迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

三味のこゑも艶やかに。

2022-10-09 20:47:00 | 浮世見聞記
橫濱市保土ケ谷區岩間町、旧東海道は程ヶ谷宿の岩間市民プラザにて、「地歌と横浜芸者が伝える横浜音楽今と昔」を觀る。



かつて橫濱に存在した“橫濱藝者”と云ふものを當地のNPO團体が近年に復活させ、ヨコハマのお座敷文化の繼承發展につとめてゐるらしいことを、私も昨年に参加した神奈川縣主催のオンライン文化祭「バーチャル開放区」を通して知り、その團体の公演が今秋に文化ホールで行なはれるとのことで、これを機會にお座敷へ呼ばなければお目にかかれないヨコハマの藝者をどりの一端を覗く。


そもそも時流に合はなくなって消滅した藝妓界を、いまの時流下で復活させる意義がどこにあるのかナ、との疑問はとりあへず脇に置き、發聲が奇妙に洋樂じみた地歌奏者による往年の御當地ソング數曲にのせて、白塗りのお姐チャンたちがところどころ振りの覺えがアヤシイ俗踊を繰り廣げ、客席の高齢者たち──私以外の!──を、「カワイイわねェ……」と和ませる。

ジャンケンの古態を傳へるお座敷遊び「トラトラ」を再現して大いに盛り上げたところで中入り、後半は趣きが激変し、まう一人の出演者である独學ギター奏者による、ごくありふれた洋樂ライヴとなっていっぺんに興味を無くし、耳も受け付けず、さっきの中入りで帰ればよかったと後悔しながら、残り一時間を辛抱する。


江戸時代には庶民的な樂器であった三味線が、明治以降の西洋かぶれ化のなかで我々から縁遠いものへと追ひやられた一因として、明治新政府のおエラ方が花街でアソんでゐる時、賑やかしでお姐さんたちにジャンジャンかき鳴らされる三味線を見て、こんな酒食の席に持ち込まれる樂器はこれからの時代の子女たちの音樂教育に相應しくない、と思った──

かつて國立劇場で傳統藝能の基礎を學んでゐた時分に講義でさう聞いたことが、「なるほど」と納得できた、ヨコハマ”疑似”お座敷遊び。








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