いつまでも主役の桜が席を空けないからか、わき役がいら立って自己主張を始めたみたい!
毎年、同じ場所に同じ頃、同じように群落を作って咲き始める顔なじみ の ニリン草 。
ところがよく見て下さい。ニリン草 の茎から首をもたげているのは、なんと 三輪 !!
サンリン草 です。
でも、よく見るとやっぱり茎の先に二輪だけ花をつけているのもいます。
ニリン草 です。
これって、どうして?
二輪草 なぜか今年は 三輪草
いつまでも主役の桜が席を空けないからか、わき役がいら立って自己主張を始めたみたい!
毎年、同じ場所に同じ頃、同じように群落を作って咲き始める顔なじみ の ニリン草 。
ところがよく見て下さい。ニリン草 の茎から首をもたげているのは、なんと 三輪 !!
サンリン草 です。
でも、よく見るとやっぱり茎の先に二輪だけ花をつけているのもいます。
ニリン草 です。
これって、どうして?
二輪草 なぜか今年は 三輪草
「とにかくすごいから!」
どこがどんなふうに「すごい!」のかよく判りませんでしたが、「とにかくすごいから!」に押されて、「いつか機会があったら行ってみたい」と思っていました。
バチカン宮殿内のシスティーナ礼拝堂・天井画の一部 ・ミケランジェロ
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渦潮海峡をこえて、高速道路をしばらく走ると、左手の山に貼りつくように建っている白い建物が目に入りました。「あれが美術館らしい」と、山をぐるりと回りこむようにして降りていくと、美術館の駐車場につきました。そこからシャトルバスに乗り換えて美術館へ。
四国では、直島の地中美術館・牟礼のイサム・ノグチ美術館等に行っています。いずれも前予約が必要なくらいの小さな美術館で、ひっそりとした一人旅には向いていました。 が、今回の大塚美術館はちょっと勝手が違いそう。「入場料が日本一高くて(大人一人3240円)、作品の数が1000点以上あって、全館を歩くとその距離4キロ」という桁違いに大きい美術館です。おまけに、全作品が陶板に転写したレプリカで、写真をとっても、触ってもいい、というのです。
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なんの下準備もないまま勢いに押されて館内に入ると、
いきなりシスティーマの礼拝堂の中です。「いきなり」だったことにまず驚きました。
システィーネ礼拝堂の天井画
バスツアーらしい団体客がきていて、ガイドさんがペンライトで天井画を指しながら、「あそこに見えるあの二つ手、あれは、父なる神の手が、今アダムに生命を吹き込もうとしているところです」と説明をしています。
ウイキぺキアより転用
美術館というと、重々しい扉や厚い壁があって、そこを通り過ぎていくと、時代の重みで湿ったように感じられる空気が漂っていて、何か厳かな気持ちになるものなのですが、そういう感じはありません。
スクロヴェーニ礼拝堂
「システィーナ礼拝堂」の「最後の審判」等を見ながら、ゆっくりと見学コースを進んでいくと、さらに驚かされます。「スクロヴェーニ礼拝堂」が、おごそかな佇まいで再現されていて、美しいトルコブルーの天井に星が輝いています。
一枚一枚の絵画 が再現されているのはよく見ることですが、丸ごと異次元の空間が再現されているのには、本当に驚かされます。しかもその空間が、限りなく実物に近く細部まできちんと再現されて厳かな空気が漂っています。本当の礼拝堂の中にいるような感じです。
聖マルタン聖堂
さらに進んでいくと「聖マルタン聖堂」「聖ニコラウス・オルファノス聖堂」・・。
聖ニコラウス・オルファノス聖堂
そのあまりにも大胆な挑戦に驚嘆しながら、さらに進むと、作品は・・・、
ポンペイの壁画「秘儀の間」(写真は借用)
大塚美術館はHPより借用
まるで美術の 教科書をめくっていくようです。見覚えのある作品をゆっくり時間をかけて見ていたら、本当に時間がいくらあっても足りません。
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ここはまだb3フロアーのほんの一部にすぎません。
急がないと日が暮れてしまいます。
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再現されている世界の貴重な美術作品の数々を眺めてながら、ふと思ったのです。
一枚の絵一つの作品と出会うために、旅の計画を練り、書物を読んだ時のことを、
異国の空気を肌に感じながら、ドキドキして旧市街を歩いた日のことを、
そして、
美術館は単なる美術館ではなく、その時の自分であったり、人生だったりしたことを。
青い海と緑の島を結ぶ白い美しい橋・大鳴門橋を渡ると、徳島に入ります。
渦潮 ウイキペキアより借用
この区間が有名な「渦潮海峡」です。
せっかくなのでその渦潮を見たいものだと、展望台のようなところによったのですが、
少しのタイミングのずれで、すでに渦潮はひいて行くところでした。
(渦潮を見るには渦潮の時間をよく調べていくこと。短時間で渦潮は消えてしまいます)
すでに引いていく渦潮。
どうしてここでだけ渦潮が起きるのか、不思議に思っていました。
それは、島と海面との複雑な相関関係によるものだったのです。
月の引力によって高まった海面は、月の動きを追いかけるように東から西に移動します。
