迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

白麗無濁。

2024-03-24 15:14:00 | 浮世見聞記


ラジオ放送の金剛流「田村」を聴く。

能ではたった三曲しかない勝ち戰さモノ(“勝修羅三番”)の一曲、清水寺縁起の長大な語り、満開の櫻を愛でての独吟、觀音の援護射撃で惡逆を退治する坂上田村丸(麿)の武勇傳──



謠ひどころと聴きどころの詰まったこの名作の舞薹を、いつか水道橋の能樂堂で催された“納涼能”公演におゐて觀た、金春流八十世宗家の“白式”と小書(特殊演出)を付けた舞薹以来、私はこの曲を目にしてゐない。

あの時の、金春流宗家としての強い意識と矜恃を感じさせた「田村」は最上のものであったと信じてゐるからであり、以来同じ曲を見ないことで目を汚さない心得は樂しみにも必要と、私は信じてゐるものである。








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