愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

侵略戦争責任と安倍政権腐敗をスルーして習近平氏の新年祝辞にケチをつけ歪曲する日本のマスコミに大喝!

2015-01-02 | 中国侵略と戦争責任

事実をアベコベに報道するNHKは侵略戦争責任を国民にどう伝えるのか!

日中両国民の連帯を構築するためには憲法を活かす政権しかない!

NHKニュースを観て驚きました。感情が移入されているからです。冷静さを失っているとしか言いようがありません。中国政府と国民を挑発しているとしか言いようがありません。日本国民の税金で運営されているNHKが、このようなことで良いわけはありません。そこで、どこが問題か、検証してみることにしました。そこで、ポイントです。

1.習主席は去年11月に安倍総理大臣との首脳会談に応じ、日中関係改善に向けた動きも出ています

これでは、安倍首相の方が正しいということになります。しかし、事実は全く逆です。そもそも、日中関係が悪化したのは、一つは、石原東京都知事の尖閣領有発言から国有化が最大の問題でした。二つ目は安倍首相と閣僚の靖国参拝が原因であることを覆い隠しているからです。

このニュースを観た国民がどのような感情を形成するか、いや、形成させるか、そのネライは明らかです。本来は、日中平和友好条約にもとづいて平和的解決を目指さなければならないところですが、日本が挑発的言動を取ることで、中国政府と国民を煽っているのです。それを「利用」して、憲法改悪の地ならしをしているのです。

2.戦後70年の節目となることし、抗日戦争の歴史を共産党支配の正統性のアピールと日本に対するけん制に利用しようという意図をうかがわせました。

「抗日戦争の歴史」は、日本が侵略をした歴史であることは常識中の常識です。日本の側に責任があることは明らかです。しかも、その侵略戦争に対して「国共合作」によってつくられた「抗日民族統一戦線」をつくって抵抗して勝利したのは、中国共産党が指導した結果であることも、また事実です。 

また国連常任理事国であり、日中平和友好条約を締結し、日本の資本が投下され多くの日本の工場が進出し、今や日本国民の生活に欠かせない製品を生産している国の政治統治を「共産党支配」という言葉を使って、その「共産党支配」の「正当性」を「アピール」する、「日本に対する」「けん制」に「利用する」と、侵略戦争の被害国である中国の国内問題に対して、加害国である日本が被害者であるかのような言葉を使って習氏の演説を評価しているのです。

しかし、NHKの物言いをそのまま認めるのであれば、共産党一党支配を取っている中国共産党に、その正当性をアピールされるようなこと、「けん制」されるようなことはしなければ良いのです。さらに言えば、一党独裁の中国共産党政権とは手を切れば良いのです。

しかし、そのようなことはしないのです。では、何故、このような言葉を使って習近平氏の演説にケチをつけるのでしょうか。その最大のネライは、「日本に対する」という言葉にヒントがあります。習政権が批判するのは、「日本」ではなく、「安倍政権」であり、「日本軍国主義であることは、以下の産経の記事でも明らかです。日本のマスコミは、この点をスリカエ、「日本」と表現することで、日本国民の素朴なナショナリズムを偏狭なナショナリズムに高め、安倍政権の野望を応援するのです。この点が、最大のポイントです。

3.国家、民族、平和のために尊い命を差し出した人々の犠牲と貢献を、われわれはたとえ時代がどう変化しようと、永遠に深く心に刻まなければならない

この言葉そのものは、日本の加害と中国国民も被害と抵抗の事実を指摘しているのですが、日本が、この加害の事実を認め、二度と同じ過ちを繰り返さないという決意とそれに基づく政策の実行を中国国民に伝えきっているかどうか、そのことが最大の問題です。

そもそも、日本政府が、この加害の事実を認めているのであれば、このような中国共産党支配が、その「正当性をアピールする」こと、また日本政府を「けん制する」必要などあり得ないのだということを考えなければなりまなせん。

税金で運営されている公共放送NHKが、侵略戦争の反省の上に立って制定された日本国憲法を遵守し擁護する義務を履行しているのであれば、このような日本語を使った報道はあり得ません。

習氏の「意図」を解説するNHKの「意図」が、如何に憲法から逸脱しているか、他のマスコミが、習氏の演説を、中国政府=共産党の腐敗に対するものを中心としていることからも明らかです。

