迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

いなりの記憶。

2022-07-03 10:09:00 | 浮世見聞記
ラジオ放送で、觀世流の「小鍛冶」を聴く。

一條天皇の護り刀を打つやう勅命の下った三條小鍛冶宗近は、日頃信仰する伏見稲荷の“相槌”を得て、みごと「小狐丸」を打ち上げる──

前半は唐國における剣の威德、日本武尊の“草薙の剣”の故事などが語られ、後半は“相槌”の由来が實演されるなど、その運びの良さで私も好きな曲のひとつ。





江戸時代後期に作曲された同名の長唄は、もちろんこの謠曲から取材したもので、大昔に長唄講師の指導のもと複數名で舞臺に上って唄ったことがある。

そのうちの独りで唄ふところ──“分け口”とか云ったか──では、私は高い調子で唄ふ箇所をやりたかったのだが、講師の裁量で逆に低音の箇所を割り當てられ、ガッカリした記憶がある。

そして本番當日、べつにヤル気を無くしたわけではないのだが、自分でも驚いたほど重低な唄聲となって失敗し、いらい長唄「小鍛冶」は私の印象から消えた。


それから長い時間(とき)が經ち、私はこの小狐丸誕生譚を現代手猿樂の一曲に創る際、いくつかの資料を當たったが、長唄のこの曲はそれに入ってゐない。

うっかりしてゐたと云ふ以上に、まったく意識になく、型が出来上がってしばらく經ってから、「あ、さう云へば……」と氣付いた程度である。



……曲との相性云々より、講師との相性云々で、私は無意識にこの長唄を封印したのであらう。






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