つづき
テレビは、小保方氏と理研の茶番を何時間もかけて報道しています!戦前理研がどんな存在だったか、そのことを問うものは一つもありません。小保方氏を批判・非難するマスコミの手法を、安倍首相や産経の大ウソに使ってほしいと思います。そうすれば、安倍首相は、二度と政界にいることができなくなるでしょう。確信しています!今や安倍首相や産経の大ウソとのたたかいというような様相となってきように思います。マスコミは、如何にしてリアリズムから遠ざけていくか、それしかありません。
だからこそ、まともなマスコミが大手を振って報道できるようにしていく、そこにかかっているように思います。戦前の教訓を今こそ発揮すべきです!
以下、各紙、テレビが、教育勅語の原本発見事件をどのように報道したか、一覧しておきます。茶番劇だったかもしれません。
朝日 2012年秋、東京国立博物館(東京都台東区)にある文科省の保管庫で木箱に入れられた状態で発見。1962年の公開から所在不明になっていたもので、発見後の調査から原本とみている。劣化は関東大震災時の損傷が要因という。4月9日06時47分
毎日 文部科学省は8日、1890年に発布された教育勅語の原本とみられる文書を同省の保管庫内で発見したと発表した。原本は1962年に東京・日本橋の百貨店で展示されたのを最後に半世紀の間、行方が分からない状態だった。新たに見つかった謄本とあわせて2点を国立公文書館へ移管する予定で、今後公開される見通し。
読売 戦前の国民教育の基本理念とされた「教育勅語」の原本とみられる文書が東京国立博物館(東京都台東区)の書庫で見つかり、文部科学省が8日発表した。半世紀にわたって所在がわからなかったという。今後、公文書管理法に基づいて国立公文書館に移管され、公開の準備が始まる見通し。…発表によると、教育勅語の原本は1962年に東京・日本橋の百貨店で一般公開された記録があるが、その後、省内で所在が確認できなくなっていた。04月08日 17時21分
日経 文部科学省は8日、明治天皇が1890年に発布し戦前の道徳教育の根本理念とされた「教育勅語」の原本を約50年ぶりに確認したと発表した。62年に都内で展示された後、所在不明に。田中真紀子前文科相の指示で探したところ、2012年秋、東京国立博物館(東京・台東)内の文科省の保管庫で見つかった。4/8 12:01
産経 文科省によると、教育勅語の原本は昭和37年の「学制公布90年記念式典」で東京・銀座のデパート白木屋に特別展示された記録があるが、その後は所在不明になっていた。しかし平成24年、東京・上野の東京国立博物館の書庫にあるのを職員が確認、当時のメモなどと照合し、原本と判断した。4.8 10:00
NHK 教育勅語の原本は昭和37年以降、所在が分からなくなっていたということですが、おととし、50年ぶりに東京国立博物館にある文部科学省の保管庫から原本とみられる文書が見つかったということです。4月8日 11時47分
日テレ 公開されたのは、「教育勅語」の原本とみられる文書や、全国の学校に配布された写し。原本とみられる文書は、2012年秋に文部科学省の文書の収蔵庫で見つかったという。関東大震災の際、保管していた金庫が火事で焼かれたということで、全体的に黒っぽく変色している。<4月8日 10:37>
TBS 今回の文書は1962年の一般公開以降、所在が分からなくなっていましたが、2年前に東京・台東区の国立博物館にある文部科学省の書庫で見つかり、文科省が教育勅語の原本と判断しました。…現在、文科省はこの文書について全国の学校に配られた教育勅語の謄本などとともに国立公文書館への移管手続きを進めていて、今後、修復作業などを経て公開される予定です。(08日17:16)
共同 文科省によると、原本は62年に都内の展示会で公開されて以来、所在不明になっていた。2012年秋ごろ、当時の田中真紀子文科相が捜すよう指示し、同省職員が東京国立博物館の書庫で発見。確認作業を重ねた結果、原本と判断した 04/08 11:32 (09月04日 12時46分)
共同 文科省によると、原本は62年に都内の展示会で公開されて以来、所在不明になっていた。2012年秋ごろ、東京国立博物館の書庫で文科省職員が変色した文書を発見。確認作業を重ねた結果、原本と判断した。04/08 14:41 (引用ここまで)
では、産経の記事をご覧ください。産経特有の大ウソがちりばめられています。戦前の亡霊です!
