陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

迎春2024年

2024年01月02日 | 日記・エッセイ・コラム

     

     君が代も我が家も無事に今朝の春 尾崎紅葉    

          2024年 元旦  

      2024年  元旦

いつものように、穏やかで平和な新年の朝でした。

朝には家族で「おめでとう」の杯を交わしお雑煮を食べ、年賀状をみて・・・

ごく当たり前に始まった2024年はごく当たり前に楽しい夜を迎えようとしていました。

 

そのはずだった・・・のです・・が・

午後の4時近くだったでしょうか? みんなががテレビの前に集って来る頃・・・。

突然けたたましく響く警報音、「地震です・地震です・すぐに避難してください!」

激しい口調の地震警報が何べんも何べんも繰り返されました。

そしてそれは、そのまま津波警報に変わり、

さらに 「津波が来ます・逃げてr下さい・津波が来ます・今すぐ逃げてください」

「何も持たず逃げて下さい・早く逃げて下さい・命が何より大切です・・・・」

叫ぶような悲壮な声は、まさしく恐怖が襲いかかろうとしていることを実感させました。

 

私たちは、目の前に来ようとしている地震と津波を想定し、ただ茫然としてテレビの画面から目が離せませんでした。

脳裏には、3・11の東日本大震災の映像が生々しく思い起こされていました。

始まったばかりの新しい年の元旦の夜のほんとう出来事でした。

 

思えば2023年も戦争と災害に明け暮れた年でした。

ロシアもウクライナも戦を止めず、新たにイスラエルとハマスとの戦争が始まりました。

戦死者や女や子供の傷つき悲しむ映像が映し出され、一昔前のあの日本の戦場を思い起こさずにはいられません。

地球はあちこち傷つき悲鳴をあげているというのに、人類は戦いをやめようとしない。

世界は寛容さを失い、人々は優しさを忘れ、人類はいったいどこに行こうとしているのでしよう?

 

いろいろな不安が心をよぎる冬の夜でした。災害も戦いももうたくさん!!だというのに。


冬が来る前に!

2023年11月12日 | 日記・エッセイ・コラム

日が短くなりました。朝の6時でも薄暗いのに、夕方5時にはもう夕闇、冬の訪れも間近かです。

こんな季節になって、ようやく一頭のアサギマダラがやってきました。はたして渡りが成功できるか心配です。

 

2023年11月12日午後3時撮影、於・家の庭  

渡り蝶何やら淋し秋も暮れ

朝晩の気温もめっきり下がって , あっという間に山や庭の木々が葉を落と始めました。ヒメシャラもヤマボウシもエゴの木もツリバナもサルスベリも葉を落とし、あたりは一斉に晩秋の風情です。山添いの我が家は落ち葉でいっぱい、掃いても掃いてもまた溜まります。最近はその枯葉を集めて畑に埋めるのですが、それもすぐに枯葉の山!

山の樹々の中でも最も早く葉を落とすのは桜、花で散り葉で散り一年の半分は裸です。木の下は明るく日当たりがよいからか、春には紫陽花が、夏には草木が、今はツワブキが咲いています。

 

ありたけのひかりあつめて石蕗黄なり  細木芒角星

さくらの木の下から、青い空を仰ぐように伸び上がったツワブキの花です。

お転婆の少女のごとく石蕗の咲く

さあ秋を楽しもう! 冬の来る前に! 


アサギマダラ日和

2023年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム

今年も「日展」の季節になりました。日展の入選通知は速達郵便で送られてきます。その通知を受け取るまでの数日間は何とも気持ちが落ち着か

ず、空を仰いでは幸運を祈るばかりです。

 

 晴れた青い空・・・満開を迎えたフジバカマの花と香り・・・

    空からヒラヒラと舞い降りてくる数頭のアサギマダラ・・・

そんな秋の日を「アサギマダラ日和」と名付けて、私は「日展入選通知」と重ねていました。アサギマダラが入選通知を運んでくる・・・と。

ところが、今年はどうした訳かフジバカマが満開になってもアサギマダラは飛んでこないのです。もしかしたら「私の所にだけ来ないのかもしれない・・」ふと不安になってフジバカマの植えられている農園まで車を走らせてみましたが、ここにもアサギマダラの姿はありませんでした。これは多分異常な気象(猛暑)のせいなのだ、と胸をなでおろしたのでしたが、結局、我が家の庭にアサギマダラは飛来しませんでした。でも、入選通知の方はちゃんと届きました。

 

2023年・改組第10回日展は11月3日に始まりました。館内はこの日のために各地から集まった人々でいっぱいです。

今年は春から体調を崩し不調と酷暑と戦いながらの作陶でした。テーマはストラヴィンスキーの「春の祭典」と決めていたのですが、なかなか思うに任せず表現不足の「春の祭典」になりました。

 

澄み渡る秋の空の下、国立新美術館のテラスを優しい風が通り過ぎていきます。なにげないおしゃべりをしながら、この解放されたひと時が何物にも勝る喜びなのだと、ふと気付きます。そして「来年もまたがんばろー」と思うのです。

 

                          


神無月・秋ですねぇ。

2023年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム

十月・神無月。

いつものお蕎麦屋さんに行ったら庭の壺いっぱいにススキとコスモスが活けられていた。あっという間にもう秋だ!