では、NHKも報道する中国政府=共産党の腐敗に対する習氏の発言に対して、何も論評していないのは何故でしょうか。それは、安倍政権の「政治とカネ」問題の対応ぶりと大きな違いがあるからです。このことについては、以下の記事をご覧ください。またこの問題については、すでに記事にしてありますのでご覧ください。

防衛相、中谷氏に交代 政治資金問題で江渡氏続投辞退 安倍第3次内閣24日発足 2014.12.24 00:08更新  http://www.sankei.com/politics/news/141224/plt1412240001-n1.html

【女性2閣僚辞任】江渡防衛相「説明責任を果たす」 2014.10.20 20:07更新http://www.sankei.com/politics/news/141020/plt1410200106-n1.html


NHK 習主席 新年祝辞で抗日戦争などに言及  1月1日 5時00分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150101/k10014378971000.html
 中国の習近平国家主席は新年の祝辞のなかで、去年の成果の1つとして、抗日戦争勝利記念日や「南京事件」の追悼日を制定したことを挙げ、戦後70年の節目となることし、抗日戦争の歴史を、共産党支配の正統性のアピールや日本に対するけん制に利用しようという意図をうかがわせました。
中国の習近平国家主席は12月31日夜、国営のテレビとラジオで新年の祝辞を述べ、このなかで9月3日を抗日戦争勝利記念日に、また、12月13日を「南京事件」の追悼日に、それぞれ法に基づいて制定したことを去年の成果に含めました。そして、「国家、民族、平和のために尊い命を差し出した人々の犠牲と貢献を、われわれはたとえ時代がどう変化しようと、永遠に深く心に刻まなければならない」と述べました。
習主席は去年11月に安倍総理大臣との首脳会談に応じ、日中関係改善に向けた動きも出ていますが、新年の祝辞では、戦後70年の節目となることし、抗日戦争の歴史を共産党支配の正統性のアピールと日本に対するけん制に利用しようという意図をうかがわせました。

このほか習主席は、「党を厳格に管理する方針を引き続き全面的に推し進める。中国共産党が指導する社会主義国家においては、腐敗分子は1人1人見つけしだい調べて処罰しなければならない」と述べ、厳しい腐敗の取り締まりをことしも続けることを宣言しました。(引用ここまで

時事通信 習氏、反腐敗闘争の成果誇示=胡前主席側近を解任-中国 2014/12/31-20:55
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_date2&k=2014123100179
【北京時事】中国の習近平共産党総書記(国家主席)は31日、国政助言機関・全国政治協商会議(政協)の新年茶話会で演説し、「われわれは反腐敗闘争の力を強め、虎(大物腐敗指導者)もハエ(腐敗役人)も一網打尽にする方針を堅持し、一部の腐敗分子に党の規律と国の法律に基づき制裁を加えた」と述べ、成果を誇示した。国営新華社通信が伝えた。
 一方、党中央は31日、新華社を通じ、胡錦濤前国家主席の元最側近で、重大な規律違反で調査を受け失脚した令計画・党中央統一戦線工作部長を解任し、後任として孫春蘭・天津市党委員会書記(党中央政治局員)の任命を発表した。
 習主席の演説は、汚職容疑などで周永康前党中央政法委書記や令氏らを相次ぎ摘発したことを念頭に置いたものだ。(引用ここまで


産経 中国主席、「腐敗した者は厳しく処罰」 新年あいさつで反腐敗運動継続を強調 2014.12.31 22:04更新  http://www.sankei.com/world/news/141231/wor1412310052-n1.html
 中国の習近平国家主席は31日、新年のあいさつを発表し、「中国共産党が指導する社会主義国家では、腐敗した者は発見次第、厳しく処罰しなければならない」と述べ、2015年も反腐敗運動を継続する考えを強調した。国営新華社通信が伝えた。習氏は14年を振り返り、9月3日の「抗日戦争勝利記念日」と12月13日の南京事件犠牲者の国家追悼日に大規模な式典を開催したことなどを列挙。「時代が変わっても、国家や民族、平和のために命をささげた人々の犠牲と貢献を忘れてはならない」と述べた。(共同)(引用ここまで

【共同通信】  胡氏元側近の解任発表 中国、党ポスト外れる  2014/12/31 19:55   http://www.47news.jp/CN/201412/CN2014123101001314.html
 【北京共同】31日の新華社電によると、中国共産党は、胡錦濤前国家主席の元側近で、重大な規律違反の疑いで調査を受けている令計画・人民政治協商会議副主席(58)を、党統一戦線工作部長から解任し、後任に孫春蘭・天津市党委員会書記(64)を充てることを決定した。刑事責任を含めた厳しい処分を受ける可能性がある。令氏の解任は一部国内メディアが伝えていたが、国営メディアを通じて正式に発表した。習近平指導部は、12月22日に令氏の調査を発表。人事面での処理を速やかに公表することで党内の動揺を抑えると同時に、権力基盤を固める狙いがあるとみられる。(引用ここまで

日本は悪くない!思想があふれている産経記事!

