ラジオで、再放送の喜多流「盛久」を聴く。
斬首のため鎌倉へ護送された平家の侍が、刑を執行する源頼朝と云ふ新興權力者と共通して觀世音菩薩を夢枕に見たことで、にはかに運命が開ける物語。
助命を乞ふためではなく、後生を願ふため觀音菩薩を頼みとするところに、盛久といふ人物の鍵がある。
曲中で一部が誦される觀音経は、私も寝付けぬ夜にその助けを借りてゐる。
文意よりも“響き”で、私は救はれてゐるやうだ。
私は夢を見ると、まう二度と會ふことも、またその必要もない人に、よく出くはす。
夢のなかで、こんなヒトゐたな……、と初めて思ひ出したこともある。
しかし、夢では逢ひたい人に逢はぬはうがよい。
目が覺めたとき、
自分に裏切られたことを知るからだ。