コスモスの揺れ返すとき色乱れ   稲畑汀子

昔の暦では、十月のことを神名月と言った。日本中の神さまが神社から抜け出し出雲に集まる月だから、出雲は神有月、地方では神名月。そんなイメージも、徐々に気温が下がり日暮れが早まる季節のうつろいあってのこと。ところが昨今の気候ときたら、いきなり35度の夏から15度の秋だ。地球変動か地球温暖化か知らないが確かに何かが異常だ。

そんなことを想いながら庭に出た。

ところが、よく見ると夏の間にすっかり枯れかけていた草花が新しい芽を吹き、葉を出し、花を咲かせているではないか。草花ばかりではない、木も虫も鳥もメダカもちゃんと生きている。なんという逞しい生命力。驚くばかりの自然の対応力。

 

何本かは枯れてしまったが生き延びたフジバカマが花芽をつけている。

アサギマダラが来る10月下旬には,花が咲き香るだろう。

去年のことふと思い出す藤袴   

 

ホトトギスも大部枯れて去年の半分程になったが葉裏には毛虫(ルリタテハの幼虫)が育っている。

夏の終わりを惜しむように鳴いていたツクツクボウシがいつの間にかいなくなり、代わって秋の虫の音が聞こえてくる。

強烈な太陽の下では顔を出さなかった山野の花たちが咲き始め、新米が獲れてご飯が美味しくなった。栗ご飯もむかごご飯も秋の味だ。

そういえば、麻機沼の蓮根が出始めた。蓮根は天ぷらもいいが、擦ってボールにして油で揚げて甘酢あんかけで食べるのもおいしい。

命あるものの命の連動、命の共感。

ホトトギス葉裏に蝶を住まわせて


夕顔・その後

2023年09月15日 | 日記・エッセイ・コラム

よく行くお蕎麦屋さん「八兵衛」のレジの近くに「どうぞお持ち下さい」と置いてあった夕顔の苗、何気なくそれを1本だけ頂いて鉢に植えておいたら、どんどん大きくなって、熱波続きのこのひと夏を楽しませてくれた。

 

夕顔の妖艶に咲く闇の中 (写真・懐中電灯で照らしてとったもの)

 

真夜中、夕顔は真っ白な妖艶な姿と甘い香りであたりを魅了する・・・、だが人間様は寝ていてそれを見ることがない。

翌朝、気が付くと花はもうしぼんでしまっていて、しばらくするとぽたりと地面に落ちる。

それなのに、真夜中にあんなに華やかに咲くのはいったい誰のためか? どうしてなのか? と問いたくなる。

 

ところがこの文章を書きながらが、ふと思い出したことがある。源氏物語の「夕顔」のことだ。夜、男性が好きな女性のところに忍んで会いに行くのは、平安の頃の習わし、男女の出会いの舞台は「夜這い」だった。当時は電灯がなかったから夜は本当の暗闇だったに違いない。そんな真っ暗な夜道を行く中、垣根か何かに真っ白な夕顔の花が咲いている、甘い香が漂っている・・・・、男はそこに美しい女性像を想い描く・・・、最高の舞台に違いない。

 

心あてにそれかとぞみゆ白露の光り添えたる夕顔の花

そこに主の女から手紙が届く・・・、なんと心憎い状況ではないか!

 

咲き終わってしぼんだ花々が何だか可哀そうな感じがして摘んで持ち帰ったが・・・・なんの役にも立ちそうにない。

夕顔のいさぎの良さや一夜花

 

 


長月(九月)の秋草花

2023年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

あっという間に九月です。

35度を超す猛暑に人間さまだけでなく動物も植物も息絶え絶えの八月でした。人間さまには「惜しみなくーラーを使うように」とテレビやラジオがやかましく言っていましたが、植物たちにとってはこの暑さはどうだったのでしょう?  

水やりも放棄していた裏庭を点検してみると・・・、どうでしょう冥加がちゃんと花をつけているではありませんか!

