ラジオ放送で、觀世流梅若櫻雪(うめわか ろうせつ)の独謠「姨捨(おばすて)」を聴く。
信州の姨捨山で、旅人の男と共に満月を愛でてゐた老女の靈は、やがて夜が明けて旅人が山を下り去って行くと、再び山に独り取り残される──
ただこれだけの噺を、實際の舞臺では二時間以上もかけてトボトボと上演される、老女物いちばんの大曲。
今回の放送でも、一回の時間枠に収まりきらないので来週との二回に分けてゐるが、途中までの一回でまう満腹、かつて忘流での上演に際し、ぜひ觀ておくやうにと勸められたことがあるが、老女ネタと云ふほぼ静止画像のやうな舞臺を二時間以上もじっと眺めてゐられる自信はなく、またおカネもかけなくなかったので──これが一番の理由──、そのまま黙ってやり過ごしたものだ。
かういふ老女物は、藝の年輪を重ねた老巧な能樂師に上演が許される難曲とされてゐるが、實際に演者當人が老齢でカラダも云ふことを聞かなくなって初めて体現出来る、演技とも真實ともつない風情を求められゐるのだから、なるほど若い人向きではない。
これは以前にも述べたことだが、かういふ曲は見物側も自身の老いを自覺する年齢となってから、我が身と重ね合はせてしみじみとすれば良く、私はいまのうちから無理して時間とおカネをかけて、けっきょく首を傾げて會場をあとにすることはないと考へる。
ただこの曲の場合、深山に老婆がひとり棄てられると云ふ殘酷な風習が、觀月の風情に詩情化されてゐる殘酷さをどう理解するか──これは年齢だけで解決するのは難しいやうな……。