その満潮の波が、二手に分かれて一方は鳴門海峡側に、片方は大阪湾方面に向かいます。明石海峡を抜けて播磨灘に向った大阪側の波は、6時間後に豊後水道を経て鳴門海峡に入ってきた波と出会います。この6時間の間に、紀伊水道側は干潮の波になり、播磨灘側の波と紀伊水道側の波との間に1.5メートルもの水位差が生まれます。それが高くから低くへ流れこみ「渦潮」が生まれます。島という特別な地形(海底も含む)を廻るこの波の流れが、渦潮を生みだす源になっていることをしりました。
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渦潮がみられなくても、限りなく青い穏やかな海は、まちがいなく人の心を癒してくれます。
この海峡を渡ったところにかの有名な「大塚美術館」なるものがあります。
今回の目的の一つが、その大塚美術館でした。(続きは次に)
「 淡路に行ったらぜひ人形浄瑠璃を見たい」前々からそう思っていました。
南あわじ市福良甲というところに「淡路人形座」という浄瑠璃会館があり、ここでは、定期的にプログラムを組んで公演をしているというので、行ってみました。外観は、写真のようなモダンアート風な会館なのですが、中に入ると、板張りの壁面に浄瑠璃人形の頭や衣装が飾られていて、何やら昔ながらの芝居小屋の雰囲気が漂っています。
今回の出し物は、「戎舞」(えびすまい)と「火の見櫓」の二本立。
拍子木が鳴って幕が開くと、舞台の上手に太夫と三味線弾きが現われて並んで座ります。
太夫が浄瑠璃を語り始めると三味線がそれに合わせ音を奏で、人形遣いが静かに人形を動かし始めます。人形は、三人の人形遣いが、首(かしら)と右手、左遣いが左手、足遣いが脚というように、別々に操作します。太夫、三味線、人形遣い 、この三位一体が、人形浄瑠璃なのです。
まるで生きているかのような豊かな動作と表情で演じる人形。
「艶容女舞衣」写真はwikipediaから借用
ここでは、幕間に、人形遣いが人形の仕組みを、実際の人形を使って見せてくれます。目の動き、顔の表情のつけ方、手の動き、それらの動かし方一つで、喜怒哀楽の表情ががらりと変わります。さらに、かしらには巧みな仕掛けがあって、一本のばねを押すだけで、美しい女の顔を鬼の形相に変えることもできます。この巧みにできた「人形」があってこその人形浄瑠璃なのですね。舞台装置の立体感の演出についても、そのからくりを見せてくれました。
緻密に仕組まれた「からくり」を、ここまで磨き上げた古典芸能の技に、感心させられます。
人形浄瑠璃で一番美しいのは、やっぱり女性のかしらでしょう。
気品と色気をうちに秘めた情念のようなものを演じさせたら、人間の役者より生々しい見事な女を演じます。そういえば、浄瑠璃の題材で一番馴染みの多いのも、世話物、いわゆる心中物ではないでしょうか。今回の「火の見櫓」でも、恋しい男のため、雪の中、命もいとわず 火の見櫓に登り半鐘をたたく、一途な女ごころを見せてくれました。
入場料は大人1500円・公演時間・演目 を調べていくことをおすすめします。
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余談ですが、人形浄瑠璃というと思い出すのが、宇野千代の「おはん」という小説です。
「おはん」の表紙絵から
物語の内容は、「おはん」という元の女房と「おかよ」という芸妓との間を、あちらにこちらにと揺れ動く男の心情を、主人公の男が、太夫に代わって淡々と語っているのですが、浄瑠璃のあの独特なふしまわしで、行きつ戻りつ語られる男の心情から、二人の対照的な女の姿や形やしぐさまでもが、生々しく浮かび上がってくる、まるで「人形浄瑠璃」の世界なのです。
「おはん」には、浄瑠璃の人形のような美しさがある。文楽の太夫さんたちが使う人形が、生身の人間以上に人間の真実の姿を、極限の美を、表現しているという意味である。僕は、文楽を見るとき、人形使いという芸人の不思議さを考える。どんな俳優でも、自分が役者である以上、舞台の上で自分の演じている姿を見ることはできない。自分の姿が見えないまま主観的なかんで演技し、美を作っている。ところが、人形遣いは、演技している人形を自分の目でたえず見ている。人形に感情を移入し、自分が人形になり切りながら、いまこの瞬間の人間の形はどうなっているかをたえず眺められる。自分で演じながら、美や芸の陶酔者だけでなく、鑑賞者、享受者にもなれる。人形遣いの立場に立った時に、女たちの心と姿の美しさ、哀れさを最大限に表現することができることを知っているのだ。(奥野建男・「おはん」解説より)
自分を離れて客観的にものを見据えることができるから、ものの姿がはっきりとみえてくる・・・
「 そうか ! 人形遣いの世界か! 」
その国造りのお話は本当のことなの? そう聞かれたら・・・・
ずっと昔のそのまた昔、まだ文字がなかった頃、語り継ぎたい大切な出来事は、
口から口へと伝えられてきたの。
飛びぬけた記憶力を持った人が、そのお話を記憶して次の世代に語り、またその次の世代がまた次に語る、そうやって「天地の創造」から「天孫降臨」までの長い長い日本の歴史の物語は、今の時代にまで語り継がれてきたの、本当のことかどうかは別にしてね。
ほら、 この海と向こうに見える島々を見てごらん、何だか神さまががそれを創ったように思えない?
