迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

数十年後に知った事実(こと)。

2018-10-21 23:36:05 | 浮世見聞記
あれっ、と私はラジオに耳をそばだてた。

数十年も昔に、ラジオを通して聴き惚れた“名曲”が、ラジオを通して、再び私の前に現れたのだ。

当時まだ子どもだった私は、その曲の名も知らず、歌手の名も知らず、歌詞もよく聴き取れず、ただ古ひ時代の中国を想はせるやうな旋律に、心を奪はれてゐた。

──聴き取れた歌詞は、わずかに“サイサイ”と、“……ショウジョ”の二ヵ所だけ。

そしていつしか、その曲のことは忘れ、長ひ歳月が過ぎたが……。


さうさう、かういふ曲だった──

数十年ぶりの再会に手を止めて聴き入るうち、最後にもういちど曲紹介。

“135で、『ウォーアイニー』でした”

さうだったのか……!

はやる気持ちで、ネットで検索。

すぐに、『我愛尓』の動画が出て来た。

改めて聴きながら、良い曲はいつまで経っても変わらずに良いままだ、としみじみ思った。


しかし、作品と人とは、また別モノ。

この『我愛尓』が代表曲となった“135”といふ三人組バンドは、2000年代初めに二人が脱退して、現在では事実上の活動休止状態と云ふ。


個性のぶつかり合ひは、芸能者の宿命なり。


さりながら、この部分の情報は、いらなかった。
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