町田市立国際版画美術館の、「江戸の滑稽─幕末風刺画と大津絵─田河水泡コレクションを中心に」展を觀る。
とても樂しみにしてゐた展覧會で、戰前の人気漫画「のらくろ」の作者であり、また八代目橘家圓蔵が十八番(おはこ)にしてゐた新作落語「猫と金魚」の作者でもある田河水泡が、“滑稽”の研究資料として蒐集した膨大な浮世繪の諷刺画を主眼に、二階の展示室全てを使って公開した好企画。
江戸後期に意味を後付けしたものではあるが、諷刺性と云ふ共通點から東海道土産だった大津繪も併せて展示され、さすが蒐集數を誇るだけあって定番のほかにも、龍が竹に巻き付いた構図の「竹に龍」などは初見で、大津繪が本来持ってゐた多種性の一片を識る。
のんびりとした遊び心が窺へる江戸後期、
(※解説リーフレットより)
權力者が激動をもって交替しやうとしてゐる現實を、第三者の目線で洒落のめす強かさが窺える幕末、
(※解説リーフレットより)
西洋化──實際にはその猿真似──と云ふ新しい時代とその波に乗る人々を、江戸人の目線から揶揄しつつ確實に時代を取り込んでゐる明治と、
(※記念繪葉書より)
三つの時代に刷られた諷刺画のうち、私は時世柄からも安政江戸地震を題材にした「鯰繪」に最も興味を覺える。
(※解説リーフレットより)
安政二年(1855年11月11日)に發生して江戸を壊滅的な被害に陥れたこの大地震は、「富裕層の奢りを戒め貧民を救済するために神様が起こした」とその諷刺画には記されてゐるが、この災害で“救済”されたのは復興事業に携わった大工や左官、屋根屋といった職人ばかり、東日本大震災時も、仙臺の夜の街は復興事業者たちで賑はったと云う巷間噺と何ら変はらず、浮世はいついかなる時も誰かしらのフトコロは暖かくなる仕組みとなっており、それが”経済”の正体であると、私はナマズのとぼけた風貌から讀み取るのである。