を守るためにやっておる、こう考えていいんじゃないかと思います。
秋山長造君 では、第六条のこの基地提供ということは、個別的自衛権と解釈してもよし、また、集団的自衛権と解釈してもいいということなんですか。
政府委員(林修三君) その基地提供自体、自衛権行使という問題と実は関連がないわけでございます。しかし、日本が独立国として日本みずからを守るという権能を持っている。そういう権能の発露として日本が日本をひとりで守れない場合に、アメリカに依存して、アメリカ軍の駐留を求めて、施設などを提供して一緒に守るということは、これが具体的に自衛行動として発動する場合には、個別的自衛権の行使である。アメリカは、これは集団的自衛権の行使におそらくなりましょうが、日本の場合には個別的自衛権の行使だと、かように考えております。
○秋山長造君
 総理のおっしゃることも、法制局長官の言うこともよくわからぬ。で、時間が迫りましたから、そういうことでうやむやのうちに過ごされてしまうのも困るのです。
 総理大臣にお尋ねしますが、先ほどの総理大臣の御答弁では、日本の憲法の第九条の認めておる自衛権というものは個別的自衛権であって、集団的自衛権というものは含んでいないのだ、こういうことをおっしゃったんですが、そうすると、日本はいつから集団的自衛権というものを取り入れることになったんですか。その点もう一度はっきりおっしゃっていただきたい。それによって憲法の九条の内容というものが変わってきたのかどうか。
国務大臣(岸信介君) 憲法九条の解釈として、内容は私ども変えておりません。従って日本の自衛隊がいかなる意味におきましても日本の領域外に出てこれを防衛する、武力行使をする、あるいは実力行使をするということは、これは一貫して認めておらないのであります。
○秋山長造君
 日本の領域より出られないのですか。休憩前の法制局長官の答弁では、公海でも公室でも、どこまでも行ける。他国の領土にさえ入らぬ範囲においてはどこまでも行けるような答弁があったのですね。どっちかはっきりして下さい、大事なことだから。
国務大臣(岸信介君) ちょっと私の今の言葉自体が不明確でございました。私の申しましたのは、他国の領土へ行ってやるということはできないという意味でございまして、午前中の解釈の通りに御解釈になって適当だと思います。
○秋山長造君
 大体、個別的自衛権の発動ということですら、他国の領土、領海を除く以外ならどこまででも行けるという解釈にまであなた方の解釈は広がってきたんですよ。だからそういう解釈をなさっておるから金門、馬祖なんかもこれは頑強にこれを含めるというこの解釈を変えられぬのもわかります。さっきまで個別的自衛権で行けるとあなた方は言っておられるのです。その上にさらに集団的自衛権ということを何かややこしいことを言いながら導入してきているんですから、これはそんなことを言えば、海外派兵できるとかできぬとか、共同防衛がどうとかこうとか、そんなことを言ってみても言葉の遊戯じゃないですか。結局憲法の制限も何にもなしで、何でもやれるということになるのでしょう、事実上。あまり解釈を広げるととんでもないことになりますよ。
○国務大臣(岸信介君)
 私、そうじゃないと思います。他国の領土、領海へ行ってやるということはできないということを申しておるのであります。もちろん公海、公室ならばどこまでも行けるということを私ども申しておるわけじゃございませんが、領土、領空、領海というものを守るというのが本体でございまして、それを守るに必要な限度においてこれを領海に限るということは事実上、海というものの性質から私どもは言えないと思います。またそういう意味から領空に限るということは言えない、こう思うのであります。しかし、それはどこまで行ってもいいのだということじゃなしに、とにかく領土、領空、領海を防衛するに必要な限度においてその外にも、今の公海、公室である限りにおいては出られる。しかしながら、他国の領土、領海に入ることはできない、こういうふうに解釈しております。
○秋山長造君
 政府の憲法解釈は、もうこれは無限大に拡大していきます、この調子でいくと。この新しい条約に限って御質問をいたしますが、この条約の中で、日米双方の行動について取りきめられておるのですが、少なくとも日本側の一切の行動はこれは全部個別的自衛権による行動に限られておるわけですか。
○国務大臣(岸信介君)
 その通りであります。
秋山長造君 そうすると、何の必要があってこの前文にわざわざ、そういう解釈も確定していないし、学者もまちまちだし、特に責任者である政府自身ですら、はっきり定義の下せないような不明確な問題の多い集団的自衛権というものを、この前書きの中に堂々と持ち込んだのは何の必要があって、何の意味があって持ち込んだのですか。