 

日陰の湿った土の中から首を出し白い花を咲かせていました。この異常な暑さの中でも、ちゃんと季節を感じ顔を出したに違いありません。その生命力と順応力に思わず感嘆の声を上げてしまいました。(冥加は、昔から秋の季語だったようです)

 

眠れぬ夜あけて冥加の花を見に   中島鬼谷

つぎつぎと冥加の花の出て白き    高野素十

 

雑草と山野草が入り混じったように咲く、山際の自然体の我が家の庭には、今、オレンジ色のノカンゾウが咲き始めています。

萱草は一日花ですが次々と新しい花を咲かせ、毎年初秋の庭を明るく彩ってくれます。なんともたくましい花々です。

 

萱草やここに芽を吹く忘草   正岡子規

萱草の夕日の色に咲き惜しむ  駒井えつ子

 

暑さをしのぐ秋草花に 乾杯 です。

 


夕顔が咲いたよ

2023年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

大型台風の影響で突然土砂降りの大雨が降ったり止んだり・・・、照ったり曇ったり・・・、そんな天気が数日続いたせいで、日照り続きにあえいでいた植物たちが急に勢いを増した。特に熱帯性の植物(ゴムの木とバナナの木)は我が意を得たりとばかりの異常なほどの成長ぶりだ。

 

そんな中に一輪の夕顔がさいた。

花冠五裂した白い花びらはまるで天女が舞い降りてきたようだ。

夕暮れのひとときうっとりとその白い羽衣に見とれてしまった。

顔の天女のごとく降りにけり

 

   夕顔に水仕もすみてたたずめり       杉田久女

    夕顔のひらきかかりて襞のごとく  杉田久女

   

     

 

 


早朝の公園で

2023年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム

早朝の公園は、夜のうちに木々が吐き出した豊かな酸素に満ちていて、しっとりとした爽やかさだ。

この季節の日の出は午前4時45分。明けたばかりの日の光りがまだ優しくて、早起きして犬と散歩に出てきた人の姿を、そのまま自然の景色に取り込んでしまう。目覚めたばかりの公園と出会うのは気持ちがよい。

 

私の住むこの辺りは、住宅地の真ん中にある丘陵地帯で、近くの谷津山でも麓の清水公園でも昔からラジオ体操をやっていた。それはずっと承知していたけれど、夜型の暮らしに慣れ親しんでいる身にとっては無縁なものと思いこんでいた。早朝、体操を終えて山を下りてくる人々の弾んだ話し声も、ベッドの中で聞くのが日常だった。

6月に思いがけなく体調を崩した。それが思いがけずなかなか回復しない! 「このままじゃいけない」その時ふとそう思った。その時思い出したのが朝の体操のことだった。日本の義務教育で育った子供なら誰でも知っているラジオ体操。当時はこれにどんな意味があるのか、国民の体位向上を図っての国策だなんて考えもしなかったが、ふと「やってみよう!」と思いたった。今思えばよほど不調だったのだろう。

 

朝6時15分 公園に行くとラジオ体操の会のおじさんおばさんがすでに数人集まっている。当番がスイッチを入れてラジオをかけ、指導者が前に出て音頭をとってくれる。最初は年寄りばかりかと思ったが気を付けてみると老若男女入り混じって、よく市民性を表している。

先ず・みんなの体操、次に 中国体操 それから ラジオ体操第1 ラジオ体操第2 所要時間は約30分 結構きつくて汗をかく。

 

思い切り手足を伸ばす心地良さ今さらながらラジオ体操

毎朝、近くで鳩が遊んでいる。今朝など、大きなガマ蛙が広場を横切り体操をストップさせるハプニングもあった。まだ一ケ月も続いていないのに、夜型のライフスタイルは完全に朝型にかわりつつある・・・、何だかおかしい・・ね。


初蝉

2023年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日(16日)朝公園にラジオ体操に行くと、木々の間から蝉の声。7月16日6時初鳴きです。

まだ数匹ですが「ジイージイー」とアブラゼミです。

蝉の初鳴きの平均は大体7月の中旬、気温が上昇すると鳴き始めると言われています。今年などはもうずっと前から35度が続いていますから、気温だけが蝉の羽化の要因ではなさそうです。

地面の中にいる蝉が「よし!条件が整った」と思わなければことは始まりません。鳴く蝉はオスですからメスを呼ぶ準備が整う頃・・・、そう梅雨がはっきりと開けて交尾が可能だ!と感じなければいけません。

早速家に帰って。庭のあちこちを調べました。

モチノキの葉っぱの上と雨戸の縁にありました。まだ真新しい抜け殻です。(写真)

ということは、やっと本格的な夏になった!ということなのでしょうか?

