迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

唐竹割 上

2018-05-08 13:47:52 | 戯作
xx流能楽師の須藤謙吾が、未成年の女子大生への強制猥褻で書類送検されたとラジオのニュースで聞いた時、

なにやってんだ……。

と、僕はいささかの幻滅を感じないではいられなかった。

よりによって、なんで未成年(ガキ)なんかに……。

僕はスマホのニュースサイトで内容を改めて確認しながら、溜息をついた。

事件は一週間前の十月旬、北陸地方の某市で薪能が行われた晩に起きた。

終演後、スタッフとして公演を手伝った同市内の十九歳の女子大生を自宅に呼び出し、酒の勢いを借りて居間で猥褻行為に及んだ──

須藤謙吾は北陸地方を拠点に五代続く名門能楽師の当主で、能楽の普及をライフワークに掲げて、同地方の某大学では能楽愛好会の講師もつとめていた。

被害者の女子大生は、その愛好会の一員で──

僕はそこまで読んで、天井を仰いだ。

「あの依頼はどうなるのだろう……」

僕は須藤謙吾から、師籍三十年を記念して関係者に配る扇の、絵柄を依頼されているのだった。



僕が須藤謙吾を知ったのは三ヶ月前、知人の紹介によってだ。

近江さん、配り物の扇に絵をしたためてもらえませんか──

須藤謙吾に趣味で謡を習っているその知人は、師匠が扇に絵を描いてくれる人を探していると知り、やまと絵師である僕を推してくれたのだった。

過去にも、日舞師匠の名披露目に配る舞扇の絵柄や、外国人観光客向けの土産扇子の絵柄を考案する仕事を手がけたことがあった。

また、やまと絵師としての必須の心得として、能楽もたまに観ることがあるので、僕は二つ返事で引き受けた。

だが、能楽の扇に絵を描くのは初めてだった。


僕は数日後、かの知人の仲介で、須藤謙吾が東京での稽古場として借りているビルの一室で、本人に会った。

能楽師らしく着物に袴をつけ、腰には扇をさした須藤謙吾は、癖っ毛もだいぶ薄くなった、下がり眉の初老男性だった。

事前に調べた経歴では、三十年前に父のあとを継いで北陸地方の能楽の名門須藤家の当主となってからは、全国各地で能楽公演や初心者向けの講座を開いたり、大学の能楽愛好会で学生能を指導したりと、特に若い世代を対象にした普及活動を、精力的に行っているらしかった。

しかし、いまテーブルの向こうに座っている当人は、やつれたように頬の落ちた、およそそんな普及活動を旺盛に行っているようには見えない、小男だった。

須藤謙吾は、来年の師籍三十年を記念した能楽公演で大曲「道成寺」を舞う予定につき、その「道成寺」をイメージした絵柄をいくつか考えていただけませんか、と甲高い声で話した。

能楽というと、低く重い声で謡う印象が強いだけに、須藤謙吾の声質は意外というより、奇異に聞こえた。

これで、あの地を這うような低い謡声が出せるのだろうか、と思った。

なんであれ、僕が承知して話しがまとまると、座はようやくくつろいだ雰囲気になった。

すると須藤謙吾もややくだけた感じで、

「ところで近江さん、あなたも謡いをやりませんか?」

と、少し身を乗り出すように、訊ねてきた。

「いやぁ、自分はとても不器用なもので……」

とうぜん冗談で言っているのだろうと、僕が笑いながら首を横に振ってみせると、須藤謙吾は引き下がるどころか、

「いやいや、皆さん初めはそうおっしゃります」

と、意外にも真剣な眼差しで食らいついてきた。「しかし、実際に稽古を始めてみると、ほとんどの方が謡いの魅力に目覚められます」

下がり眉の貧相な容貌に似合わず熱っぽく語り出す須藤謙吾に、僕は呆気にとられた。

「……わたしは常々、今の若い人々が自分の国の伝統文化に無関心、いや、無知であることに、危機感を抱いています。これから日本の将来を担っていく世代が、自分の国の歴史に培われた文化を知らなくてどうしますか」

まるで僕がその張本人であるかのように、須藤謙吾は据えた眼を僕に向けた。

なんか厄介な人物に出くわしたみたいだ──

僕は脇に控える知人を、ちらっと見た。

彼は申し訳なさそうに俯いていた。

須藤謙吾は、全国各地の初心者向け講座や大学の愛好会でも、こんな演説をぶっているのだろうか……?

須藤謙吾は若者の無知をひとしきり嘆いたあとで、再び話しを戻した。

「……さきほどお伺いしましたところ、近江さんは能楽もたびたび御覧になっているそうですな。それならば、観るだけではなくて実際に舞ったり、謡ってみたいと思われることもあるでしょう?」

いえ別に……、とそんなことを言ったが最後、却って嵩にかかって稽古を勧めてきそうだったので、僕はただ黙って頭を掻いた。

確かに能楽は好きではあるが、べつに稽古をしてまで造詣を深めたいとは思わない。

好きであり続けるには、そこそこの距離感を保つことが肝要なのだ。

それにこうした習い事は、諸々の費用がバカにならないことを、いま脇で俯いている知人から聞かされて知っている……。

「ご自身のやまと絵の世界を極めるためにも、ぜひ謡いの稽古を通して、知識見聞を深めるべきだとは思いませんか?」

余計な世話だ、と言いたいのを、「そういう考え方も、あるかもしれませんねぇ……」という言葉に置き換えて、あとは微笑で包み込んだ。

どうも、“……だとは思いませんか”という、自分の考えを一方的に押し付けてくる物の言い方が、僕は心に障った。

まるでとんだ押し売りだ。

僕は須藤謙吾という男が、五代続く名門の能楽師というより、お弟子集めに必死なタダの町師匠くらいにしか見えなくなってきた。

決して、首を縦に振るまいと思った。

仮に謡曲仕舞を習うとしても、こういう強引な人物を師匠に仰ぎたくはなかった。

そして、今回の依頼を引き受けたことすら、後悔し始めていた。

どうもこの人物、自分のなかの世界観や価値観だけで、世の中を見ているところがあるようだった。

自分の考えは必ず相手の心を、ひいては社会をも動かせる──そう信じ込んでいるフシが感じられた。

そのためには、相手の考えや事情などはお構いなし──

能楽の普及活動を精力的に全国展開しているというわりに、やつれたように落ちたその頬は、そんな理想”と“現実”との度重なるぶつかり合いに敗れてきた痕跡なのではないか、とさえ思えた。

いくら熱弁をふるっても、相手が「そうですねぇ……」とばかりで手応えの無いことに、須藤謙吾はしだいにおのれの目論見違いを悟ったらしい。

眼(まなこ)には明らかな焦りが浮かび、下がり眉はさらに垂れた。

どうも、感情を隠すことが下手な人のようだった。

そして最後に、

「今回の御縁をきっかけに、ぜひ稽古を始められるべきとは思いますが……」

と、独り言のように言ったきり、勧誘を口にしなくなった。



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