陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

京都・奥丹後から

2025年01月06日 | 旅の記録

遅ればせながら

あけましておめでとうございます。

暮れからお正月を京丹後で過ごしてきました。

思っていたのと違い丹後はあまりに遠く遥かな地、

ただただ茫然と、見知らぬ風土の見知らぬ文化や歴史を

タイムスリップしたように感じながら楽しんできました。

 

2025年1月1日」午前7時

宿から見た久美浜の日の出です。撮った写真に指で「おめでとう」を書いた年賀状です。

 

「京都」と言っても、今回旅した京都は、京の都の「京都」ではなく

いわゆる日本海側の北の京都、「海の京都」といわれる地域です。

このあたり一帯を「奥丹後」といいます。

 

宿泊地の海。久美浜湾は湖のように静かで穏やかな海でした。

ここから今回の奥丹波の「旅」は始まりました。

奥丹後記ー1


埴輪を作る

2024年10月04日 | 旅の記録

 お久しぶりー。 

 お願いがあるんだけど俺の誕生日に埴輪を作ってほしい!

 出来たらお願いしますー!

 

長野県に住む娘の長男(孫)からからこんなメールが届いた。こんなかわいいお願いに張り切らないわけにはいかない。

粘土ならお手のものと、気軽に作り始めた・・・がこれがなかなか難しい。

 

 

最初に作ったのは一番小さい子供の兵士みたいな埴輪。まだ小さな子供が兵士の真似をしているみたいでちょっと華奢すぎるかな?

で、資料を調べてみると古墳に眠る豪族の長を警護する埴輪は、鉄の鎧と兜で身をかため弓と剣を構える屈強な男性像だ。

二体目は背を高くして男っぽくしたつもり・・・だったが何となく現代っ子のスリムなハンサムボーイのイメージ。

で、三体目に作ったのが、大谷翔平クンみたいながっちりした体格のたくましくて強そうな埴輪。(のつもり)

 

さて、どれが合格するか? これから本焼きなんだけどネ。


益子陶器市

2023年05月06日 | 旅の記録

穏やかな五月晴れの益子、たくさんの人が思い思いにテントを覗きながら楽しそうに歩いている。

益子町では、この大掛かりな陶芸市を一年に二回。春と秋に開催している。

丘の上の益子陶芸美術館のあたりは、テント・テント・テント さながらのテント村だ。すでに売れっ子の作家さんも、駆け出しの若者たちも

ここでは平等。テントの中には作家さんが居て、尋ねると釉薬のこと・焼成のこと・土のこと・・・なんでも答えてくれる。作り手と買い手のコミュニケーションが目玉 、会話が弾む。買っても買わなくても、見るだけで楽しい会場の雰囲気。

ここは、いわゆるお土産屋さんが軒を連ねる城内坂通り。この期間中はお店の前にもずらりと出店が並んでいる。

ぞろぞろ・ぞろぞろ・人の行列が続いている。通り道ばかりでなく、路地裏の小道まで ぞろぞろ・ぞろぞろ。

人の波につられて入っていくと、小路の奥に思いがけない作家さんのアトリエが有ったりして、楽しい・・・!

 

とにかく盛り沢山の作品・作品、100円の箸置きから300円のカップまで、あれもこれもと見とれて歩いていると、何が買いたかったか分からなくなってしまう・・・、それもまた楽しい!

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「益子焼」という焼き物は江戸時代からすでにあったもので、日常雑器や甕などを焼いていた。それが一躍有名になったのは、大正期に起こった民芸運動でのこと。活動の中心人物だった浜田庄司が益子に拠を構え活動を展開した。以来、浜田庄司らを中心に多くの傑出した陶芸家を生み出した。そんな伝統を踏まえて、今もなお次世代の作家たちが現代陶芸の拠点として頑張っている。

付記

浜田庄司の陶磁器コレクションや浜田邸などを楽しむならイベントのない平日がおすすめ! 

器好きには陶器市は楽しいし、値段も格安、一石二鳥の絶好のチャンス! 

陶芸に興味のある若者には、ぜひ若い作家と交流して欲しい! 次世代の陶芸家が生まれるチャンスかもしれない!

