産経高木氏デタラメ共産党観に感謝感激ありがとう!を送りましょう!!
またまた高木氏が共産党を揶揄・貶める記事を書きました。以下の記事です。
【高木桂一の『ここだけ』の話】皇室への距離縮める「共産党」 “天皇制反対”戦略転換か 2015.1.23 06:00更新 http://www.sankei.com/premium/news/150123/prm1501230005-n1.html
これまで、高木氏は、以下の記事を書いてきました。それについては、愛国者の邪論なりに、批判する記事を書いてきました。ご覧ください。
【高木桂一の『ここだけ』の話】「赤旗」についにAKB48が登場写真あり 2014.10.6 11:00更新 http://www.sankei.com/premium/news/141006/prm1410060003-n1.html
【高木桂一の『ここだけ』の話】八代亜紀を「赤旗まつり」に迎える共産党写真あり 2014.9.15 07:00更新 http://www.sankei.com/premium/news/140915/prm1409150005-n1.html
【高木桂一の『ここだけ』の話】破格の厚遇「まるで赤い貴族」 “躍進”共産党に君臨する不破元議長の“伝説” 2015.1.8 06:00更新 http://www.sankei.com/premium/news/150108/prm1501080005-n6.html
【高木桂一の『ここだけ』の話】 安倍政権の「暴走」に感謝?! 共産が空前の党勢拡大 2014.8.24 12:00更新 http://www.sankei.com/premium/news/140824/prm1408240014-n1.html
愛国者の邪論
またまた出た!AKB48の内山奈月さんが赤旗日曜版に登場にケチ!憲法否定・敵視の産経浮き彫りに!(2014-11-05 21:22:15 | 共産党)http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/5f383b23169440f952efcfe2b43da80c
屈折した産経の高木佳一氏の共産党論にみる産経の皮相な「皮算用」を検証する!(2014-11-04 07:19:45 | 共産党)http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/75cdf6e7a71d569e74e4d5ea4f232b23
では、高木氏のデタラメぶりを検証してみることにします。ご覧ください。
産経特有の偏見満載の印象操作浮き彫り!
出所不明で自分に都合の良い事実を切り貼る!ねつ造という!
この手口は産経の常套手段です。こういう手口が許されるのであれば、何でもアリです。抽象合戦になりかねません!客観性を装った主観的偏見記事と言えます。読者を「洗脳」させるための手口は、「表現の自由」に値しないものです。これは韓国でも証明されました。以下ご覧ください。
1.ある党幹部は「今年の秋に大きく動く」と意味ありげに語るが、はたして…。
2.永田町では「天皇陛下のお言葉を共産党幹部が丸ごとネットを通じて披露するのは異例中の異例だ」(自民党幹部)と受け止められている。
3.同党職員の勤務規定では、「国民の祝日」のうち「天皇誕生日」はじめこれら3つの祝日については「天皇制肯定の性格が濃い」(党関係者)として、休日とみなしていなかった。しかしこれを休日に改めたことは「天皇制への対応での大きな変化だ」と共産党ウォッチャーはいう。
4.共産党幹部は「小池氏が眞子さまと同席したことで、皇室との距離をさらに縮めていく道筋はできた」と党幹部は強調するが
「衣の下に鎧をまとう革命政党」論に固執する高木氏のオウムぶり浮き彫り!
