日本に鐵道が開業して、今日で150年となる。
もし浮世に鐵道と云ふものが存在してゐなかったら、私の生き様はかなり違ったものになってゐたことだらう。
次の節目となる200年の時には、私はかなりの高齢者となってゐる。
もちろんその頃も充分に生きてゐるつもりだが、今回の150年と云ふ節目の年に居合はせたのは、やはり御縁と云ふものだらう。
(※鐵道開業50年式典時の様子)
開業から150年、浮世の輸送形態が多様化してゐるなか、災害によって鐵路が破壊され、地方によってはもともと赤字だったこともあり、
それを理由に復旧することなく廢線、もしくは線路跡を道路に再整備してバスを走らせる“BRT(バス・ラピッド・トランジット)”など、鐵道を取り巻く環境は大きな変化、
そして曲がり角にさしかかってゐることを實感する。
首都圏とて、人災疫病禍によって在宅勤務者が増へたことにより通勤利用者が減少し、列車の減便と運賃の値上げなど予想だにしなかった変化が起きて、
私のやうな公共交通機関しか移動手段を持たぬ者を困惑させてゐる。
危険意識も安全意識も欠如したボンヤリが起こした事故で、鐵道が運転を見合わせる事故が増へたのも、150年後の事實のひとつだ。
しかし今日に至るまで、我々が鐵道を安心安全に利用できるのは、“縁の下の力持ち”として、日夜働いてゐる人たちのおかげでもある。
我々もごく當り前な安全意識で利用することが、その人たちの仕事への感謝にもつながると、私は考へる。