迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

一代藝の神髄。

2024-02-28 23:16:00 | 浮世見聞記


ラジオで、今年一月末に亡くなった豊竹咲太夫師の追悼番組を聴く。



義太夫節と云ふ、旧時代の庶民の価値觀や倫理觀に密接であったがゆゑに、令和現在の感覺では理解しがたい遺物となってしまった世界を聞かせるには、さうした理屈を凌駕するだけの強い魅力をもった演者に依る他にないことが、咲太夫師の遺した音源からよく分かる。


咲太夫師の師匠である豊竹山城少掾、父親の八世竹本綱太夫競演の「妹背山婦女庭訓」、いはゆる“山の段”のCDはやっと手に入れて以来、寶物として大事に聴いてゐるものだが、あの作品世界そのものはおよそ理解の外である。



コトバや節も、私のやうな素人耳では音質以前に聞き取れない箇所も、かなりある。

が、時おり無性に聴きたくなるのは、“山の段”そのものよりも、豊竹山城少掾・八世竹本綱太夫と云ふ師弟の、「これが義太夫節だ」と、私のやうな素人でも納得させる“藝”そのものを聴きたいからに他ならない。


藝に携はる人には、よく修業の苦勞を自慢噺に語りたがるのがゐるが、そんな裏側の噺など、我々客席側にはどふでもよい。

我々が舞薹に求めるのはその“結果”であり、そのための苦勞はどんな天才でも條条は同じである。


雑言はさておき、故人咲太夫師は、その山城少掾の弟子であり、八世綱太夫の實子である。

「女殺油地獄」“豊島屋内”の段など、つひ手を止めて聴き入ったほどの迫真ぶりで、この芝居が出世役となった私の師匠の、舞薹冩真でしか知らない姿やいかに──

語りだけでそこまでの情景を想像させ、しかも“豊竹咲太夫”と云ふ名前看板で客を集められた、華も實もある一代限りの“語り部”であったことを、ここに改めて認識する。








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