陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

ちいさい秋・見~つけた

2016年10月25日 | 野草

 

こさめふる あきのゆうぐれ たたずみて
ひっそりと ののはなと かたりき

 
 
 

ワレモコウ 咲き残りて 水桶に映え
 


 

 
伸びあがり 白く舞いおり  秋明菊

 


 


箱根路に咲くとか 関屋の秋丁字
 
 






秋色に 咲き乱れたる ホトトギス
 
 
 
 
 
 
嫁菜よめな 嫁にいけ
 
 
 
 
 

檀(まゆみ)まだ赤い繭のごとし
 
 
 
 
  *(パソコンの具合が悪くて、うまく編集できていません。悪しからず)

「陶芸工房 朝 」 から、アトリエ便リです。

2016年10月17日 | 陶芸

 「陶芸工房」などとうたい乍ら、いつも庭の花や草のことばかり、

肝心の陶芸の話はちっとも出てこないけど、本当に陶芸をしているのかしら?

 

 たった一輪 、雨風に耐えて咲くイワシャジンの花です 

*

そんな風にお思いの方に、今回はまじめに陶芸のご報告です。

夏の間、悪戦苦闘して制作しておりましたオブジェが、「日展(工藝) に入選いたしました。

日展の会期は、平成28年10月28日 ~ 12月4日まで

場所は、東京・国立新美術館です。

東京近郊にお住まいの方、東京におついでのある方、

ぜひともお出かけ下さいますよう、ご案内申しあげます。


アサギマダラがきたよ!!

2016年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム

抜けるような青空が広がっています。

絶好のアサギマダラ日和です。

 

 

大雨が降ったかと思うと大風が吹いたり、何回かの台風が日本列島を混乱させ続けました。

日照時間も極端に減って、蝶が渡りをするような天候ではありませんでした。

それがここにきてようやく、真っ青なすきとおるような秋の空に変わりました。

 

 

 

 庭のフジバカマも、ピンクに白にベージュにと満開です。

 今日は来るぞ!! そう思っていると、 

10月15日午前10時、 やってきました。 アサギマダラです。

 

 

 

 

 

 それも1頭ではなく2~3頭も、ひらりひらりと舞っています。

慌ててカメラを用意しました。白色のフジバカマの蜜を吸っているところです。

 

 

アサギマダラは、少しも人を恐れることもなく、

小半日を優雅に家の庭で過ごしていきました。

 

 

遊びをせんとや   生まれけん    戯れせんとや生まれけん

遊ぶ子どもの声きけば    わが身さえこそ動がるれ  (梁塵秘抄)

 

今日は朝から、アサギマダラに遊んでもらったみたい!

マーキングをと思ったのですが、美しい羽を汚したくないと思いやめました。


駿河の国・宇津の山辺を行く

2016年10月11日 | 日記・エッセイ・コラム

行き行きて  駿河の国にいたりぬ

宇津の山にいたりて   わが入らむとする道は    いと暗う細きに 

つたかえでは茂り   ものこころぼそく  すずろなるめを見ることと思うに 

修行者にあいたり 「かかる道は   いかでかいます」 

 と言うをみれば   見し人なりけり   

京に   その人の御もとにとて  ふみ書きてつく

くねくねとくねりながら、宇津ノ谷峠(宇津ノ谷トンネル)に至る山の道

 

上記は、「伊勢物語」東下りの一節です。

  都を追われた在原業平は、数人の供を連れて東の国を目指して旅をします。

 京から何日もかかって、ようやく駿河の国(静岡)に着いたのでしょう。その最後の峠が、宇津の谷峠です。宇津ノ谷峠は蔦や楓の生い茂った人の気配もない寂しい山の細道です。そこで、山賊ならぬ知り合いの修行僧に出会った、というのですから驚きです。で、その人に 都への便りを託します。

 

駿河なる  宇津の山辺の  うつつにも  夢にも人に あわぬなりけり

 

 連休の最終日、知りあいが岡部町のギャラリーで個展を開いているというので、岡部町まで出かけました。岡部町というのは、宇津の谷峠を越えて駿河に至る登り口の町です。今では、峠を抜ける立派な「平成トンネル」ができていて、静岡市と岡部町は30分もあれば行ける距離なのですが、せっかく岡部町まで来たのだからと、帰りは業平の歩いた昔の宇津ノ谷峠を越えることにしました。

  秋風に薄の穂の揺れる山の道は、今も昔と変わらぬ寂しい山の中。業平は「夢にもうつつにも⦅あなた⦆に会えない」と嘆いていますが、私には「宇津の山辺は、夢にもうつつにも、誰にも人と出会うことのない寂しい山の中だよ」とその寂しさを訴えているようにしか思えません。今では、山越えの道は、「蔦の細道」として整備されていて、日帰りのハイキングが楽しめます。峠を越すと昔の風情を残す「お羽織屋敷」や「宿場」などもあります。

 

今は歩いて通るだけの「明治時代にできたトンネル」の入り口で 

 明治トンネル・内部はレンガづくり、歩いてぬけられます。(ちなみにトンネルは、明治・大正・昭和・平成と四本ある。) 

ここは、夜になるとどこからともなく人の声が聞こえてくる心霊スポットなのだとか!