上から目線と安倍政権を正当化する日本のマスコミの思想浮き彫り!

だが、習近平氏が「非難」するのは「日本」ではないこと浮き彫りに!

大東亜戦争正当化派のねつ造・不道徳明らか!

産経 「30万人の同胞を殺戮した」「日本民族を恨むべきでない」 南京事件77年式典で習主席、硬軟両用の構えも  2014.12.13 19:07更新  http://www.sankei.com/world/news/141213/wor1412130046-n1.html
中国江蘇省南京市の南京大虐殺記念館で開かれた犠牲者追悼式典=13日(新華社=共同
【南京=河崎真澄】日中戦争時の1937年に旧日本軍による南京占領で起きたとされる「南京事件」から77年が経過した13日、江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」で追悼式典が初めて国家主催で行われ、住民ら約1万人が参加した。
式典で習近平国家主席は「30万人の同胞が痛ましく殺戮(さつりく)された。侵略戦争を美化する一切の言論は、平和と正義に危害を与える」などと警戒感を示し、南京事件や日中戦争をめぐる歴史認識で日本を強く牽制(けんせい)した一方、「少数の軍国主義者が引き起こした侵略戦争で、その民族(日本人)を恨むべきではない。戦争責任は人民にはなく、両国民は友好を続けるべきだ」などと述べた。11月に2年半ぶりの日中首脳会談が実現したことを受け、習氏は従来の強硬一辺倒から、対日関係改善も模索する硬軟両様の構えを見せ始めた。(引用ここまで


産経 習主席「侵略者、いつまでも忘れない」 南京事件77年式典、改めて日本牽制 2014.12.13 12:59更新 http://www.sankei.com/world/news/141213/wor1412130028-n1.html
 南京大虐殺記念館で開かれた犠牲者追悼式典で、演説する中国の習近平国家主席=13日、中国江蘇省南京市(代表撮影・共同
【南京=河崎真澄】日中戦争時の1937年に旧日本軍による南京占領で起きたとされる「南京事件」から77年となった13日、江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」で、初の国家主催による追悼式典が1万人以上参加の下で行われた。習近平国家主席(党総書記)は式典の演説で、「侵略戦争を美化する一切の言論は平和と正義に危害を加えるものであり、強く警戒し反対する」と非難した一方で、「ある民族の少数の軍国主義者が引き起こした侵略戦争により、その民族(全体)を恨むべきではない。戦争責任は人民にはない」と述べつつも、「侵略者の犯罪行為は(その民族も)いつまでも忘れるべきではない」と強調し、改めて日本を牽制(けんせい)した。
習氏はまた、「8年間の日本の侵略で3500万人の死傷者が出たが、中国人民が抗日戦に勝利した」とも述べた。習指導部は、来年を「抗日戦争と反ファシズム戦争の勝利70年」と位置付けている。(引用ここまで


習近平主席が2015年の新年祝辞を発表  http://jp.xinhuanet.com/2015-01/01/c_133890725.htm

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日本の戦争責任を曖昧にする朝日社説にみる歴史修正主義への敗北主義に大喝!

2015-01-02 | 歴史

「歴史修正主義」に立ち向かわない朝日の姑息浮き彫り!

憲法平和主義と国際協調主義の土台は対等平等の対話と交流路線!

これを実践するためには侵略戦争と植民地主義の誤りを否定することでだ!