共産党の「多数者革命」論、「自由と民主主義の宣言」「綱領」「国民・住民が主人公」論に貫かれている人権・民主主義論を勉強していないことが浮き彫りになります。これらの文献に即して文章を書くべきです。ジャーナリストの最低のルールもモラルも持ち合わせていない!偏見の塊と言えます。
これについては、すでに書きましたので、簡単にしておきます。古い、しかもその当時の歴史を踏まえない、更に言えば、現行憲法の人権と民主主義思想と制度を観れば、古い「革命」論は成り立つはずがありません。これだけ発展した日本にあって、アメリカ独立革命・フランス革命・ロシア革命のような革命が日本に起こるという思考回路こそ、呆れます。「革命政党」である日本共産党が、「かつてのような教科書に出てくるような革命を起こす」とでも思っているのでしょうか。或は、「あのような革命に、一体全体誰が賛同して決起する」とでもいうのでしょうか。
そのようなことはあり得ないことを百も承知していながら、オウムのように、コピペして書いているネライは、「共産党って、何となく暗い、何をするか判らないぞ」というマイナスイメージを振りまくことにあります。このことは対中朝「脅威」論を振りまいて、共産党を危険な政党と印象操作することと同じです。このことは戦後自民党が、ソ連や中国、北朝鮮の蛮行を利用して共産党のイメージダウンを謀り、その躍進を阻んできたことを観れば明らかです。共産党の政策ではなく、外国の「共産党」と名乗る政党と政権を利用して共産党のイメージダウンを謀るという姑息です。正々堂々と政策でたたかうことを避けているのです。ここに、産経が先頭に立ってきたことは明白です。
それは「共産党」の本当のことを書くと、共産党への支持が広がってしまうことを、実は産経自身、高木氏自身が良く判っているからでしょう。確信犯です。だから、一言一言に、高木氏の「クセ」が浮き彫りになるのです。捻じ曲がっている「クセ」です。意図的です。気の毒です。
実は、このことは、高木氏自身が以下のように表現しているのです。
政党に限らず組織というものは往々にして、格好の「敵」をつくり、それを糧にして強化、拡大していくものだ。共産党が目をつけたのが、安倍政権なのである。ゆえに共産党にとっては渡りに船といえる安倍政権の「暴走」に対し、同党が真剣にブレーキをかけたいと考えているとは思えない。2014.8.24 12:00更新
これは、高木氏自身のことを、産経のことを、更に言えば安倍首相、アメリカのことを言っている文章、思想と言えます。共産党が安倍政権を「敵」としてみているかどうかは別として、安倍政権を批判しているのは、簡単に言えば「憲法」を「敵視」して否定しているからです。このことが国民生活、国民主権に相容れないからです。日米軍事同盟にして然りです。「綱領」、「赤旗」をよくよく読むべきです。ま、立場が違うから仕方ないのかも知れません。
それでは、高木氏がオウムのように繰り返している部分をご覧ください。思考停止ぶりが浮き彫りです。恥ずべきことです。
1.しかしそれ以前に、衣の下に鎧(よろい)をまとった革命政党が党勢拡大にどれだけ躍起になろうが、おのずと限界があることは言うまでもない。2014.8.24 12:00更新
2.政党、それも衣の下に鎧(よろい)をまとう革命政党と、人気アイドルグループのメンバー。いかにも距離がありそうな両者が「接点」をもったのだから、その“意外性”のインパクトが小さいわけがない。…むろん天皇制も自衛隊も頑として認めようとしない革命政党だ。どうあがいても本質が変わらない限り、国民の間で支持が大きく広がることはない。共産党は共産党なのである。2014.10.6 11:00
3.ただ、共産党が社会主義社会の実現を目指す「革命政党」であるかぎり、皇室制度と本質的なところでは相いれない…ともあれ、いかに皇室に接近して「普通の政党」を“偽装”しようが、衣の下に鎧(よろい)をまとう革命政党の本質が変わらないかぎり、効果はさほど期待できないのではないだろうか。2015.1.23 06:00更新
またまた「ともあれ」でゴマカス・スリカエる!
侵略戦争である大東亜戦争を正当化する産経がふれたくないのは、天皇の「お言葉」の満州事変に始まるこの戦争の歴史」という部分です。謀略である柳条湖事件から始まった大東亜戦争の「戦争の惨禍」の「評価」は「侵略戦争」です。これは国際社会の常識中の常識です。しかし、産経と高木氏は、認めたくありません!しかし天皇を批判することはできません。そこで、高木氏が使った言葉は、「しかし内容はともあれ」とゴマカシ、スリカエ、大ウソをついたのでした。もっと真面目にやったらどうでしようか。
「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」という個所を素晴らしいと受け止め、ツイッターで紹介したという。しかし内容はともあれ、…
国歌斉唱「思想信条表現の自由」ではないのか!
