迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

娯楽と教養の境目。

2018-10-04 12:56:41 | 浮世見聞記
国立演芸場の演芸資料展「落語 味わいどころ所作どころ」展を覗く。


落語はいふまでもなく“話藝”だが、そこに噺家自身の身振り手振り、また扇子や手拭ひを使って物に見立てるなど、“見せる”要素も濃ひところが、朗読劇との決定的な違ひだ。

そんな身振りや見立てのなかには、現代人が原形を目にすることが無くなったがために、なにを意味してゐるのかわからないものも、これからはどんどん出で来るだらう。

それら一つ一つをマクラなどで説明しなければなくなったとき、落語はある部分で庶民の娯楽から庶民の“教養”へと、性質が変化するかもしれない。


そして古典落語の代表的な仕草の一部を紹介した、林家正雀がモデルの写真パネルを眺めながら、後世の“独り芝居”の原形が、ここにある気がした。





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