迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

木漏れ日にいまを知るなりほととぎす。

2018-06-05 23:44:47 | 浮世見聞記
携へた夏扇も、この緑地帯では涼を取るより、虫を払ふのに役立つくらゐだ。

どこかの大學で『山岳部員募集』と、いかにも太平楽どもらしい立看板を見かけたが、これから社会へ出ればいくらでも、人生の谷やら崖やらを、滑り落ちることが出来るわえ──

などと憎まれ口をきひてゐるうち、彩重(いろへ)なる梢の間から、藁葺きの大屋根の覗くのが見えた。



この先に里があるらしい──

私は心が躍った。

……だが、“蕎麦処”と幟を立てたその古民家の前に、有象無象が電子端末を手にうなだれて列を成してゐるのを見て、私はそのまま通り過ぎた。



町へと通じるかつての杣道も、いまでは街へと通じる幹線道路に拡幅され、たしかに通行には便利になった。

道はつねに、時代と運命を共にする。

その有様を、古へからの道の守り神たちが、いまも静かに見守ってゐる。



もし口がきけるのならば、面白い話しをいろいろと聞かせてくれさうだ。



ぎうぎうに混雑した路線バスを嫌って他の経路をとってみたら、懐かしいクルマを見かけた。



日産 ソアラ──

いやいや、ソアラはトヨタである。


ニッポンのクルマがニッポンのクルマらしい個性をしっかりと持ってゐた時代の、名車のひとつだ。


それら個性が、すなわち価値でもあった。


いまや高級車も大衆車も似たり寄ったりのデザインで、お互ひのエンブレムを交換して貼り付けても、おそらく違ひには気が付かないだらう。






「個性を重視」と宣ひながら、実際には「ワガママ」と決めつけ否定してきた浮世の結果は、すでにあらゆる場面で表れてゐる。



ワガママ、結構。


さう決めつける弱腰どもを、

私は否定する。
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