今日も身近なところでヒトが熱中症で搬送され、私もさすがに疲れを感じさせられたこの季節、今を盛りに咲き誇ってゐるのが、ヒャクジツコウ、百日紅、さるすべりだ。
学生時代に読んだ三島由紀夫の「近代能楽集」のなかに“百日紅”といふ名詞が出てきて、それで読みともども覚えた花だ。
百日紅の“花言葉”は「雄弁」「愛嬌」などださうだが、私はどうも、この花言葉といふものが馴染めない。
もともと西欧貴族の言葉遊びから始まったもののやうで、それが明治維新以降に日本へ輸入されたいわゆる外来文化、日本には無かった感性だからだらうか。
その百日紅も、もとはと言へば英國から渡って来た外来種だ。
さりながら。
無心に咲く花に、國籍を問ふは野暮なるぞ。
國は、あとからヒトが造ったもの。
花はそれより遙か昔から、この大地に根を下ろしてゐるのだ。
学生時代に読んだ三島由紀夫の「近代能楽集」のなかに“百日紅”といふ名詞が出てきて、それで読みともども覚えた花だ。
百日紅の“花言葉”は「雄弁」「愛嬌」などださうだが、私はどうも、この花言葉といふものが馴染めない。
もともと西欧貴族の言葉遊びから始まったもののやうで、それが明治維新以降に日本へ輸入されたいわゆる外来文化、日本には無かった感性だからだらうか。
その百日紅も、もとはと言へば英國から渡って来た外来種だ。
さりながら。
無心に咲く花に、國籍を問ふは野暮なるぞ。
國は、あとからヒトが造ったもの。
花はそれより遙か昔から、この大地に根を下ろしてゐるのだ。