政府委員(高橋通敏君) 御説明申し上げます。前文に「憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有している」これは国際関係におきまして、日本も国連の加盟国でもございますし、国際関係上において個別的または集団的自衛の権利を享有しているということを明らかにするためでございます。また、なかんずくアメリカがこの条約に基づくところの行動は、集団的自衛権でなければ、これは集団的自衛権を援用することでなければ適法にならないということもございます。従いまして、ここにこのことをはっきり書いたわけでございます。
秋山長造君 アメリカ向けには集団的自衛権、日本の国民に対しては個別的自衛権と、こういうことで二枚鑑札を使っておられるのじゃないですか。たとえば第三条、バンデンバーグの決議を盛り込んだ第三条にしても、第五条の武力攻撃に対するこの共同防衛にしても、こういう口ものを、あなた方がおっしゃるように、個別的な自衛権だといって、個別的な自衛権に限ってこじつけた説明をされておるのは、おそらく日本の岸内閣だけですよ。これはアメリカ向けには通用せんと思う。だからこそ前文に集団的自衛権というようなことを書き込んで、そうしてアメリカ向けには、アメリカの解釈では、だから日本政府も同じように集団的自衛権の発動として第三条や第五条を了解しておるというふうに思い込ませておるでしょう。日本の国民だけ個別的自衛権で閉じ込めようと思っても無理ですよ。こんな無限大に憲法の解釈を広げるような道を開いて、これは良心的でないと思う、やることが。どうですか。総理大臣から答えて下さい。国民が納得せんですよ。
国務大臣(岸信介君) これを挿入したことにつきましては、条約局長が説明をした通りであります。集団的自衛権と個別的自衛権については、先ほど以来、私は政府の所信を明らかにいたしております。この条約において日本が武力行動をするという場合におきまして、個別的自衛権の範囲に限定されておることも明瞭に申し上げた通りでございます。
○秋山長造君
 第五条についても、日本側の行動は、もうあくまで個別的自衛権だということで固執しておられますけれでも、しかし、この条文のこの取りきめ自体が、これは日米双方とも集団的自衛権ということでやるという、これは書き方がしてあるじゃありませんか。すなおに読んでごらんなさい。これは集団的自衛権のもとでの取りきめですよ、第五条の条文の書き方というものは。それからまた日本の領土に対する武力攻撃の場合と、それからアメリカ軍の基地に対する、あるいにアメリカ軍自体に対する攻撃の場合とは、それは確かに少なくとも観念的に私は区別できるんじゃないかと思うんです。たとえば第三国の飛行機が米軍基地だけを目標にして、あるいは米軍施設あるいは米軍自体だけを目標にして爆撃してすぐ引き上げたというような場合と、たとえば東京なり大阪なりの日本の領土を目標にして爆撃に来た場合とは、確かに私は観念的には区別し得るんじゃないかと思うんですよ。だから、一切の武力攻撃をすべて日本に限って、個別的自衛権ということに限って説明しようというのは私は無理があると思うんです、論理的にも無理があると思うんです。あなた方はほんとうは集団的自衛権で説明すべきことは重々わかっておりながら、それをおくびにも出すと、すぐまたいろいろな反撃を食らうということをおそれて、そうして無理なこじつけをやって、個別的自衛権に限るような説明ばかりして、こじつけておられるんじゃないですか。相当無理ですよ、あなた方の解釈、説明は
国務大臣(岸信介君) 第五条の規定をごらん下さいますというと、他のこれに似た相互防衛の条約とは全然違っておりまして、日本の施政下にある領土だけこれを限っております。このことから見ましても、私どもが個別的自衛権で説明をいたしておるということは、何かこじつけというようにおっしゃいますが、そうは考えておらないのであります。
○秋山長造君
 これは政府の方は、さっきから言いますように、こういう集団的自衛権というようなものを持ち込んで、そうしてだんだんとこれを広げていって、まだ今は相当遠慮しておられますがね、あなた方、今後時の経過とともに、だんだんとこの解釈を広げていって、そうしてちょうどあの憲法第九条の解釈を広げてこられたと同じようなやり方で集団的自衛権ということを広げていこう、こういう伏線だとしか受け取れない。そう受け取る方がすなおなんで、あなた方のような言い方というものは非常なまやかしです、インチキです、ごまかしです。これは必ず報いがきますよ、そういうインチキなことばかり言って国民をだましておると、ほんとうに。…引用ここまで

