子どもや保護者の願い、現場を無視した武雄市の暴挙に大喝!
昨日TBSの以下のニュースを視ていて驚きました!とうとうここまで来たか!という感慨と怒りと決意でした。と言っても、愛国者の邪論の条件からすれば、このブログで邪論を吐く程度しかできません。何とも、如何ともし難いところですが、何もしないよりは、と思い記事を書くことにしました。
まず結論です。
1.現在起こっている教育の問題を解決するために、現場の教師や保護者などの声に耳を傾けるのではなく、トップダウンで、ことを決めるという、およそ民主主義にとって必要不可欠の、最低の条件すら放棄した暴挙だということです。
(1)この動きは、現在国会で審議が始まった地方教育行政の組織及び運営に関する法律の「改正」という名の「改悪」と連動しているということです。
(2)戦後民主主義の原点である憲法と旧教育基本法、地方自治法を土台とする教育委員会制度を中央集権化してきた誤りとその破綻を、首長の権限強化、教育委員会制度の廃止などという反動的手法で再編しようとする動きと機を一にするものです。
NHK 首相 教育改革への意欲を強調 4月15日 17時11分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140415/t10013758861000.html
【衆院本会議】地方教育行政組織法改正で政府案、民主·維新案が審議入り 2014年04月15日
教育委「改革」 露骨な政治支配 - 日本共産党中央委員会 2014年2月20日
教育の独立性を破壊/教委「改革」法案を閣議決定 - 日本共産党中央委員会 2014年4月5日
教育委制度 教育への支配・介入許すのか/二つの流れ 対決鮮明/衆院本会議 [2014.4.16]
教育の自由・自主性を侵害 教委「改革」審議入り/衆院本会議 宮本議員質問 [2014.4.16]
政治の教育介入助長/教委改悪法案 宮本議員が批判/衆院文科委 [2014.4.17]
2.しかも、その内容は、「特定の」学習塾、花まる学習会 と提携するというのです。こうした手法が許されるならば、全国各地の自治体が、というよりも、首長が、それぞれ気のあった学習塾と提携した教育と行政を行っていくことになるのは明らかです。
(1)この動きの仕掛人高濱正伸氏、藤原和博氏の主張と実績をみると、この反動的動きは、いっそう明らかになります。
ネットと反転授業で最高の授業 下村博文&高濱正伸&樋渡啓祐&藤原和博 2014年3月30日
藤原和博、陰山英男、NPO法人日本教育再興連盟/教育時報社edu-news.info【点と線】広がる教育ビジネスの輪 09.2.28 618号掲載
あの藤原和博氏が杉並·和田中で行った本当のこと~独断専行と公教育の破壊 2008年10月10日
(2)この花まる学習会方式が、子どもの人格形成にとってふさわしいものか、大いに疑問です。それは花まる学習会のビデオに写されている子どもの行動と表情に象徴的です。
「官民一体型小学校創設へ、塾のノウハウ導入」 News i - TBSの動画
「官民一体型が広まれば公教育をゆがめ、学力偏重に陥る危険性がある」と指摘します。「学力に関わる物差しが、塾が入ることで突出する。多様な価値や個性を認める物差しが必要なのに、全体のバランスを崩して、教育の総合性や成長や学びの総合性をゆがめていくことになる。成果主義的傾向が強まる」という共栄大学藤田英典教授・日本教育学会の藤田英典会長の指摘です。
(3)愛国者の邪論が想像したのは、戦前の子どもの表情(『写真集子どもたちの昭和史』(大月書店84年6月)、『小学生新聞に見る戦時下の子供たち』(日本図書館センター91年3月)、あの先軍教育を受けている時の北朝鮮の子どもの表情やマスゲームの際の表情(これは創価学会も同じです)や中国の愛国主義教育を受けている時の子どもの表情とも重なります。
(4)もう一つは、場所を憚ることなく大声をあげ、走り回る子どもの喧騒ぶりと重なりました。学校が公的に喧騒を演出しているのです。
3.しかも、それは「自由化」というものではなく、「新自由」主義という仮面をかぶった、破綻ずみの競争主義を更に持ち込むことは明らかです。
(1)小さな政府づくりと教育の民営化の動きです。
(2)受験一辺倒による偏差値輪切り競争主義の横行による学校の荒廃放置から生じた学校不信感とその裏返しとしての予備校や塾の喧伝、保護者を収奪する受験産業の全盛による「教育費の負担過重」が、今回の土壌づくりに貢献してきたという構図が見えてきます。
4.武雄市の趣旨説明を見れば、花まる学習塾などを使わずとも、現場の工夫や行政の財政支援でできることばかりですが、この間の「失敗」を、反動的思惑からスリカエて再再編成しようとする意図が透けて見えてきます。
(1)公立学校と民間学習塾による「官民一体型学校」の創設について 武雄市