侵略戦争の動員装置であった「君が代」「日の丸」を強制するものではないとして、「国旗」「国歌」化したはずでした。しかし、その後の歴史は、全く逆の事態が進行していることは東京、大阪、サッカー界などを観ると、良く判ります。戦前と同じように、個人の「思想信条表現の自由」を侵し、組織を優先させるための装置として、国旗・国歌が使われていることを、産経は認めるべきです。いやいや、認めるというのではなく、産経自身が煽って、そのような「風潮」づくりの旗振り役を演じていることは、産経の記事を観れば明らかです。人権と民主主義を否定していることに対して責任を取るべきです。
それは産経自身が、あの侵略戦争であった大東亜戦争を正当化しているのですから当然のことです。如何なる国家であっても、組織であっても、個人の尊厳を否定することは近代民主主義とは相いれないものです。これを否定することは、高木氏自身が主張する古い「革命」論に基づく国家社会と同じになります。そのことを高木氏自身が気付いていないのでしょうか。いやいや、判ってやっているということにしておきましょう。高木氏自身の名誉のために。
ただ式次第の冒頭にある「国歌斉唱」で小池氏が途中退席せず「君が代」を歌ったかどうかは不明だが…。
古い天皇観に固執する高木氏と産経は天皇の意向に反している!
高木氏や産経の天皇観は、実に旧いものだということが判ります。これは憲法を厳守するとしている現行天皇の意向にも反するものではないでしょうか。
そもそも、天皇の地位と権能は、国民の総意によって決まる!現行憲法を観れば、共産党の対応は、何ら問題ではないのではないでしょうか?共産党が参加する政権が誕生すれば、現行憲法の天皇条項が厳守されることは明らかです。現在のような「政治利用」は克服されることでしょう。恐らく、このことは天皇にとっても、天皇家にとっても、ありがたいことではないでしょうか?安倍政権と自民党を迷惑がっているのではないでしょうか。
安倍政権の応援団である産経は、天皇の元首化を狙う安倍政権と同一方向を向いていることでしょう。そのような視点で観ると、最近の明仁天皇の「先の大戦」観、「現行憲法」観は、相当のプレッシャーとなっていると思います。そういう視点で見ると、「微妙に変化してきた」共産党の「歴史的転換」「歴史的出来事」「大きな変化」であるとする様々な事実は、実は、産経や安倍政権にとって、苦々しいことであるという思いを高木氏自身が述べているのです。以下の部分です。
ともあれ、いかに皇室に接近して「普通の政党」を“偽装”しようが、衣の下に鎧(よろい)をまとう革命政党の本質が変わらないかぎり、効果はさほど期待できないのではないだろうか」
このような書き方は、実は、他でもやっているのです。高木氏お得意の皮肉・揶揄表現のコピペです。ご覧ください。間違っても、訂正もしないし、釈明もしない!書いたもんが勝ちという不道徳ぶりが浮き彫りになります!所詮、この高木氏と産経は、この程度なのです。
永田町では安倍晋三首相が衆院を電撃解散し、「11月9日総選挙」という憶測も一部で広がっている。筆者は否定的だが、解散権を握る安倍晋三首相の胸の内は読めない。11・9総選挙の可能性は限りなく低いだろうが、仮に選挙となれば赤旗まつりは一気にぶっ飛ぶ。先行投資はすべて水泡に帰し、厳しい党の懐を直撃しかねない。八代亜紀は代表作『雨の慕情』のサビで♪雨雨ふれふれ もっとふれ~ 私のいい人つれて来い~と歌った。赤旗まつり当日、不運にも土砂降りとなれば、客足が大きく遠のく事態も予想される。ともあれ、共産党が「統一地方選に向けた決起大会」に位置づける赤旗まつりの行方をとくと見守ることにしよう。(2014.9.15 07:00更新 )
天皇の「お言葉」問題で言えば、天皇の「政治的発言」がなくなれば、産経の心配もなくなるのではないでしょうか。「天皇が『お言葉』を述べるのは憲法違反」などと、どこで言っているのか、明らかにすべきです。それにしても、最近の天皇の「お言葉」を観ていると、産経の「心配」が解消される、その日は近いかも知れません。
愛国者の邪論は、父裕仁天皇が戦争責任を不問に付した生涯に対して、明仁天皇がどのような考えをもって行動しているか、その言動を観ていると、贖罪意識をもっているのではないか、このことを明仁天皇なりの表現で実行しているのではないか、そのことを通してこそ、皇室を守ることになると考えているのではないかと、と思う今日この頃です。
しかし、そのような意図があるかどうかは別として、憲法上は、天皇の行動については、内閣の指導と助言が必要不可欠です。そのことを抜きに天皇の言動を考えることはできないことも、また事実です。だからこそ、天皇の「意思」がどのように変化してきているか、そのことを考慮しながら、憲法を活かす政権を樹立することによってこそ、天皇問題が解決できるということに確信をもっています。
繰り返します。「天皇の地位」は「主権者の総意」で決まるのであって、一内閣の思惑で左右されることがあってはならないことは明らかです。これは憲法上の問題と言えます。このことで言えば、阪神大震災の際の天皇と安倍首相の行動を観れば、一目瞭然です。産経・高木氏は、この事実をどのように報道するでしょうか。或は、8.15.3,11の式典における天皇の「お言葉」と安倍首相の「演説」の違いをどのように評価するのでしょうか。
天皇皇后両陛下のおことばなど http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba01.html
主な式典におけるおことば(平成26年) http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h26e.html
昭和天皇の戦争責任は国内の人権と民主主義否定にもある!