蝉たちの命が無事にまっとうされますように‥‥、頑張れ!!

 

 空蝉やいのち見事に抜けゐたり  片山由美子

 


さくらちる

2023年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

満開を愛でる間もなく一夜の雨で花が散り始めました。

 

ひらひらひら ここは越後か奥信濃?

雪ふるごとく 花の降る 

駿河の国駿府 2023・3・27

   

 

山の階段にも・・・。

落下した赤い椿の花の上にも・・・、

タンポポの花にも・・

蕗の薹にも・・・ひらひらと

足早にバトンをタッチさくら花


風光る

2023年03月09日 | 日記・エッセイ・コラム

  風光りすなわちもののみな光る   鷹羽狩行

    

    ヒメリュウキンカ

 

 

   

  イカリソウ

 

 レンギョウ

 

 タチツボスミレ

 

 

 コブシ

 

  

 ヒトリシズカ

 

ミスミソウ(雪割草) 

暖冬異変とか、暖かな日が続いています。うちの庭でも小さな草から大きな木まで、一斉に目覚め始めました。

怪我をした小鳥(ハラジロ)も、もう姿を見せなくなりました。無事に生還して仲間たちと空を飛んでいることでしょう。

2023年3月9日 百花繚乱・風光る日に

 

 

 


happening・ハプニング

2023年03月05日 | 日記・エッセイ・コラム

ポカポカ陽気、まだ木々は芽吹いていないが、山野草たちはそろそろと目を覚まし始めた。

お日様を楽しもうと窓を全開にしてコヒー飲んでいたら突然「ガシャン」とガラス窓に衝撃が・・・。

 

見るとテーブルの上に呆然とした一羽の小鳥が・・。ガラスに衝突して脳震盪を起こしている様子だ。じっと観察していると動き始めた・・が、飛び立つ気配はない。ヒヨと似ているがヒヨではない、スマホで調べると「ハラジロ」とある。

小鳥は、小一時間ほどするとバタバタと動き始めたので庭に放した、一目散に走り出したものの飛べないらしく、庭の隅っこの薄暗い石垣の間に隠れるように入っていった。次の日、小鳥の様子を見に行くと、人の気配を素早く感じ取って走って身を隠すハラジロを見つけた。が、やっぱり飛び立つことはできないらしい。次の日もまたその次の日も、庭の草や木の実をあさって生き延びてはいるが、人の気配を感じると素早く隠れてしまう、ただその動作がだんだん機敏になってきた。

ぽかぽか陽気の昼さがり、庭の木の梢でピーピーと鳴く数羽の小鳥たちを見つけた。ハラジロの仲間に違いない。何らかの方法で、ここにいるよと連絡し合っているのだ(と思えた)迎えに来ているのだ!!

昨日、ついに近くの木の枝にまで飛んだ。左の真ん中あたりにいる小鳥がそれ・・・。

スマホで追いかけたがうまく撮れない。今日あたりは仲間が迎えに来てくれて、一緒に飛び立てたらうれしいのだけれど!。

今、庭はマンサクの花が満開。

 


寺と仏と梅の花

2023年02月05日 | 日記・エッセイ・コラム

    野仏に手折りて供へん梅一輪

 

                 

       

 立春です。暦の上では春が始まっています。

町中でも梅の花が咲き始めました。明るい日差しの中、野山を散策するのが楽しい季節になりました。

散歩に出かけた近くのお寺で、写真のような石仏を見つけました。

すっかり古びてしまったからでしょうか、寺の奥庭の隅っこに追いやられ捨てられたように並んでいる野仏です。

苔むしていますが、よく見ると細かい装飾に取り巻かれた美しい石仏の姿がうかがえます。

こちらは三面馬頭観音? でしょうか、微笑んでいるお顔の表情が可愛いい石仏です。

頭が欠けてなくなってしまった石仏もあります。それがまた時の重さを思わせて、かえって味わいを深くしているように感じられます。

そのどれも、遠い昔、誰かが、深い願いを込めて掘らせ、祈りをこめて奉納したのでしょう・・・・。

清水寺は、家康が駿府に人質に出された頃からある今川氏のお寺です。「京都からやってきたお姫様が寂しがるので、ふるさとの清水寺を模して造らせたお寺」と私たちは聞かされてきました。近隣には京都と同じ「音羽町」などの地名も残っています。

お寺は、昨今の家康ブームで家康一辺倒・・・、今川氏から続く寺院の面影は失われつつあります。

 

梅一輪一輪ごとのあたたかさ   服部嵐雪