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伊達判決を覆した最高裁判決も岸元首相発言もねじまげ集団的自衛権行使を正当化する安倍首相派は退場!

2014-04-07 | 集団的自衛権

今日の朝日に「集団的自衛権、行使容認反対63%に増 朝日新聞調査」が掲載されました。これを読んで、マスコミの果たしている役割の重要性が浮き彫りになりました。同時にマスコミ労働者の自覚的行動の大切も、いっそう明らかになったように思います。これについては、今後検証してみたいと思います。

さて、前号に続いて、安倍首相や高村自民党副総裁、産経など、伊達判決をねじまげ最高裁判決を口実に集団的自衛権を正当化している勢力の論拠が、如何に大ウソか、前号の記事のなかで井上議員の発言や赤旗の記事でも紹介しておきましたが、改めて強調しておくことにしました。今日の赤旗に、以下のことが書かれていましたので、掲載しておきます。

赤旗 砂川判決 “個別的自衛権は認められたが、集団的自衛権は認められていない”/法制局長官(当時)が言明していた

さて、次に、岸元首相の発言については、以下の記事の中で書いておきました。ご覧ください憲法改悪派の歴史偽装の証拠は産経の主張にあり!安倍首相の拠り所=へ理屈は産経にあり!断罪すべし! (2014-03-02 09:11:11)

憲法平和主義破壊のためには手段を選ばず!これが自民党の手前勝手な思想と論理の歴史!倍返ししよう!2013-11-05 12:00:28

この記事の中で、掲載した岸元首相の発言、産経が一部を取り上げて正当化していますが、岸首相と林長官にかかわる部分について、全文を掲載しておきます。ご覧ください。自民党や安倍首相、、官僚は、この会議のやりとりは承知しているはずですが、これについては、ダンマリです。知っていて黙っているのか、それとも全く知らないのか、どっちかです。共通しているのは、事実とは違うということです。

第034回国会 本会議 第6号 昭和三十五年二月十日(水曜日http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/034/0512/03402100512006a.html