昭和天皇の戦争責任曖昧論と憲法否定思想は歴史に唾するもの!
産経は、現人神で、主権者であった昭和天皇が、軍部や政府を使って、人権と民主主義を否定して、どのようにして国民を戦争に動員して「戦争の惨禍」を創りだしていったか、沈黙・黙殺して免罪しています。安倍首相も歴代自民党政権も、治安維持法によって人権を侵害された、反戦平和を唱え行動した「英雄」については、「英霊」に「尊崇の念」を抱くような思想も感情は微塵もありません。戦前の「国賊・非国民」思想が残っているからでしょうか。全く無視しています。
現行憲法を読めば、戦前の大日本帝国憲法下において人権と民主主義を否定した昭和天皇の政治と真逆のことが書かれているのです。これは、人権、民主主義、反戦平和を唱えて行動した「英雄」たちの主張の正しさを示しているのです。そのようなことについて、昭和天皇は、一切語らず、自分の戦争責任については、一切封印して、いやむしろ沖縄生贄の米軍軍事基地化を容認する「天皇メッセージ」をアメリ政権に送っていたことが、後々に発見されるなど、戦争責任については、曖昧い、正当化しながら、戦前とは違ってアメリカに阿る、売り渡すなど暴挙を行ったまま死亡したのでした。
昭和天皇の問題発言については、まだまだありますが、それが別稿に譲ります。いずれにしても、その死にあたって批判されるのは当然のことです。そのことを無視をして、共産党を批判するのは、歴史に唾するものです。昭和天皇免罪というべきものです。このことは、産経自身が被害者の立場に立たないことを浮き彫りにしています。
産経の手口を反面教師に、共産党がやるべきことは
以上、高木氏の主張を観てきましたが、共産党は、高木氏の主張に対して、イチイチ反論もしていません。黙殺しています。これも一つの方法で、ある意味、高木氏の挑発的言動に乗らないということかも知れません。しかし、高木氏のデタラメは、国民の中にある一定の「共産党」観、「歴史」観を反映していることは確かです。こうした「共産党」観は、明治以後、支配層によって振り撒かれてきたことであり、それを増幅させるために行われていることもまた事実です。一昨年の参議院選挙と昨年の「小躍進」に対して、高木氏、産経がどのように反応しているかを観れば明瞭です。
その特徴は「革命」観、「社会主義・共産主義」観、「天皇制」観、「幹部」観にあります。しかも、それらは、いずれも、古いものの焼き直しであり、戦前の天皇制政治とそれを引き継いだ自民党型政治を前提にした思想、思考回路、色眼鏡から発した言葉に彩られているものばかりで、具体的に、共産党の文献に基づくものではないところに最大の特徴があります。
そうして視点に立って、共産党が国民の中に、その草の根を、更に張り巡らしていくことを展望して、また国民の支持を獲得していくことを考えた時、産経の心配している項目は反面教師として捉えておく必要があるでしょう。ということは、上記でまとめたことに対して、人類の英知の到達点・結晶である日本国憲法を活かすということを最大の課題にして、国民に、その理念と政策を広めていくことが大切ではないかということを産経自身が教えてくれているということでしょうか。
その最大の課題は「民主主義革命」論です。国民生活の全ての分野において、民主主義を徹底させていくという視点をどれだけ国民のものにすることができるかどうか、です。しかも、この「民主主義」は、欧米から輸入されたものではなく、この「日本」列島において、2千年の歴史の中で脈々と受け継がれてきたことであること、それを受け継いだ日本国憲法を根づかせることをとおして、「日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる」(綱領)という視点です。
この視点こそ、「錦の御旗」として日本国民の中に定着させることではないでしょうか。そうして視点に立って、憲法を活かす政権をつくることこそが最大の課題であることを最後に強調しておきたいと思います。そのことが安倍政権の機関紙の一つである産経への回答になるのではないか、ということです。