ちなみに今回は、東京(都心)から常磐道を通って笠間から益子へ入る常磐周りルートで、鄙びた田園風景を楽しみながらの2時間半のドライブ。帰りは、益子道の駅で買い物、その後、都心に向かう渋滞にはまって時間を取ったが、楽しい日帰りツアーとなった。

 

 


メリークリスマス

2022年12月24日 | 旅の記録

Merry Xmas

imakara  sannta ga purezento motte ikukarane !

 

 

sate  darenotokoroni  ikoukana ?

                              

                      omotai  !    omotai  !

                                                                           

                                                                                 iiko ga   itayo  ! 

                         

          

                                                                

                                           merry   xmas

 

 


富士山だよりー2

2022年05月07日 | 旅の記録

朝起きて窓を開けると、太陽を背にした黒い富士山のシルエットがくっきりと映し出されていました。ちょうどその時、その黒い富士山の背後から白い一筋の線が現れ始めました。それは見ている間にするすると伸び上がり、軽く富士山を越えると天高く昇って行きます。「羽田から飛び立った飛行機かしら? もう富士山の3倍ぐらいまで行ったネ・・・」と話している間に、一筋の白い線は五月の青い空の中に消えていきました

そして、いつもの美しい朝霧の富士山が現れました。

前半は雨も多く温度も低かった天候が、後半になって快晴が続き、文字通りのゴールデンウイークです。快適な五月晴れの中を爽やかな緑の風が通り過ぎて行きます。申し分のない散歩日和です。

このあたりは、別荘地と言っても家は点在しているぐらいで、木も草もみんなが自然体な感じです。・・・時折小鳥の声が聞こえてきます、さっき「ケーン」という声がしたと思ったら、雉が草叢の中をお散歩です。

空地いっぱいに二輪草(ニリンソウ)が咲いています。街場よりひと月おくれで今が満開です。品の良い白い花が風に揺れています。

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コロナで二年間も遠出ができなかったこともあって、ここに来たのも久しぶり、そう三年ぶり?でしょうか。自然は変わらないいなーと思いながら歩いていくと、突き当りの森が大掛かりに伐採されているのに出会いました。聞けばここの別荘地のすぐ近くにキャンプ場ができるとか・・。

広場の中央には伐採された大きな木々が積み上げられ、周辺のニリンソウの上にも小枝が無造作に積み重ねられています。

開発の、その無造作さに、何か漠然とした不安を感じ、心が痛みます。

昨今は、何やらキャンプばやりとかで休みになると富士五湖周辺のキャンプ場は大都会並みの混雑です。この連休の期間中も西富士道は大渋滞で昼間は外出もままなりませんでした。都会に住む沢山の人たちにも豊かな自然を楽しんで頂きたい、とは思います。でも、今のような感じで都会が移住してきたようなキャンプ場を増やすことがいいことなのかしら? ふとそんな気がしました。


新年ゴタゴタ記

2022年01月05日 | 旅の記録

 新年のブログを書こうとしてパソコンをあけてみたのだけれど、どういうわけか自分のブログが開かない。パスワードを間違えたか、gooIDがおかしいのか、いろいろ試してたのにやっぱりダメ・・・・。

そういえば、去年の暮は、掃除や片づけや身のまわりのことばかりに気を取られていて、ゆっくりブログをかまってやらなかった、そのせいなのか・・・? それとも休んでいた間にブログ管理の規約が変わったのか? とにかく今までのパスワードではブログが開かない。そうなると私のパソコン能力ではどうすることもできない。新年のご挨拶はスマホの「富士山の写真」で間に合わせたが、いざ文章を書こうとすると、やっぱりブログはひらかない。今日はもう4日だというのに・・・。

そんな事情の中

今年は何としても人に頼らず「自分の力で解決しよう」と決めた。メモしてあった過去のIDとパスワードを丹念に入力して試し、入力文字が半角英数になっているかと言われればこれも試し、空白や濁点が入っていないかと言われれば試し・・・、でも、ブログはかんたんには開いてくれない。次に応援を求めたのは「ヘルプ」だ。ヘルプにメールして、ヘルプからは何通かの返事をもらった。それもなぜか役立たない。午前中に始めた挑戦が、お昼になっても解決できないままだ・・・。

 

突然ブログが開いたのは午後の3時頃。最後の手段にとgooIDをいじりパスワードも変えた、するとブログが魔法のように開くではないか!

