迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

松旭斎天勝の遺産。

2018-10-20 23:29:02 | 浮世見聞記
旧東海道川崎宿の「東海道かわさき宿交流館」四階にて、江戸の伝統奇術「和妻」と、そのひとつ「水芸」を楽しむ。


第一部で「和妻」、またその対照として「洋妻(マジック)」を披露した三人の若手女性奇術師が、第二部では日本髪に色裃姿も麗しく、二年にわたる修業の成果として、「水芸」を披露する。



扇や羽子板、菖蒲の先から飛び出す水を三人が次々に受け渡すなど、その日舞的要素の濃い鮮やかな身振りはまさに純然たる日本の伝統美そのもの、彼女たちの艶やかな装ひと相俟って、しばし陶然となる。

↑写真右のKYOKO師は海外でも活躍するマジシャンで、第一部ではキレの良いダンスを交へた「洋妻」を格好良く見せてゐたが、第二部の「水芸」では打って変わって淑やかな日本女性へと見事に趣きを切り替へてゐたのが、スゴイ。

今回初役で太夫をつとめた葉月美香師(↑写真中央)は、女優を経て奇術師となったものの目標が見出せずにゐたが、和妻を習得する機会を得たことで現在に至るさうで、話しに何か共感を覚えるものがあった。

そして三人が繰り返し訴へてゐたのが、本物の水を使用することなどから現在では「水芸」を披露できる場所がなかなか見つからない、といふことであった。

場所を求めてゐる、といふことについては、私も現代手猿楽を舞ふ場を日夜求めてゐる身として、こちらも大いに共感するものがあった。

表現者は、なんと言っても場数を多く踏むことが、一番の修業なのだ……。


最後に“お土産”として、



赤い紙が伸び縮みする手品を教はって、賑々しくお開き。





併せて、三階展示室の「川崎の市内交通史」展も見る。



第二次大戦末期の昭和十九年十月、軍需物資増産に従事する「産業戦士」を一刻も早く工場へ運ぶべく、わずか半年の突貫工事で開通させた市電を皮切りに、昭和二十五年十二月には市営バス、翌二十六年三月には米国での大流行をうけてトロリーバスの開業──

近代川崎の交通は、まさに地元の重工業によって発達したものだ。

その後、昭和四十年代に市電とトロリーバスは廃止となり、市電は道路名に面影を残すばかりだが、市営バスは現在でも港湾工業地帯へのほぼ唯一の足として、重きをなしてゐる。

……にもかかはらず、今日も運転中にスマホを操作してゐた運転手、またシートベルトを未装着のまま運転した川崎市営バスの運転手を停職処分にしたとのニュースに接した。



かういふ不心得者はごく一部なのかもしれないが、耐震装置のデータ改竄問題と言い、その仕事への理念や自覚の緩んだ者の多いやうな、そんな不安と不審を覚へることが、このごろ耳につくやうな……。
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