逃がした「大躍進」!何故「大躍進」を逃がしたのか!誤りは何か!
「自共対決」を言うのであれば野党第一党でなければならないはずだ!
共産党が「2015年新春党旗びらき」で、総選挙の結果と今後の展望について、大まかな報告を行いました。予想どおりの「見解」でした。残念ですが、仕方ありません。この政党は、現局面が本当に判っているのでしょうか。このことついては、この間、記事に書いてきました。ご覧ください。
1.最大の問題は、新自由主義下の国民が置かれている厳しい状況、明日をも知れぬ命と安全について、です。
2.そのような国民の存在と意識、政治に対する熱い期待が、マスコミから流されてくる「一強多弱」論に基づく「だらしない野党」論によって「政治不信」を募らせている国民の存在に対して、どのような政策と方針を掲げたら良いのか、判っているとは思えません。
3.自民党と安倍政権への偽りの高支持率の背後に何があるか、判っているとは思えません。高支持率にビビって、思い切った「対案」、すなわち「政権構想」を打ち出せないのです。沖縄の一つ以外の全てに立候補しているにもかかわらず、国民に「政権選択」「政権交代」を呼びかけないのです。
4.それは昨年7月、漸く内閣打倒を掲げたものの、次なる安倍政権に代わる政権構想を掲げないことが、国民にどのような影響を与えているか、読めていないのです。
このことは、これまでのどおり自民党の「『政権たらい回し』を許すのか」と言われても仕方のないものでした。この時点で、どのような可能性があったか、このことは繰り返し書いてきました。
「共産党は政権を取るつもりはあるのか」「共産党に政権を取ってほしい」「安倍内閣を倒してほしい」「野党は団結して安倍内閣を倒して」など、国民の反応にも出ていました。政策抜きの「野党一本化」論の間違いは明らかですが、それにしても、安倍政権に対する国民の「怒り」「不満」「要求の切実さ」は明らかでした。
これらの国民の声を踏まえるのであれば、革命政党として、多数者革命を目指す政党として、さらには国民が主人公を標榜する政党として、何をしなければならないのか、明らかでした。
5.しかし、従来どおりの選挙方針、すなわち「比例を軸に」という方針、小選挙区で「自共対決」を掲げて議席を獲得するという方針が見えてこなかったことです。得票目標10%、650万を目標としていたことで、このことが、国民にどのような影響を与えているか、判っていないということです。負け続けていることによるマンネリということが言えます。
6.違憲のトリック選挙制度である小選挙区制度下において、民主党政権を誕生させた国民のパワーを引き出すという方針を掲げることができなかったことに、国民のパワーに対する不確信があったのではないかということです。
7.投票率低下に対する分析と、このことを防止して、階級闘争のうちの政治闘争に、国民を奮い立たせて参加を創りだしていくという方針です。このことは逆に言えば、棄権票に対する分析、すなわち投票忌避に対する見方考え方がなされていないことに象徴的です。民主党政権を誕生させた国民のパワーを引き出せていない、いや引き出そうという革命政党の本質が問われているのです。このことは09年総選挙時の選挙戦術にも浮き彫りです。
8.同時、国会議員予定候補を用意して、日常活動を行ってこなかったことにも象徴的です。人民的議会主義論が完全にスルーされてきているのです。その最大の問題は「自力更生」論にもとづく「党勢拡大」に膨大なエネルギーを傾けなければならないという「現実」があったというか、追い込まれていたというか、その方針に固執していたというか、これらのことに、その最大の要因があります。
10.民主・維新に対する不信を共産党に集めることができなかったのは何故か。90年代後半に820万もの国民の支持を獲得したにもかかわらず、このレベルを超えることができなかったのは何故か。そのことについて真摯な自己分析が必要です。
11.同時に、あれだけの支持を獲得したのにもかかわらず、2000年代以降、この半分にまで「追い落とされてしまった」のは何故か。客観的な問題、自民党などの攻撃として位置付けることは当然のことですが、それよりもむしろ主体的な問題として、真摯に総括することが、今ほど求められているのです。
12.このことは「自力」の問題もありますが、「自力」がなかったから、ということであれば、民主党の政権交代は、自民党の政権奪還は「自力」があったからということにならないのか。或は、「自力」がどこまでつけば、政権がとれるのか。それでは「自力」がつかなければ政権は取れない!ということを国民に表明するようなものだということを意味していることにならないのか。そのような視点で、国民が共産党に対して期待を寄せるでしょうか?共産党の「自力」論の再検討が必要ではないか。
13.「自力」はたたかいとともに、たたかいのなかでこそ、培うものではないでしょうか?そのたたかいとは何か!です。日々国民の要求を実現する運動と国政革新を結び付けた運動を展開するなかで、国民の支持を獲得するなかでこそ、達成できるものではないでしょうか?「自力」が必要であることは言うまでもありません。しかし、だからこそ、ということです。
「階級闘争の弁証法」をいうのであれば、対応はとれるはずだ!
