ラジオ放送の、金春流「俊寛」を聴く。
平清盛に大恩がありながら、鹿ヶ谷で平家討滅を謀って捕らえられ、鬼界ヶ島へ流罪となった忘恩僧の顛末劇。
謠を聴いてゐても、この僧の口からは一字一句たりとも御ホトケの慈悲にすがらうとの気持ちは窺へず、ひたすら赦免使に象徴される俗世人の情に縋らうとするばかりで、御ホトケに仕えるはずの身でありながら、すでに御ホトケのことは心になく、救ひを求める相手を完全に取り違へてゐる。
さういふ意味におゐて、俊寛と云ふ僧形の男はとっくに御佛から見離された俗人にすぎず、双方になんら繋がりがないことから、赦免使云々以前より運命は決定付けられてゐたのである。
それがこの人物の本當の悲劇であり、天罰は平清盛ではなく、御ホトケより下ったものと最後まで理解できなかったらしいところに、私はむしろ哀れを覺ゆ。