佐多忠隆君

新条約第五条の規定によれば、日本に対する武力攻撃に対して米軍が出動すると同様に、米国に対する武力攻撃はわが国の平和と安全を危うくするものと認め、共通の危険に対処するために、日本軍が米軍と共同して軍事行動をとることを義務づけられていると思われるが、どうですか。もし、そうだとすれば、それは前文にいう集団的自衛の権利に基づくものであるのかどうか。まず、その集団的自衛権なるものについてお尋ねをいたしたい。集団的自衛権とは一体何であって、それは国連憲章の中でどんな地位を占めていると思われるのか。集団的自衛権なるものは、現行憲法のもとにおける日本にあるのか、ないのか、これまではどう考えられていたのか、新安保条約ではこれをどう扱われようとするのか。集団的自衛とは、武力攻撃を受けた国と密接な関係にある国が、その密接な関係のゆえに、この武力攻撃を自国に対するものと同様とみなして、攻撃を加えた国に反撃を加える権利であります。より正確には、他国を守る正当防衛の権利とでもいうべきものでしょう。これは国連憲章で初めて取り入れられ作り出された概念であります。憲法第九条から見れば、わが国も権利としての自衛権を持ってはいるが、これを広げて集団的自衛権まで持っていくことは全く無謀であり誤りてあります。従って、政府も初めはこの集団的自衛権によらなかったと思います。しかるに、集団的自衛権をいつのまにかこっそり取り入れ、新条約の前文では、日本も米国とともに集団的自衛の固有の権利を持っておることをみずから堂々と認めるに至りました。いつから政府はこのように態度を変えたのか。むしろ従前の態度が正しいのであって、態度を変えた条約はまさしく憲法に違反しているではないか。新条約で相互防衛を約束せねばならぬ必要上、かかる憲法違反をあえてしたのではないのか。それとも、日本は集団的自衛権の行使は認められないが、その権能自体は認められるとでも言おうとするのか。不可解千万と言わざるを得ません。(拍手)憲法によって戦争そのものを放棄したはずの日本が、この集団的自衛権をよりどころにして、第五条ではあからさまに米国との共同作戦を義務づけております。これが憲法違反でなくて何でありますか。なるほど、攻撃される区域は日本の施政下にある領域に限られ、行動は憲法上の規定と手続に従うように定められております。

国務大臣(岸信介君)

次に、個別的自衛権と集団的自衛権に関する御質問でございます。実は集団的自衛権という観念につきましては、学者の間にいろいろと議論がありまして、広狭の差があると思います。しかし、問題の要点、中心的な問題は、自国と密接な関係にある他の国が侵略された場合に、これを自国が侵害されたと同じような立場から、その侵略されておる他国にまで出かけていってこれを防衛するということが、集団的自衛権の中心的の問題になると思います。そういうものは、日本憲法においてそういうことができないことはこれは当然でありまして、そういう意味における集団安全保障というものはないのでございます。(「具体的に言え」と呼ぶ者あり)ただ一般的に、今申しますように、集団安全保障ということが、侵略を受けた場合に他のものと協力してこれを防衛するというような広い意味に用いられる場合において、これが日本も持っておることはこれは当然であります。われわれは、今回の条約の五条によるところの、われわれの自衛権の発動はあくまでも日本の領土内に限っておりますから、これは個別的自衛権で解釈すべきものであると、かように考えております。

 

つづく

 

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砂川判決を口実に限定的集団的自衛権論=ゴマカシで白を黒と逃げる安倍首相の大嘘を報道しないマスコミ!

2014-04-07 | テレビと戦争

2014年4月4日、参議院本会議において共産党の井上哲士議員の質問がありました。ところが、この質疑は、殆どのマスコミが無視をしました。ネットで検証していただければと思います。報道した記事も、時事通信で若干書かれましたが、その他は安部首相の言い分を垂れ流しているだけでした。

安倍首相の返答も、外務省が書いた原稿を読むだけでしたが、砂川判決が集団的自衛権を容認したとは言えませんでした。しかし、質問に対する返答は、肝心なところは私的懇談会の議論を待ってとゴマカシ、これまで述べてきた持論を長々と述べるだけで、全く噛み合っていませんでした。あのいつものような饒舌な、美しい、抽象的な、情緒的な言葉と身振り手振りのジェスチャーは全くありませんでした。ここに大ウソをつく安倍首相の本質が浮き彫りになりました。

しかし、今日のニュースでは、公明党の議員とゴルフをやったことが取り上げられ、この集団的自衛権問題は自民党と公明党のやり取りが主流であるかのように報道されているのです。ここでも総選挙や参議院選挙の際の偽りの政権枠組み報道と同じスリカエ、トリック報道が展開されているのです。これは、まさに犯罪行為と言わなければなりません。日本は、もはや、マスコミが指摘するどこかの独裁国家と同じような様相になってきたと言えます。