【産経抄】教育勅語を読み直そう 4月11日 2014.4.11 03:21 [産経抄]http://sankei.jp.msn.com/life/news/140411/edc14041103210001-n1.htm
平成13年のNHK大河ドラマ『北条時宗』は、小欄にかっこうのネタを提供してくれた。なにしろ蒙古襲来を前にして、鎌倉幕府執権の時宗が、「この首をフビライに差し上げてもよい。それで日本が救われるのなら」などと、泣き言を吐くのだから。▼それほどではないにしろ、昨年の『八重の桜』にも、違和感を覚える場面があった。新島襄亡き後、同志社の臨時総長となった山本覚馬が、明治23(1890)年に発布された教育勅語についてこんなつぶやきをもらす。▼「教育勅語か。教育の名の下に、人を縛るようなことがあってはなんねぇ」。いかにも、戦後の進歩派文化人が口にしそうなセリフである。「ならぬことはならぬものです」。覚馬が学んだ会津藩の藩校には、この言葉で結ばれる厳しい掟(おきて)があったはずだ。▼勅語が昭和23年に国会決議によって排除されて以来、徳育の欠如した戦後教育が、子供たちの心をむしばみ続けてきた。覚馬が知ったら、嘆きの深さはいかほどか。といった観点から、NHKは歴史を見ないものらしい。確かに教育勅語は、「軍国主義教育の象徴」の烙印(らくいん)を押され、内容の吟味もされないまま遠ざけられてきた。▼その原本の所在が、半世紀ぶりに確認されたという。歴史的な資料として、修復のうえ公開される見通しだ。全文が多くの人の目に触れる絶好の機会である。下村博文文科相の言うとおり、「至極まっとうなことが書かれている」ことに、驚きの声が上がるかもしれない。▼そもそも勅語が生まれた背景には、欧米文化の流入によって引き起こされた、明治時代前期の道徳の混乱があった。グローバル社会を生きる現在の日本人があらたな国民道徳を打ち立てる、きっかけになればいい。(引用ここまで)
産経 教育勅語原本確認 「父母への孝行」「友情」「夫婦の和」…再評価の声 2014.4.9 12:39
公開された教育勅語原本=7日午後、文科省
半世紀ぶりに所在が確認された「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の原本。戦後は学校現場から排除され、“軍国主義教育の象徴”というイメージが独り歩きするようになった教育勅語だが、近年、いじめなど道徳の荒廃が問題となる中で、その内容を再評価する声も高まっている。
「(教育勅語には)至極まっとうなことが書かれており、当時、英語などに翻訳されて他国が参考にした事例もある。ただしその後、軍国主義教育の推進の象徴のように使われたことが問題だ」
下村博文文科相は8日、教育勅語の原本が確認されたことと絡めてこう述べ、内容そのものには問題がないとの認識を示した。
明治23(1890)年に発布された教育勅語で示されたのは、(1)父母への孝行(2)兄弟姉妹の友愛(3)夫婦の和(4)友達の信(5)謙遜(6)博愛(7)修学習業(勉学に励み職業を身につける)(8)智能啓発(知識を養い才能を伸ばす)(9)徳器成就(人格の向上)(10)公益世務(世の中のためになる仕事に励む)(11)遵法(じゅんぽう)(12)義勇(国難に際しては国のために尽くす)-の12の徳目。
翌24(1891)年から謄本が全国の小学校に配布され、修身(道徳教育)の根本規範とされたが、戦後は連合国軍総司令部(GHQ)の圧力などで学校現場から排除された。
ただ、戦後教育史が専門の貝塚茂樹・武蔵野大教授によれば、当時、GHQの中にも教育勅語の内容を評価する声があり、GHQ民間情報教育局を中心に、昭和天皇による新しい教育勅語を発布することも検討されていたという。「教育勅語には万国共通の普遍的な価値が示されている。結局、天皇に否定的なGHQ民政局の圧力で排除され、“軍国主義教育の象徴”とみられるようになったが、戦後はその内容についてほとんど検証されることはなかった。いわば問答無用で教育勅語が否定されるとともに、道徳教育そのものも敬遠され、それが学校教育の荒廃につながっているとみる意見もある」と、貝塚教授は指摘する。いじめや校内暴力、不登校などが問題となる中、教育勅語に示された徳目の意義は小さくない。文科省幹部の一人は「半世紀ぶりに原本の所在が確認されたことを機に、意義や内容についての検証が進み、今後の道徳教育のあり方を考える一助になれば」と話している。(引用ここまで)
こんな記事をつくって、子どもをだまそうとしている!呆れませんか!、詐欺罪です!オレオレ詐欺と同じ!