朝日の年頭社説を読んで、改めて、この新聞の現実追随主義に呆れました。この新聞には歴史の進歩という視点は毛頭ないことが判ります。それは、以下のとおりです。ご覧ください。
1.まず「戦後70年」という歴史認識が抽象的だということです。戦後の始まりは、言うまでもなく軍国主義を否定し日本の民主化、戦争犯罪人の処罰を受け入れたポツダム宣言でした。そしてそれを受けて制定された日本国憲法です。これを安倍式に言えば「戦後レジーム」です。この戦後体制がどのように変質させられ今日に至ったか、明確にしていません。

2.「植民地支配をした日本と、された韓国があらためて関係を結びなおした基本条約から50年という節目でもある」としていますが、そんな簡単なものではないでしょう。朝鮮植民地政策の始まりは、実は1875年江華島事件から考えなければならないのです。日本が起こした挑発的事件の意味と歴史的意義、それから1945年のポツダム宣言まで、ちょうど「70年」です。朝鮮半島の人たちにしてみれば、この「70年」を意味づけない如何なる論評も受け入れ難いものがあるのではないでしょうか。

3.この「70年」は、実は沖縄の「70年」でもある訳です。朝日は、「沖縄差別」をことあるごとに口に出して、同情的論評を行っていますが、朝日の「沖縄差別」論は、国民一般をも「差別者」として捉えるトンデモナイ「差別」論です。戦前においては天皇制が、戦後においてはアメリカとアメリカに追随している戦前勢力を免罪するものであることは、再三再四記事にしてきましたので、ここでは繰り返しません。

4.この社説でも、「歴史を考えるときの『自分』とは、ふつう日本人としての『自分』だ」などとゴマカシ。スリカエています。侵略・膨張・植民地主義なのか、全く明らかにしていません。その大本に何があるか。それが今日どこに受け継がれているのか、この社説からは、全く明らかされていません。そうしておいて、国民同士を諍いの渦に巻き込むのです。ここに朝日の姑息が浮き彫りになります。

5.侵略され、その侵略者に迎合したフランス政府の自虐論を持ち出すことで、侵略を行った日本の自虐論を免罪するのです。これはちょうど、戦後の原点から大きく逸脱して「反共の砦・防波堤化」させたアメリカの側に立って、沖縄や日本の政界の屈辱的支配を許してきた自民党政権を免罪するマスコミと似ています。特に日米軍事同盟を公共財として位置付け容認する安倍派と同じ目線にたつ朝日の姿そのものです。

.「人と人の国境を超えた交流が急速に広がりつつあるグローバル時代にふさわしい歴史」というのであれば、国際紛争は国家による戦争、武力行使、武力による威嚇を永久に放棄した憲法の平和主義・国際協調主義を語らねばなりません。「対話と交流」という非軍事的手段による紛争解決こそ、平和と繁栄をもたらすという思想です。「交流」とは、政治的・経済的・文化的・人的交流です。相互理解の土台です。

7.9千年も続いたとされている縄文時代以来、弥生時代の交流から、今日まで二千年の歴史を踏まえるならば、東アジアの端に位置する「日本」が犯した過ちを、「日本だけの問題ではない」などとすることはできません。非人道的行為には時効は適用されないとする国際条約を踏まえるのであれば、日本は、アジアに対して、どのような姿勢と態度で臨まなければならないのか、明瞭です。

.日本が「グローバル・ヒストリー」を口に出すのであれば、まずもって、それを否定してきた歴史を直視して教訓化することです。そうしなければ、信頼を得ることはできないでしょう。朝日の社説には、加害者としての自覚、被害者に寄り添う自覚、加害の事実を教訓化することの意味の自覚が欠落していると言わざるを得ません。

9.このような社説が書かれるのは何故か。それは侵略戦争を真に総括する視点が欠落しているからです。侵略戦争は、何も被侵略国の被害だけではありません。日本国内の人権と民主主義を否定してはじめて侵略戦争が可能になったという視点です。朝鮮植民地のことを言えば、啄木が論じた大逆事件など、先人たちの戦争と植民地主義反対、日本の労働者・農民・国民の人権擁護のたたかいを弾圧してはじめて侵略戦争が可能になったという事実も上げなければなりません。

以上の視点で、以下の社説を読むと、朝日の侵略戦争の反省のうえに制定された憲法に対する態度、その裏返しとして日米軍事同盟のスタンスが浮き彫りになります。この二つの矛盾した「体制」が併存しながら。戦後の歴史が形成されてきたことをどのように総括し、新たな70年の形成に立ち向かっていくのか、です。それは朝日が一度も指摘していない憲法平和主義の道しかないということです。

対中朝「脅威」論・ナショナルヒステリーを煽っているのは誰か!

繰り返えされる挑発的言動を免罪しているのは誰か!

