電車内で見かけた、忘女子大の廣告。
「男女の別を撤廢しやう!」の一環か、“女優”の名稱をやめて“俳優”に統一し、♂なのか♀なのかムダに判りにくくする怪氣炎を上げる一方で、
「女性の就職率は○○%!」
「今回の組閣で女性の入閣は○○人!」
などと、女性の動向を報道屋がやたらに取り上げてお祭り騒ぎを煽るさうした浮世の矛盾を──これこそが性差別の根幹ではないのか?──、件の人工知能氏はそのまま學び取ってゐると云ふことだらう。
また、なにか都合が惡くなれば途端に“オンナ”を出して逃げを打たうとする、さうした狡猾ぶりも関係してゐるのではないか。
忘流で謠曲と仕舞を趣味で樂しんでゐる知人の女性が、“女流能”について「なんでもかんでも女が出て来ればいいってものではないわ」と呆れてゐたことに、私は同感だ。
上の怪氣炎の例からすれば、“女流能”の名稱とて、“性差別”と云ふことになる。
私はあくまで、男は男の役割を、女は女の役割をしっかり果たす、さうした棲み分けがしっかり成されてこその男女均衡──同權であると考へるものだ。