産経 【おやこ新聞】まめちしき 「教育勅語」どんな内容? 2014.4.8 22:29 [おやこ新聞]
Q 教育勅語(きょういくちょくご)って何(なに)?
A 明治(めいじ)23(1890)年(ねん)、明治天皇(てんのう)が当時(とうじ)の山県有朋(やまがた・ありとも)内閣(ないかく)に与(あた)えた教育方針(ほうしん)に関(かん)するお言葉(ことば)だよ。明治維新(いしん)後(ご)の日本(にほん)には西洋(せいよう)の学問(がくもん)や制度(せいど)がたくさん入(はい)ってきたけれど、明治天皇は日本人(じん)が昔(むかし)から大切(たいせつ)にしてきた道徳(どうとく)も、教育には重要(じゅうよう)だと考(かんが)えたんだ。
A 親孝行(おやこうこう)の大切さや、兄弟姉妹(きょうだいしまい)が仲良(なかよ)くすること、友達(ともだち)は信(しん)じ合(あ)うこと、知識(ちしき)を養(やしな)い才能(さいのう)を伸(の)ばすこと、国難(こくなん)に際(さい)しては国(くに)のために力(ちから)を尽(つ)くすことなど、12の徳目(とくもく)が示(しめ)されているよ。戦前(せんぜん)の子供(こども)たちは学校行事(がっこうぎょうじ)などがあるたびに教育勅語を朗読(ろうどく)し、人格(じんかく)の向上(こうじょう)などに努(つと)めたんだ。(引用ここまで)
Q 今(いま)はなんで学校で朗読されないの?
A 戦争(せんそう)で日本が敗(やぶ)れた後あと)、昭和(しょうわ)23年に衆議院(しゅうぎいん)と参議院(さんぎいん)で排除(はいじょ)することが決議(けつぎ)されたからだ。教育勅語に否定的(ひていてき)な連合国軍(れんごうこくぐん)総司令部(そうしれいぶ)が国会(こっかい)に圧力(あつりょく)をかけたといわれているよ。(引用ここまで)
毎日の関連記事をご覧ください。
<戦争と教育>必死で暗記したのが「教育勅語」 (09月04日 12時46分)
<軍国教育の体験>教育勅語を読み上げる最中、少しでも体を揺らすと… (08月16日 11時17分)
<第一級から意外なものまで>国立公文書館所蔵資料展 (02月26日 12時50分)
<終戦の詔書>激動の歴史伝える、国立公文書館の60点を展示 (12月13日 14時47分)
産経とは真向からことなる見解を述べた琉球新報、流石です!アッパレ!
琉球新報 <金口木舌>表に出てきた教育勅語2014年4月11日 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-223301-storytopic-12.html
坂本龍馬が暗殺直前に書いた手紙の草稿が見つかった。場所は東京の女性宅のちゃぶ台下というから面白い。歴史のロマンは意外な所に転がっていた ▼一方、こちらの発見はどうだろう。「教育勅語」の原本だ。文部科学省の保管庫で2年前に確認していたのに、なぜこのタイミングでの発表なのか。最近、再評価する動きがあるだけに、いぶかしい ▼戦中派の方なら「チンオモーニ ワガコーソコーソー」(朕(ちん)惟(おも)フニ我カ皇祖皇宗)と意味も分からぬまま丸暗記させられた経験をお持ちだろう。国民を戦場に駆り立てた軍国主義教育の象徴だ ▼戦前は全国の学校に配られ、天皇・皇后の写真(御真影)と共に奉安殿に納められていた。儀式の際は「天皇陛下万歳」の後、白手袋の校長が漆塗りの箱から恭しく取り出し朗読した。子どもたちは頭を下げたまま聞き、「ギョメーギョジ」(御名(ぎょめい)御(ぎょ)璽(じ))の最後の下りに、ほっとしたそうだ ▼親孝行や夫婦の和、勉学なども記しているが、神髄は「一旦(いったん)緩急アレハ義勇公(こう)ニ奉(ほう)シ」と、天皇のために命をささげよとの勧めだ ▼下村博文文科相は「中身そのものはまっとう」と教育勅語を肯定する。道徳の教科化、教科書選定や検定への国の介入-。「日本を取り戻す」を掲げた安倍政権が戦前の大日本帝国へ向け急旋回している気がしてならない。国家の魂胆は国民の目で発見するしかない。(引用ここまで)
愛国者の邪論 発見するまでもないのではありませんか?安倍首相のデタラメは最低最悪です。放置しておくと大火事になります!早く消化鎮火する必要があります!