さらに言えば、集団的自衛権行使後の戦争前の大ウソによって、国民を戦争に駆り立て、日本国民と侵略される国の兵士や民衆が殺される事態が引き起こされる局面になっていると思います。それはここに来て、昨年同様、「北朝鮮の挑発的言動」報道が毎日毎日テレビで放映され、消費税増税問題の不安や不満を外に向けさせ、集団的自衛権行使の閣議決定の地ならしに狂奔していることです。

そこで、まず、以下の記事を掲載しておきます。

集団的自衛権 砂川判決の援用を批判/井上議員 個別的自衛権が前提

集団的自衛権/「限定容認」のごまかし

集団的自衛権議論/砂川判決どこまでゆがめるか

 首相 集団的自衛権行使容認に改めて意欲  4月4日 16時35分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140404/k10013502901000.html

K10035029011_1404041626_1404041637.mp4

安倍総理大臣は参議院本会議で、集団的自衛権の行使を容認するための憲法解釈の変更について「実際に行使するためには関連する法律を改正する必要があり、法的安定性を損なうとは考えていない」と述べ、改めて意欲を示しました。この中で安倍総理大臣は、集団的自衛権の行使を容認するための憲法解釈の変更について、「政府の有識者懇談会は『憲法には個別的自衛権や集団的自衛権に関する明文の規定はなく、集団的自衛権の行使が認められるという判断も政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることで可能であり、憲法改正が必要だという指摘は当たらない』という意見も表明している」と述べました。そのうえで安倍総理大臣は、「仮に憲法解釈の変更が行われても、集団的自衛権を実際に行使するためには関連する一連の法律を改正する必要があり、国会で議論することになる。したがって、このような方法が法的安定性を損なうとは考えていない」と述べ、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認に改めて意欲を示しました。(引用ここまで

愛国者の邪論 国民は、安倍首相の意欲などを聞いているのではありません。集団的自衛権行使を閣議決定しても、「一連の法律を改正する」という口実を述べることで、自民党政権自身が提案し決めてきた集団的自衛権行使の国会決議を踏みにじること、憲法9条の解釈改憲の正当化を述べていることを、NHKは批判もしないのです。スリカエです。

そもそも現行憲法は「直接には自衛権を否定して居りませぬが、第九条第二項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動しての戦争も、また交戦権も抛棄した…従来近年の戦争は多く自衛権の名に於て戦われた…我が国に於ては如何なる名義を以てしても交戦権は先づ第一自ら進んで抛棄する、抛棄することに拠つて全世界の平和の確立の基礎を成す」との吉田首相の答弁にあるように、また文部省の教科書『新しい憲法のなはし』でも明らかなように「自衛権の発動としての戦争も交戦権も放棄した、として事実上自衛権も放棄しているという解釈でほぼ一貫し、議会もそれを積極的に肯定した」(田中伸尚『憲法九条の戦後史』岩波新書05年6月刊)というのが、出発点でした。

このことについてはすでに記事にじましたので、ご覧ください。

おさらい的に確認しておけば、アメリカの対日政策の変更=逆コース、すなわち「反共のとりで」化としての日本づくりのなかで、憲法九条解釈が大きく変更されてきたのです。その重要な事件である砂川事件で、米軍の「戦力」を違憲とした、いわゆる伊達判決 が日米安保条約改定の際を目前にして、アメリカに言いなりになった日本国政府と田中耕太郎最高裁長官が、伊達判決を覆した際の詭弁が、今日まで米軍の日本駐留を正当化し、同時に「自衛隊」の「戦力」も「合法」との解釈にお墨付きを与えてきたのです。その最高裁判決においてでさえも「自衛隊」を「合憲」とはしていないのです。ましてや安保改定時の国会における岸発言でも、日本においては集団的自衛権は認められていないと言っているのです。