今、国民は、産経などのプロパガンダによって、共産党に対するイメージが、その脳裏の中に「毒素」として染みついています。それは「民主主義」に対する思想と運動と制度に対する「不確信として」という意味です。これが霞の如く、国民の脳裏に汚染物となって、思考回路を鈍らせています。今度の選挙の低投票率も、その一つです。しかし、それらを取り除く大手術をドクター、神の手を持ったドクターとして大きな役割を果たすべき政党は、共産党であることも、又自明の理です。
何故か。それは「民主主義革命」「国民が主人公」「多数者革命」論を標榜している唯一の政党だからです。これらの思想が、文字通り国民に受け入れられるためには、共産党自身の「不断の努力」が必要であることは論を待ちません。しかし、この努力が本当になされているか、と言えば、愛国者の邪論は、ノーと言わざるを得ないのです。そのことについては、安倍内閣打倒を掲げながらも、新しい政権構想を国民に提起していないこと、国民とともに、というスタンスが弱いということ、「キョーサントー」名に対する国民の不信と不安と心配に噛み合った対応ができていないこと、日本型社会主義・共産主義論が解明されていないこと、などなど、まだまだたくさんあります。
こうした弱点の間隙をぬって、産経高木氏のような恥ずべき論調が行われていることを踏まえると、産経高木氏のような論調に噛み合うような共産党の革命論、民主主義革命論を具体化させていくことではないでしょうか。そういう意味で捉えると、産経高木氏に感謝感謝というべきです。では、以下、高木氏の文章を全文掲載しておきます。
皇室への距離縮める「共産党」 “天皇制反対”戦略転換か
共産党がこれまで距離を置いてきた「皇室」への“接近”を強めようとしている。昨年末の衆院選で「躍進」を果たし意気上がる同党だが、党勢をさらに拡大させるには、「共産党イコール天皇制打倒」のイメージを抱く多数の国民の“共産党アレルギー”をやわらげることが不可欠だと判断したようだ。ある党幹部は「今年の秋に大きく動く」と意味ありげに語るが、はたして…。
実は昨年5月26日、共産党の「対皇室戦略」めぐって“歴史的転換”を示唆するような出来事があった。だが筆者を含めてマスコミもそのことを報じることはなかった。それは厚生労働省が戦後毎年主催して開催している「千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式」に共産党の小池晃政策委員長が自民、民主両党など各政党の代表とともに初めて出席したことだ。同拝礼式には皇室の方々が必ず臨席されるため共産党は参加を見送ってきたが、その日は秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまが臨席されていた。つまり小池氏は眞子さまと同席したのだった。「なにせ戦後初めてのことであり、党指導部で十分協議した上で、党の代表者の出席を決めた。厚労省に事前に小池氏が出席すると伝えたら、担当者は『えっ!?』ってビックリしていたほど。当日、新聞やテレビの記者さんたちも数人取材に来ていたようだが、こっちはマスコミが小池氏の出席をまったくニュースにしないので驚いたよ」
共産党幹部はそう打ち明ける。ただ式次第の冒頭にある「国歌斉唱」で小池氏が途中退席せず「君が代」を歌ったかどうかは不明だが…。
皇室と党幹部が“接触”したのは初めてではない。平成16年11月17日、不破哲三議長(当時)と上田七加子(なかこ)夫人(不破氏の本名は上田建二郎)が、来日したマルグレーテ・デンマーク女王主催の宮中晩餐(ばんさん)会で天皇、皇后両陛下と初めて同席した。当時も話題になったが、同党の発表によれば、あくまで「デンマーク王室からの招待を受けたから」ということらしい。昨年5月の小池氏の千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式出席が党にとって「歴史的出来事」だったのは、初めて党幹部が能動的に皇室と同席したということだからだ。