科学的社会主義の革命政党の真骨頂ではないのか!
以上のような問題意識を指摘するのは何故か。それは、今回の「躍進」に対して、必ず「反攻」が来るだろうという確信があるからです。これは歴史の教訓です。共産党自身も、この「反攻」を、かつて「階級闘争の弁証法」と名付けて説明していました。その「反攻」とは、以下の3つです。
1.48年10月の298万35議席の躍進に対する日米両政府の「弾圧」という「反攻」
2.72年12月の550万38議席、革新共同1と沖縄人民党1を合わせると40議席に対する宮本顕治氏の身分帳問題にみる共産党の「歴史と理念」問題に対する「反攻」、
3.79年10月576万6千41議席(革新共同を含めて)に対する「社公合意」の「分断」「孤立」という「反攻」
4.96年10月726万8千比例24議席・小選挙区2議席、
5.98年7月819万5千比例9議席・選挙区7議席に対する「共産党の理念」問題と二大政党政治による「分断」「孤立」の「反攻」
このように考えれば、どのような「反攻」が仕組まれるか、明らかです。特に、最後の90年代後半の「反攻」は、その後の「反攻」を見れば、それに対する対策が具体的に取られなければならないものでした。しかし、21世紀、「反攻」を許してしまったのです。
では何故、読まなければならなかったか!それは、
一つには、「共産党の理念と歴史」問題に対する攻撃でした。いわゆる「反共攻撃」でした。これに対する「切り替えし」に、どれだけ成功したか、失敗したか、検証が必要です。何故か。それは現在進行形だからです。中国・北朝鮮「脅威」論と共産主義デタラメ論が振り撒かれているからです。これは党名問題として、一つの大きな壁となっています。「キョーサントーは言っていることは良いけど、名前がなぁ!」「共産党が政権を取ったら中国や北朝鮮のようになるのでは」などという「感情」が沈殿していて、選挙の時になると、必ず出てくるのです。
これについては、コミュニズムが『共産主義』という訳語で良いのかどうか、検証する必要があるでしょう。これは「プロレタリアートの独裁」=プロレタリアートの執権」=「労働者の権力」へと発展させる際、「ディクターツーラー」の解釈問題を検討・議論したことと同じです。
二つは、共産党を抑え込むために散りばめられた装置は「新」という文字でした。70年代初頭の「躍進」には「新自由クラブ」、90年代の初頭は「日本新党」でした。これが細川非自民・反共政権の樹立でした。以後日本の政治は連立内閣を軸に展開されてきているのです。
三つは、これが政権可能な小選挙区制と二大政党政治が始まったのでした。これは、共産党排除の装置であったことは、当初から判っていたことですし、事実、そのとおりとなりました。
しかし、その共産党排除の装置の矛盾が行き詰まってできたのが民主党政権であり、これが先祖帰りをしたことで、本来であるならば、共産党が「受け皿」となるべきでした。しかし、「第三極」の「みんなの党」と「維新」に、「受け皿」としての「期待」が集められてしまったのでした。これが自民党の亜流と判ると政界再編劇に対する不信が絶頂に達し、棄権=投票忌避が始まったのでした。その間隙をぬって安倍政権が誕生し、「ねじれ」が解消され「決める政治」=暴走が始まったのでした。
その間、共産党が、何をどのように訴えてきたか、そのことが、今、鋭く問われているのです。このことから、教訓を引き出さなければ、同じような「反攻」を許すことになるでしょう。歴史は、このことを明確に示しています。では、その「反攻」を許さないたたかいとは、どのようなたたかいでしょうか。違憲の小選挙区制度を逆手にとって、政権を奪還するしたたかさ!これこそ、民主党政権誕生と自民党政権奪還から学ぶべきことです。逆手にとるのです。
憲法を活かす政権づくりの政権の母体をどのように構築するか!
沖縄の「うまんちゅの会」の全国化をどのように構築するか!
このことについては、沖縄で証明されました。「うまんちゅの会」という「統一戦線組織」が沖縄県民の、安倍政権に対する怒りを集めることができました。文字通り、「保守でも革新もない、沖縄アイデンティティー」が最大の一致点でした。しかし、このことは、別の言い方をすれば、「憲法を活かす沖縄のうまんちゅの会」ともいうべきものでした。
この視点を全国各地でつくることができるか、この視点にもとづく「憲法を活かす全国の会」構築を展望した「政権構想案」を公表し、国民的議論で練り上げ、候補者を擁立できるかどうか。このことは、ここに安倍政権後を展望した「受け皿」論を国民に提起し、「国民が主人公」の政権をつくるためのたたかいを提起するという意味があることを強調しておきます。今度は時間がないということは言えないでしょう。共産党的に言えば、「憲法を活かす壮大な一点共闘」です。
つづく