自民族の優秀性を強調すればするほど、韓国・北朝鮮を非難すればするほど、以下のような事件が起こる。これは法則です。NHKの役員である百田氏が、田母神氏の応援演説のなかで、相手候補を「人間のクズ」と罵倒して、個人の自由で、NHK役員であっても「個人の自由」までは束縛していないと言って正当化したように、書いていなければ何を言っても許される、そんな言葉に対する感覚しか持っていない人が作家として大儲けしている日本は、深刻です。嫌韓・中・朝潮流が、金儲けに利用される!そんな日本の現実が、国際社会から尊敬されない低レベルの国と烙印を押されることは明らかです。人権と民主主義が成熟した国であるならば、歴史に対して真摯に向き合うこと、向こう三軒両隣の思想を使うべきです。
その点で、以下の記事にアッパレ!です。
愛媛新聞 空海の悲しみ 2014年04月11日(金)http://www.ehime-np.co.jp/rensai/chijiku/ren018201404116034.html
桜は散ったが春遍路は真っ盛り。歩き遍路の足取りも軽い。1番札所である徳島県鳴門市の霊山寺を出発し、いざ巡礼の旅の始まり。徳島は「発心の道場」。数キロ間隔で点在する、寺から寺へと足慣らし▲霊場の配置は見事だ。徳島から高知へ入ると、札所から札所まで数十キロの長旅が続く。まさに「修行の道場」が心身を鍛える。次なる愛媛は「菩提(ぼだい)の道場」。悟りを求めて、煩悩を断つ。巡礼の締めくくりは香川。すなわち「涅槃(ねはん)の道場」▲ こうした霊場の意義と歴史と魅力を、知り合いの先達に教わった。豊富な知識と経験、深い人徳と卓越した見識を備えた人生の師でもある。四国八十八カ所霊場会が公認した先達は、いわば巡礼の水先案内人。お遍路文化の伝承者でもある▲ 昨年暮れ、霊場会は韓国人女性を初めて先達に公認した。外国人が迷わずに巡礼できるよう、遍路道へステッカーを貼る活動を続ける。「世界遺産」を目指す霊場を、海外へアピールするいい機会だ▲ 「悲しいです」と、彼女に言わせる事件が起きた。「『大切な遍路道』を朝鮮人の手から守りましょう」。こんな貼り紙が、遍路道にある各地の休憩所で見つかった。「差別は許されない」と霊場会▲ひたすら解脱を求める神聖な道場で、貼り紙に遭遇したお遍路さんの気持ちを思う。「差別」は菩提や涅槃という境地の対極にある。誰より、「元祖国際人」だった空海が、一番悲しんでいよう。(引用ここまで)
小社会 2014年04月11日08時03分http://203.139.202.230/?&nwSrl=318516&nwIW=1&nwVt=knd
後に女性史研究家となる高群逸枝(たかむれいつえ)が四国遍路に挑んだのは1918年、24歳のときだった。愛媛から高知、徳島と逆打ちし、故郷・熊本の地元紙に書き送った道中の様子は「娘巡礼記」(岩波文庫)にまとめられている。若い女性遍路は好奇の的だったようだ。不安を抱えながら、不満を募らせ、時にいら立ちを爆発させる。それでも「幸か不幸か私は何処(どこ)ででも好遇されて来た。好遇を通り越して畏敬」と書いているから、「お接待」などに心を動かされる場面も多かったのだろう。徳島県を皮切りにお遍路さんの休憩所で、外国人排除を促す貼り紙が相次いで見つかっている。遍路の魅力を伝える「先達」に公認され、外国人が道に迷わないようステッカーを貼っている韓国人女性に対する嫌がらせのようだ。空海が留学した当時の中国・長安は大国際都市。多くの宗教をはじめ、さまざまな文化に接する中で、広く大きな心を培ったとされる。そんな空海の精神に反し、お接待の心をも踏みにじる行為に、怒りがこみ上げる。四国各県は四国八十八カ所霊場と遍路道の世界遺産登録を目指している。道は険しいようだが、さらに困難になるかもしれない。人種差別を扇動する貼り紙が「資格なし」の決定打になってしまわないか、と気掛かりだ。あちこちで頭をもたげる偏狭なナショナリズムに危機感を持たないと、この国の未来は闇に閉ざされかねない。(引用ここまで)