迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

乾いた潤ひ。

2018-08-23 18:42:59 | 浮世見聞記
近所の空き地や古い空家が、今年に入って次々と更地になり、いまそれぞれに、新しい家屋の建築が進行してゐる。

おかげで、掻き出した土を満載にした大型トラックや、土埃にまみれた重機やらが、我が町の狭い道を朝から往復して、暑さとは別のところで顔を顰めたくなる。

このヒトたちはいつになったらいなくなるのだらう、と思ふ。


いなくなった跡には、全国各地で見られるやうな、画一的な安普請が密に建ち並んでゐることだらう。


数年前、都心からかなり郊外の文化ホールまで能を観に出かける途次、電車の窓から見たのは、かつてのダイコン畑に成り代はり、線路際まで密集して迫る住宅の連続で、「とてもこんなところには住めない……」と、本気でゾッとしたものだった。

──私の住む町も、そんなイマドキのありふれた景観となることだ。



さうして少し前に建てられた道沿ひのアパートの脇に、いつの間にか笹竹の植ゑ込みが設けられてゐることに気がついた。



一見すると風情があるやうだが、よく見ると笹の色がおかしい。

もしや……、と思ひ近付いて見ると、やはり造花の類ひだった。



こんな軽薄な見た目ごかしをするくらゐなら、無いはうがよい。


感性に乏しい者が、“風情”といふおよそ無縁なことをやらうとすると、かういふ恥態を曝け出すのだ。
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