国立演芸場の演芸資料展「落語 味わいどころ所作どころ」展を覗く。
落語はいふまでもなく“話藝”だが、そこに噺家自身の身振り手振り、また扇子や手拭ひを使って物に見立てるなど、“見せる”要素も濃ひところが、朗読劇との決定的な違ひだ。
そんな身振りや見立てのなかには、現代人が原形を目にすることが無くなったがために、なにを意味してゐるのかわからないものも、これからはどんどん出で来るだらう。
それら . . . 本文を読む
“平成の大横綱”の若い弟子が、
「部屋を移籍しても、師匠から頂いたしこ名は変へない。変へるとしても、師匠の一字は変へない」
と表明してゐることに、深い共感を覚える。
その道で生きる者にとって、師匠から頂いた名前とは、命に等しいもの、寳なのだ。
私が師匠亡き後、大阪で五年もの間独りで生きてこられたのは、師匠が私に遺してくれた“藝名”の力に拠るところが大きい。
師匠から頂いた名前とは、 . . . 本文を読む