砂川事件を裁く最高裁が、違憲立法審査権を使って「戦力」問題を放棄したのは、憲法九条に対する国民の信頼が硬かったからです。自民党は、最高裁が米軍と自衛隊について、憲法九条の「戦力」問題の判断を放棄したことを利用して、日米軍事同盟を使って、アメリカの戦争に協力加担しながら、ソ連・テロ・中国・北朝鮮「脅威」論を最大の口実にして米軍基地と自衛隊を強化してきたのです。そのボタンの掛け違いが今日の最大の矛盾の構成要素となっているのです。

自民党は、最高法規である憲法があるのに、憲法違反の米軍と自衛隊の実態が既成事実化しながら、さらには災害救助やスポーツなどを使って、本来の自衛隊の任務以外の任務に力を注ぐことによって、また「脅威」論を振りまくことで、国民の中に認知させてきたのです。ここに自衛隊自身に深刻な矛盾を生むことになるのです。自衛隊員の人権問題などは、その象徴的な問題です。

以下、NHK以外の、時事と共同の記事をご覧ください。「あくまで解釈変更の閣議決定で対応する」「自民党内に賛成論が拡大している」など、安倍首相の思惑を紹介することで、時事と共同の思惑が強調されているところに、如何に問題の本質とかけ離れているか、判ると思います。

集団自衛権、解釈変更で対応=砂川判決に言及-安倍首相 (2014/04/04-12:48)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date3&k=2014040400442

参院本会議で答弁する安倍晋三首相=4日午前、国会内

 安倍晋三首相は4日午前の参院本会議で、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更に関し、政府の有識者会議で「適切な形で新しい解釈を明らかにすることで可能であり、憲法改正が必要だとの指摘は当たらない」との意見が出ていることを紹介した上で、「法的安定性を損なうとは考えていない」と述べ、あくまで解釈変更の閣議決定で対応する決意を強調した。民主党の北沢俊美氏への答弁

【インタビュー】安倍首相、怖いものなし=「議会制民主主義は死んだ」~村山元首相に聞く~

 首相は、自国の存立に必要な自衛措置は認められるとした1959年の最高裁判決(砂川判決)に言及し、「政府も、このような見解を従来取ってきた」と強調した。砂川判決をめぐっては、自民党の高村正彦副総裁がこれを根拠に集団的自衛権行使の限定容認論を主張しており、自民党内に賛成論が拡大している共産党の井上哲士氏への答弁
 先に閣議決定した武器輸出三原則に代わる防衛装備移転三原則については「積極的に武器輸出する方針に転換したものではない」と強調。「個別案件ごとに厳正かつ慎重に(移転の適否に関して)対処するとともに、しっかりと情報公開を図っていく」との方針を示した。公明党の石川博崇氏らへの答弁。このほか、首相は冷え込んでいる中韓両国との関係に関し、「互いに努力していくことが重要だ」と述べ、歩み寄りを求めた。石川氏らへの答弁。

【共同通信】 安倍首相、解釈変更の正当性主張 集団的自衛権で 2014/04/04 13:25

http://www.47news.jp/CN/201404/CN2014040401001652.html

参院本会議で答弁する安倍首相=4日午前

 安倍晋三首相は4日の参院本会議で、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認は法的安定性を損なうとの指摘に対し「実際に行使するには関連する法律の改正が必要であり、法的安定性を損なうとは考えていない」と正当性を主張した。民主党の北沢俊美元防衛相が「内閣の判断次第で過去に適法だったものが将来、違法と評価されれば自衛隊員にとって死活問題だ」と批判したのに反論した。自民党内で行使容認の根拠に挙げられている砂川事件をめぐる1959年の最高裁判決に触れ「自国存立のため必要な措置を取り得ることは当然だと明白に認めたものだ」と指摘した。(引用ここまで

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