蝉が鳴きはじめました。
朝からコジュケイの ピープルプレイ・ピープルプレイ
という声も聞こえてきます。
庭では、紫陽花が終わって、山百合が終わって、
もう秋海棠が咲き始めました。
雷が鳴って、夏の到来をつげています。
雨続きの日々が続いて、山も庭もうっそうと 緑 緑 でいっぱいです。
大地を覆うような雑草も、取らなくてはと思いつつ手が出ないでいます。
木々は、この季節 うっそうと緑で覆われてしまうけれど
冬がくれば自然に葉を落とすし、
春になればまた自然に若芽が吹き出す。
それもこれも人の暮らしにかなった節理、そう思ってきました。
アトリエの窓から山と庭を望む
今朝、庭を掃きながらふと思ったのです。
あたりまえのように年々繰り返される自然の営みだけれど、
実は決してあたりまえでのことではなく、
人が命を生きるのと同じくらいの意味、
同じくらいの重さの営みなのかもしれない・・と。
時間という流れの中で、生きて死んでいく命、そのかけがえのない命の営みを
愛おしく感じるのは、自分が歳をとったからなのだと想います。
花も鳥も木も風も 私中心の 天動説
身近な自然の営みも自分を中心に考えれば、私の支配下にあります。
私を中心に天が回っている・・、天動説です。
それが、最近になって変わりつつあります。
私たちは、宇宙の節理の中で共に生かされている仲間
それって、地動説 でしょうか?