本日(平成26年4月17日)、文部科学省記者会見室において、本市における公立学校と民間学習塾による「官民一体型」の小学校を来年4月に創設する旨の記者発表を行いました。これからは、知識重視の一方通行の教育から、自分の頭で考え、未来を切り拓いていく教育、すなわち「メシが食える大人に育てる」教育への転換が求められています。そのため、武雄市では、数多くの実績を持つ学習塾「花まる学習会」と連携し、官と民の垣根を取り払い、官民が一緒になって生徒の生き抜く力を育む新しい教育を行う「官民一体型」の小学校を創設します。武雄市の新たな公教育改革の取り組みに、ぜひご期待ください。なお、本日の記者発表資料については下記をご覧ください。
平成26年4月17日記者会見資料(その3)(引用ここまで)
(2)「知識重視の一方通行の教育から、自分の頭で考え、未来を切り拓いていく教育」をサボってきたのは、誰か、全く免罪主義、スリカエです。現場が悪かったというのでしょうか。それほど文科省や各県教育委員会、市町村教育委員会は、現場を尊重してきたでしょうか。上意下達主義の典型は、「日の丸」「君が代」の強制と中教審路線の徹底が示しているではありませんか。
(3)「メシが食える大人に育てる」というコピーもスリカエです。「メシを食わせる」責任は教育ではなく、政治の責任です。それを放棄させ、免罪させるものです。これは国民の貧困につけこんだあくどい詐欺です。生活が苦しいから、子どもだけには苦労させたくないという親心をくすぐりながら、その親から膨大な教育費を収奪する構図をつくり出すのです。公教育費の削減の口実づくりです。国際社会において、公教育費の後進性を覆い隠す極めて悪質・姑息な手法です。
独り61-教育格差と国際比較 2007年3月19日
教育予算の貧困 正当化/財務省、国際比較の偽り - 2008年5月26日(月)
たんぽぽ: 日本の異常 大学の教育費·奨学金 2013年4月13日
日本の教育費は、公的支出が最低で私費負担が高すぎる - 杉並からの情報発信です 2008年2月4日
(4)こうした貧困に陥れた政策は、日本経団連 経労委報告 であり、それに対応して打ち出されたものが中央教育審議会の生きる力だったのです。この破綻が、年を追うごとに目に見えてきたのですが、それを反動的再編しようとしたのが、第一次安倍政権でした。
それは、1995年に出された日経連の「新日本的経営路線」の徹底化が、今日の非正規雇用化を創出し、円高対策としての企業の海外移転化や、財政危機を口実として公務員賃金の削減が民間賃金を抑制させ、さらにそれが公務員賃金を抑制させるという悪魔のデフレサイクルをつくり出して国民にメシを食わせない、貧困をつくり出してきたことを免罪するものです。それが、今破綻していることについては説明は不必要です。
同時に、「生きる力」「ゆとり」などの破綻と、憲法平和主義の重要性が日に日に高まってくるなかで、憲法も、平和も、暮らしも、教育も、一気に反動的に再編成、戦後レジームの大改悪を狙ったのが安倍政権なのです。こうした潮流の中で、今回の政策が出されたのです。
全道庁労連:NO91 雇用を破壊した「新時代の『日本的経営』」論 2012年8月28日
主張/賃上げ目標/「強い経済」をつくる真の方向 - 日本共産党中央委員会 2013年3月5日
主張/高すぎる学費/家計負担軽減へ対策を急げ - 日本共産党中央委員会 2007年3月24日
国民の立場で大学改革を 日本共産党中央委員会 2002年4月20日
(5)しかし、そもそも、こどもの教育は「メシが食える大人に育てる」という狭いものではありません。それは第一次安倍政権で教育基本法(旧) を改悪して制定した教育基本法でさえも言っていないことです。そういう意味で、武雄市や、仕掛け人たちの主張は、子どもの人格形成などという問題意識は全く持っていないことが判ります。その点では安倍政権の国家政策と同じ延長線上にあります。
戦後民主主義教育と民主的制度を覆すクーデター的暴挙!
どうでしょうか。国会の議論は、安倍政権の改悪案と民主・維新の改悪案、そして共産党の論戦という構図ですが、マスコミは、共産党の発言・追及は一切黙殺しています。
ここに安倍政権の応援団ぶりは、いっそう浮き彫りになるところです。それにしても、戦後民主主義の制度が、形骸化され、そのことによって子どもの教育が破壊され、その都度スリカエて打ち出されてきた教育政策が、その都度破綻してきたにもかかわず、そのことの総括はいっさいなされないまま、現場の教師の責任に転嫁されながら、制度として残った教育委員会制度を抹殺していこうとする政策に、安倍政権の応援団が、束になってかかってきたというのが、今回の国会の構図と言えます。
安倍政権が執拗に、この制度改悪に拘るのは、「はだしのゲン」の図書隠蔽を撤去させた松江市教育委員会、反動的教科書の不使用を決めた竹富町教育委員会、文部科学省の定数削減政策に反対して少人数学級を実現してきた各地の教育委員会など、現行の制度が邪魔なのです。
ここに、今回の武雄市の政策が呼び水としての役割を持っているのです。このことは文部科学省で記者会見をしたことに象徴されています。国家的プロジェクトなのです。ということは、文部科学省という国家そのものが、この間の文部行政を自己否定したという、まさに暴挙、クーデターと言えるのです。
本来であれば、現場の教師や保護者、教育委員会で働く教育公務員、大学の研究者などが、挙ってストライキを打つような性格を持った反動的政策が、国会で、武雄市で断行されているのです!