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「古事記」が編纂されたのは712年のことです。
古事記は、第40代の天武天皇(673~686)が、日本の歴史を一冊の本にまとめようと編纂したもので、その中のイザナキ・イザナミの誕生からアマテラス大御神の誕生までの物語と初代神武天皇から応神天皇までの天皇家の系譜や神話や伝説は、稗田阿礼という語り部が伝承したものとされています。
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それにしても、この淡路の地には、古事記の神様たちが確かにいたのです。
この赤い鳥居が「オノコロ島神社」の大鳥居!21.7メートルもあるんだって・・。
こちらが、国うみの親の伊弉諾(イザナキ)の神社の鳥居。
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伊弉諾神社には七五三を祝う家族の姿があり、おのころ島神社には、観光バスがきていました。
日本人の心の中に、神話の世界が息づいているためなのでしょうか?
淡路島という特殊な風土が、それらの神話を守り育てているせいなのでしょうか?
物語の世界だと思っていた神々が、今もそこに生きて活躍していることに、驚かされたのでした。
その時、天と地とはいまだ別れず、まじりあって無限に広がっていた。
やがて天と地とは別れ、高天原と呼ばれる天上界に神々が現れた。
最初に現れたのは天地を主宰する神。
次に現れたのが、天上界の創造神と地上界の創造神、二柱は、万物の生産・成長を司った。
その頃、地上はまだ固まっておらず、水に浮かぶ油のような状態でクラゲのように漂っていた。
やがて男女一対の神々が五組現れ、最後にイザナキの神とイザナミの神が現われた。
イザナキとイザナミの二神は、 天沼矛(アメノムボコ)を持ち、
天の浮橋に立ってどろどろと漂っている地上をかき回した。
すると矛の先から滴るどろどろとした潮が積もり、それは見ている間に固まって島となった。
この島が「オノコロ島」である。
そして、イザナミとイザナキの神は、
淡路島、次に四国、次に三つ子のような隠岐の島、次に筑紫島、次に壱岐島、次に対馬、次に佐渡島
と国を生み、最後に大倭豊秋対津島を生んだ。
数えて八つ。このため日本の国を「大八島」と呼ぶことになった。
ここまでは、日本人なら誰でも知っている「古事記」の国生みの一節です。
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四国に行くというお誘いに便乗して、淡路島から四国を回る旅をしてきました。
何の準備もないまま、何か面白いことに出会えれば・・・ぐらいの軽い気持ちで出かけた旅でしたが、淡路島から四国に通じるその海の美しいこと、島々の持つ雰囲気の優しいこと、その穏やかでどこか懐かしい感じのする風景に、すっかり魅せられたのでした。
淡路島の海岸沿いの道を走っていた時、ふと見つけたのが、上記写真の石のオブジェがです。一見して、すぐに「古事記の国生み」の物語だと思いました。
小さな島があちこちに点在している 瀬戸内の穏やかな海を前にして、このオブジェを見ていると、遠い昔、神々が「国生み」の儀式をしている姿が、髣髴としてきます。
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オブジェの作者は、大阪出身の 東山 嘉事 氏とありました。 私が日ごろ追いかけている「渦巻き模様」と同じです。その「渦巻き」にひかれて後追いをしてみました。東山氏は、2006年にすでに他界されていましたが、次のような言葉がありました。
「オレの中に潜む遺伝子の命ずるままに土をひねり、石に模様を刻み、経文を創り、うたう」
なんだか、気の合う友だちに出会ったような、うれしい気持ちになったのでした。
今回の淡路、四国の旅の始まりです。