ラジオ放送の金剛流「田村」を聴く。
能ではたった三曲しかない勝ち戰さモノ(“勝修羅三番”)の一曲、清水寺縁起の長大な語り、満開の櫻を愛でての独吟、觀音の援護射撃で惡逆を退治する坂上田村丸(麿)の武勇傳──
謠ひどころと聴きどころの詰まったこの名作の舞薹を、いつか水道橋の能樂堂で催された“納涼能”公演におゐて觀た、金春流八十世宗家の“白式”と小書(特殊演出)を付けた舞薹以来、私はこの曲を目にしてゐない。
あの時の、金春流宗家としての強い意識と矜恃を感じさせた「田村」は最上のものであったと信じてゐるからであり、以来同じ曲を見ないことで目を汚さない心得は樂しみにも必要と、私は信じてゐるものである。