当の小池氏は今年の拝礼式にも出席する予定だという。同氏は今年元日に天皇陛下が宮内庁を通じて発表された新年にあたってのご感想を自身のツイッターで取り上げ、朝日新聞のデジタルを引用して全文を掲載した。小池氏によれば、陛下のご感想の「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」という個所を素晴らしいと受け止め、ツイッターで紹介したという。しかし内容はともあれ、永田町では「天皇陛下のお言葉を共産党幹部が丸ごとネットを通じて披露するのは異例中の異例だ」(自民党幹部)と受け止められている。
共産党といえば皇室と対極にあるが、実際にはここ十余年で同党の“天皇観”は微妙に変化してきた。振り返れば、18年9月に秋篠宮妃紀子さまが第3子となる悠仁さまを出産されたことについて、共産党は党機関紙「しんぶん赤旗」は囲み記事で「元気な赤ちゃんが誕生したことは喜ばしい」とする志位和夫委員長のコメントを掲載した。郷土人形の収集家として知られる不破元議長は、軍服姿の明治天皇の土人形を秘蔵している。11年出版のある著書で、「深い意味はない。土人形の歴史のひとこまだ」(不破氏)と説明しているが、皇室への生理的なアレルギーを感じさせない自然な発言だけに興味深い。
共産党の皇室観のひとつの転機となったのは、その5年後、16年1月の第23回党大会だ。昭和36年の第8回党大会で採択した党の基本的文書である綱領(いわゆる「宮本綱領」)を全面改定し、天皇制について「民主主義及び人間の平等の原則と両立しない」と反対姿勢を堅持しつつも、「君主制を廃止」というそれまでの表現を削除した。天皇が「憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきもの」と明記し、天皇制との共存を容認した。
それが前述の同年11月の不破氏によるデンマーク女王主催の晩餐(ばんさん)会で天皇陛下との同席につながった。さらに翌12月には、「国民の祝日」でありながら党職員の勤務規定により休日にしてこなかった「建国記念の日」(2月11日)と「みどりの日」(4月29日。現在は「昭和の日」)、「天皇誕生日」(12月23日)を新年から「休日扱い」に改めることを決めた。同党職員の勤務規定では、「国民の祝日」のうち「天皇誕生日」はじめこれら3つの祝日については「天皇制肯定の性格が濃い」(党関係者)として、休日とみなしていなかった。しかしこれを休日に改めたことは「天皇制への対応での大きな変化だ」と共産党ウォッチャーはいう。
共産党は「21世紀の早い時期に民主連合政府を樹立する」ことを掲げ、保守勢力との連携も視野に入れた政治闘争の展開を模索している。皇室との間合いに神経を使わざるを得ないのは、目標達成のためには国民世論を無視できず、独善的との批判がつきまとってきた党活動のあり方を見直す必要に迫られたからだ。
ただ、共産党が社会主義社会の実現を目指す「革命政党」であるかぎり、皇室制度と本質的なところでは相いれない。「天皇が『お言葉』を述べるのは憲法違反」との立場をとる共産党の国会議員は、国会の開会式を欠席している。
戦前の共産党は、ソ連に本部を置くコミンテルンの日本支部として、当時の日本を「絶対主義的な天皇支配とその傘下で勤労者を圧迫・支配する独占資本・軍部が結合した冒険主義的な帝国主義国家」とみなしてきた。
昭和天皇崩御の際の反天皇キャンペーンはすさまじかった。崩御直後の1月10日付で「赤旗」1面に掲載された宮本顕治議長(当時)のインタビュー記事では、昭和天皇を「日本歴史上最大の惨禍をもたらした人物」と断じ「徹底的に弾圧され、たくさんの人が迫害され、殺された。時代的には対極の中で過ごした関係」と語っていた。
しかし背に腹は代えられない。国民の広範な支持を得るために共産党指導部は、不破氏が議長時代が主導してきた現実・ソフト路線への転換を一層明確にすることで、「普通の政党」を印象づける戦略に大きくカジを切ったかのようである。
共産党幹部は「小池氏が眞子さまと同席したことで、皇室との距離をさらに縮めていく道筋はできた」と党幹部は強調するが、「今秋の構想」の中身に関しては「現段階では秘密」だという。ともあれ、いかに皇室に接近して「普通の政党」を“偽装”しようが、衣の下に鎧(よろい)をまとう革命政党の本質が変わらないかぎり、効果はさほど期待できないのではないだろうか。(政治部編集委員 高木桂一)(引用ここまで)