朝日新聞  グローバル時代の歴史/「自虐」や「自尊」を超えて  2015/1/1 4:00 http://www.asahi.com/paper/editorial.html

歴史の節目を意識する新年を迎えた。戦後70年。植民地支配をした日本と、された韓国があらためて関係を結びなおした基本条約から50年という節目でもある。しかし今、そこに青空が広がっているわけではない。頭上を覆う雲は流れ去るどころか、近年、厚みを増してきた感さえある。歴史認識という暗雲だ。それぞれの国で「自虐」と非難されたり「自尊」の役割を担わされたり。しかし、問題は「虐」や「尊」よりも「自」にあるのではないか。歴史を前にさげすまれていると感じたり、誇りに思ったりする「自分」とはだれか。
■歴史のグローバル化
過去70年間を振り返るとき、多くの人の頭に浮かぶ歴史的な出来事は何だろうか。震災や台風といった災害、オリンピックのような祝祭、あるいはバブル経済や政権交代かもしれない。たいていは日本の光景だろう。歴史を考えるときの「自分」とは、ふつう日本人としての「自分」だ。
しかし今、その「ふつう」が必ずしも「ふつう」ではすまない時代に入っている。グローバル時代だ。ヒトやモノ、カネ、情報が軽々と大量に国境を超える。社会が抱える問題も国境では区切られなくなっている。金融危機や地球温暖化、感染症……。日本だけの問題ではない。被害に遭うのは多くの国の経済弱者だったり、農民だったり、人類全体だったり。解決に取り組む人々のネットワークも日本という枠におさまらない。
歴史が自分たちの過去を知り、今の課題を乗り越えて未来を切り開くための手がかりだとしたら、国ごとの歴史(ナショナル・ヒストリー)では間に合わない、ということになる。では、どんな歴史が必要か。
米ハーバード大学名誉教授の歴史家、入江昭さんは昨年出版した「歴史家が見る現代世界」の中で「グローバル・ヒストリー」の重要性を訴えている。国や文化の枠組みを超えた人々のつながりに注目しながら、歴史を世界全体の動きとしてとらえ、自国中心の各国史から解放する考え方だ。現代はどんな国も世界のほかの国や人とつながり、混ざり合って「混血化」「雑種化」していると指摘する。「その流れを止めたり、もともと存在もしなかった『純粋』な過去に戻ろうとしたりするのは歴史を神話にすりかえることである」
■忘れるための歴史
フランスの思想家、エルネスト・ルナンが1882年、パリ・ソルボンヌ大学で「国民とは何か」という講演をした。国民国家についての古典的な考え方のひとつとされる。そこで彼は、国民という社会を築くうえで重要なのは「忘却」あるいは「歴史についての誤り」だという。国民の本質は「すべての人が多くの事柄を共有するとともに、全員が多くのことを忘れていること」とも。だから「歴史研究の進歩はしばしば国民性にとって危険です」とまで語っている。
どんな国にも、その成り立ちについて暴力的な出来事があるが、なるべく忘れ、問題にしない。史実を明らかにすれば自分たちの社会の結束を揺るがすから――。ナショナル・ヒストリーについての身もふたもない認識である。
そのフランスで昨年、第2次大戦中の対独協力政権(ビシー政権)について「悪いところばかりではなかった」などと書いた本が出版された。批判の矛先は、これまでの歴史研究のほか家族など伝統的な価値観の「破壊」にも向かう。ベストセラーとなった。グローバル化でこれまで人々のよりどころとなっていた国民という社会が次第に一体感をなくす中、不安を強める人たちが、正当化しがたい時代について「忘却」や「誤り」に立ち戻ろうとしているかのようだ。「一種の歴史修正主義です」とパリ政治学院上級研究員のカロリヌ・ポステルヴィネさん。東アジアの専門家だ。「自虐史観批判は日本だけで見られるわけではありません」
■節目の年の支え
東アジアに垂れ込めた雲が晴れないのも、日本人や韓国人、中国人としての「自分」の歴史、ナショナル・ヒストリーから離れられないからだろう。日本だけの問題ではない。むしろ隣国はもっとこだわりが強いようにさえ見える。しかし、人と人の国境を超えた交流が急速に広がりつつあるグローバル時代にふさわしい歴史を考えようとすれば、歴史は国の数だけあっていい、という考えに同調はできない。自国の歴史を相対化し、グローバル・ヒストリーとして過去を振り返る。難しい挑戦だ。だが、節目の年にどうやって実りをもたらすか、考えていく支えにしたい。(引用ここまで

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