山道に薄の穂が揺れて狐や狸が出たりしたら、夜はかなり恐ろしい 光景だろうと思われます。

山は暮れて 野は黄昏の 薄かな  (与謝蕪村)

 

参照  宇津の谷地区は静岡市の西端、旧東海道の丸子宿と岡部宿の間に位置し、街道を往来する旅人たちが休憩した静かな山あいにある40戸ほどの集落です。ここでは、街道の面影を残す懐かしい雰囲気を感じることができます。当地区では、地元住民などによる協議会をつくり、歴史や街道の面影を継承していく活動をしています。また、静岡市では、この地区を都市景観条例で「美しいまちづくり推進地区」に指定し、街道の面影を残すまちなみの保存に取り組んでいます。そしてこの活動が評価され、国土交通省による平成17年度都市景観大賞「美しいまちなみ賞」の美しいまちなみ優秀賞を受賞しました。 

 

 

 

 

 

 


物忘れの名人・茗荷

2016年10月05日 | 日記・エッセイ・コラム

  朝、庭からとってきて器に活けてみました。

 

 

   台風が雨と風とを運んでくるこの季節、庭の片隅で優しいクリーム色の花を咲かせます。

たいていは、採ってきて梅酢に漬けて、料理の付け合わせに使うのですが、柔らかなクリーム色があまりに美しかったので、小鉢に入れてテーブルの上に飾りました。

 

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土の中から頭をもたげて咲く茗荷の花です(10月5日朝)

 

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 「茗荷を食べると物忘れがひどくなる」

これ、よく使われる諺ですが、もともとは中国の故事からきたものだそうです。

釈迦の弟子の周利槃特(チューラパンタカ)は、特別に記憶力の乏しい人で、自分の名前もすぐに忘れてしまう。それで、釈迦は彼の首に名前を書いた名札(茗荷)を着けさせた。しかし、その名札を付けていることさえすっかり忘れてしまっている。

そこから「茗荷」イコール「物忘れ」となったという故事です。

*

そういえばこの話、ずっと前にも調べた記憶があるのですが、すっかり忘れていました。

認知症も他人ごとではない昨今、「茗荷・名札」は、高齢者の必需品になりつつありますネ。

*

忘れ難きことも多し  花茗荷

 


秋の夜の小さな音楽会・ドビッシーをめぐる潮流

2016年10月02日 | 日記・エッセイ・コラム

十月、秋ですねー。秋の長夜を音楽で楽しむ

なんていうと格好いいけど、誘われて小さな音楽会に行ってきました。

しょっぱなから不協な和音がなり響いて、否応なく非日常の中に引きずり込まれるような音楽会・・。

小さな音楽会は、サティの「バラード」の中の「赤い 幕の前奏曲」で始まりました。

演奏は、青柳いずみこさんと高橋悠次さん   ピアノ連弾。

 

*

  

   ドビュッシーの研究家でありピアニストでもある青柳いずみこさんの

ユニークなトークで音楽会は進行していきました。

  最初の曲は1914年にパリのシャトレ座で初演されたバレー音楽。台本はコクトー、衣装と装置はピカソ、振付はマシーン、指揮はアンセルメ  と書かれています。それだけでも驚きなのだけれど、ピアノの連弾で叩き出される音楽の型破りで斬新なこと。ジムノペデイやグノシエンスしか知らなかったサティの、型破りの音の連打に唖然とさせられてしまいました。 

  プログラムは、「ドビュッシーをめぐる新しい潮流」ということで、サテイから ラウ"ェル・ストラウ"ンスキーと進みました。  世紀末から20世紀にかけて、成熟しきったパリで、古典的な形式から離れて、新しい出口を求める芸術家たちのうごめき、そのエネルギーが音を通して伝わってきます。

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  最後の曲はストラウ"ィンスキーの「春の祭典」でした。

  この曲がシャンゼリゼ劇場で初演される前の1912年に、評論家ラロアの別荘で,高音部をストラウ"ィンスキーが、低音部をドビッシーが弾いて、二人は連弾をしたのだそうです。まるで、映画の一シーンを見るようなシチュエーションです。

  その様子が伺われるような演奏を、青柳さんと高橋さんが連弾で再現してくれました。オーケストラとは全く違うピアノならではの「春の祭典」。異常なまでの激しい春ならぬ「秋の祭典」を堪能させて頂いた秋の夜でした。

 

                                                                          50人くらいしか入れない小さなコンサートホールです

*日本は、この頃、富国強兵のもとに世界を相手に戦争に突入しようとしていたのを思うと、感無量です。