迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

霞に紛れてあっといふ間に失せにけり。

2018-08-15 23:41:27 | 浮世見聞記
終戦七十三年目の今日、番組に惹かれて今年も「相模原薪能」を観に行く。


裃を着て興奮気味な副市長と、会場を提供した女子大校長先生の、話す内容をちゃんと考えてこなかったと思しき挨拶はともかく、続いて登場した評論家センセイの、「簡単に」と前置きしながら謡曲の詞章以上にナニを喋ってゐるのかサッパリ判らない“解説”が延々と続いたのには、いささか閉口する。

能楽をイタズラに難解なものにしてゐるのは、実にかういふセンセイ方でもある。

いいかげん退屈してゐるうちに夜の帳がおり、やうやく開口一番の仕舞がはじまる。





狂言は大藏流山本家の「棒しばり」、庶民喜劇にはほど遠いしかめ面な藝風が好きではないが、単純に野外劇の雰囲気を楽しむぶんには、充分すぎるものだ。


このたび三度目の改名を果たした座頭が、杖をつきつき舞台を旋回する一幕を挟んで、いよいよ「羽衣」がはじまる。

観客の帰りの時間を配慮したものだらう、省略に省略を重ねたおそろしく迅速な舞台進行で──まさか演者たちが早く切り上げたかったからではあるまい!──、“天人”はそそくさと月に帰って行った。

もっとも、私もキリの「東遊びの数々に……」からがいちばん観たかったのであり、また折からの風が昼の余熱を払って心地よく、装束の長絹もヒラヒラ舞って、それらしい風情を楽しむ。



今宵は満席に近い盛況で、やはり一部有料席のほか大半を無料席にした良心的企画の、賜物だらう。
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