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水道橋の宝生能楽堂で、宝生流の「熊坂」を観る。
この曲のシテである熊坂長範は、平安末期に美濃国赤坂あたりに蟠居した大盗人。
その名前を初めて知ったのは学生時代、たしか「歌舞伎十八番の内 助六由縁江戸桜」で、花川戸助六とくわんぺら門兵衛との、
くわんぺら 「おきゃあがれ。おらぁ、くまたかだ」
助六 「くまたかちょうはーん。あ、おめぇ手が長ぇな」
といった、言葉あそびのようなセリフのやり取りを通してであったと思う。
かつての庶民は、こういった芝居や講談、落語などから、歴史的知識を自然と身に付けていったと云う。
情けない話しだが、自分の国の伝統文化を知らない現代人に、第二次大戦を知らない腑抜けが量産されつつあるのは、当然である。
さて、もともとは真っ当な人間だった熊坂長範が盗人稼業に堕ちたのも、「元手をかけずに」金品が手に入るから。
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感心してはいけないことながら、つい「なるほど」と思ってしまったりする。
そんな熊坂長範も、最後には牛若丸時代の源義経に討たれ、その有り様を再現した後場が、この曲の眼目。
シテの奮う長刀に、囃子は賑やかに、地謡は力強く且つ華麗に、物語る。
その時も地謡方の姿勢が、背筋をスッと伸ばしたまま微動だにしないことに、わたしは見習うべき日本人古来の美しさを、見た気がした。
この曲のシテである熊坂長範は、平安末期に美濃国赤坂あたりに蟠居した大盗人。
その名前を初めて知ったのは学生時代、たしか「歌舞伎十八番の内 助六由縁江戸桜」で、花川戸助六とくわんぺら門兵衛との、
くわんぺら 「おきゃあがれ。おらぁ、くまたかだ」
助六 「くまたかちょうはーん。あ、おめぇ手が長ぇな」
といった、言葉あそびのようなセリフのやり取りを通してであったと思う。
かつての庶民は、こういった芝居や講談、落語などから、歴史的知識を自然と身に付けていったと云う。
情けない話しだが、自分の国の伝統文化を知らない現代人に、第二次大戦を知らない腑抜けが量産されつつあるのは、当然である。
さて、もともとは真っ当な人間だった熊坂長範が盗人稼業に堕ちたのも、「元手をかけずに」金品が手に入るから。
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感心してはいけないことながら、つい「なるほど」と思ってしまったりする。
そんな熊坂長範も、最後には牛若丸時代の源義経に討たれ、その有り様を再現した後場が、この曲の眼目。
シテの奮う長刀に、囃子は賑やかに、地謡は力強く且つ華麗に、物語る。
その時も地謡方の姿勢が、背筋をスッと伸ばしたまま微動だにしないことに、わたしは見習うべき日本人古来の美しさを、見た気がした。