本庄宿は1590年代に整備が始まり、当初はわすが38軒の小さな宿場だったのが約300年後の天保年間、1814年には1212軒まで膨れ上がり、かなりの活気を呈してしたようですが、現在では↑のようにそれも昔語り、となっています。
↓は旧本陣の正門で、現在は旧街道より道を一本入ったところの歴史民俗資料館前に移築されています。
この旧宿場町では毎年11月2、3日に、町中を山車を曳いて廻る“本庄まつり”が行われます。
往年の繁栄の名残り、といったところでしょうか。
「金鑽(かなさら)神社」の横、本庄市千代田三丁目までが宿場、ここで右折して現在は国道462号線に吸収されている数十メートルを下るとすぐに左折、平坦な道を歩くこと約50分、武蔵国最後の一里塚(跡)を過ぎるとすぐに国道17号線に合流、その先で神流(かんな)川を渡ります↓。
現在はもちろん立派な橋が架けられていますが、当時は仮設の木橋による通行であったことが、渓斎英泉の浮世絵から窺えます。
上の写真は資料が推定する旧道筋から上州側を見たところ。
天正10年(1582年)に滝川一益と北条氏直が川を隔てて戦った古戦場跡と伝えられているこの河川敷は現在、埼玉県と群馬県との県境線となっており、これより中山道は上州路へと入って行くのです。
…と言うわけで、戸田の渡しから始まる埼玉県内の旧中山道約77キロを歩いてみました。
◎ニッポン徘徊―中山道・1~25
↓は旧本陣の正門で、現在は旧街道より道を一本入ったところの歴史民俗資料館前に移築されています。
この旧宿場町では毎年11月2、3日に、町中を山車を曳いて廻る“本庄まつり”が行われます。
往年の繁栄の名残り、といったところでしょうか。
「金鑽(かなさら)神社」の横、本庄市千代田三丁目までが宿場、ここで右折して現在は国道462号線に吸収されている数十メートルを下るとすぐに左折、平坦な道を歩くこと約50分、武蔵国最後の一里塚(跡)を過ぎるとすぐに国道17号線に合流、その先で神流(かんな)川を渡ります↓。
現在はもちろん立派な橋が架けられていますが、当時は仮設の木橋による通行であったことが、渓斎英泉の浮世絵から窺えます。
上の写真は資料が推定する旧道筋から上州側を見たところ。
天正10年(1582年)に滝川一益と北条氏直が川を隔てて戦った古戦場跡と伝えられているこの河川敷は現在、埼玉県と群馬県との県境線となっており、これより中山道は上州路へと入って行くのです。
…と言うわけで、戸田の渡しから始まる埼玉県内の旧中山道約77キロを歩いてみました。
◎ニッポン徘徊―中山道・1~25