 

2022年1月4日 ブログ

パソコンのパスワードが小半日かけてやっと解けた時、私は、何故か不思議な快感の中にいた。                 

すると、それまでズルズルと引きずっていた正月来のマイナスイオンがパート晴れたのだ。

そして、今年もいい作品を作ろう! 素敵な仲間たちを大切にしよう! まわりの自然を愛そう! 頑張って生きよう!! 

そんな想いが、どかからともこみ湧き上がってきたのだ。

 

2022年1月4日・庭の蝋梅一輪

ロウバイハツクリモノノヨウナハナダ  フイクトシタカオリヲ アタリイチメンニフリマイテイル 

ムシタチヲアツメテイルノカ  デモ ダマサレテハイケナイヨ  サワッテハイケナイヨ コレハワナカモシレナイ 

 

 

 


ルリタテハー3

2021年10月10日 | 旅の記録

朝起きて庭にでると、観察中の蛹が、ついに羽化していました。(10月3日付け写真の蛹です)

 

 

 

 

雨の日、風の日、日照りの日、飲まず食わず、ただじっとしていた蛹が、ついに変身に成功したのです。

の世界からの世界へ、一株のホトトギスから大空の大自然への旅立!!

この素敵なドキドキするような大冒険を想像しながら、ついつい「がんばれよ」と声援を送っている、私でした。

 

7時に蛹の羽化を発見してから、朝食とコーヒータイムを経て、ブログのルリタテハ記をしるし、10時頃に再確認に行きましたが、蝶はじっとしたまま動く気配がありません。霧のような雨のせいか、もしかしたら飛び立ちのための準備時間が必要なのか・・・、しばらく待ちましたが、飛び立つ気配がありません。用事を済ませてお昼頃いくと、もう蝶はいませんでした。美しいるり色の蝶を写真に撮ることができなかったことは残念ですが、この秋の、本物の、素敵なドラマを楽しませてくれたことに心から感謝です!!

追記

まず、毛虫の頃に食草にマーキングをしましたが、毛虫は激しく移動するので、よく見ていないと見失います。

たくさんの葉っぱを食べて太く大きくなると、毛虫がくるっと逆さになって釣り下がりますが、蛹になるまでには時間がかかります。

蛹になったら忘れないようにマーキング。草むらに交じると枯葉かゴミか見分けが付きにくく、10日もほっておくと羽化を見逃しますので、要注意。

 


天城湯ヶ島・小さな旅

2021年09月28日 | 旅の記録

二度のワクチン接種もすんでいるし、コロナもやや沈静してきたし・・・・・。

秋の休日、久しぶりに天城湯ヶ島を訪れた。天城は私の最初の赴任地、懐かしい地である。昔泊ったことのある「白壁荘」に一泊した。

 

温泉に入ってから宿の裏庭を散歩してみた。このあたりは渓谷の合流地らしく、豊かな水が轟音を立てて流れている。眺めていると、何処からか一人の男性が現れて何やら魚を取っているらしい。

「何が捕れましたか?」と聞くと「鮎だよ」とのどかな返事がかえってきた。大きな自然と共存する小さな人間の「これがごく普通の営みなのだよ」と言う感じの応答が、何だかとても爽やかに感じられた。

 

「天城山脈を源とする山ひだから醸しだされる澄み切った湧き水は万緑の樹々を縫って渓谷に流れ込み、猫越川と本谷川になる。この二つの川が合流する地点は湯ヶ島のほぼ中央にあり、湯ヶ島でも最も美しい景観を呈している。」(白ばんばの里・天城湯島 宇田治良)

 

新幹線三島駅からなら車で一時間余りの伊豆半島・天城湯ヶ島。伊東に通じる幹線(踊り子街道)をたった一本奥に入っただけなのに、そこには昔のままの、美しい田畑と美しい自然が残っていた。今風の看板や建物もあまり見当たらない。そこには温泉郷を守ろうとする人々の努力があるのだろうが、何かノスタルジックな感興をそそられる地であった。宿泊した「白壁荘」がよかったからかもしれないが・・・・。

 

「伊豆半島の中央、天城山の麓に位置する天城湯ヶ島は良質の温泉が豊富で、古くから湯治場としてよく知られている。美しい自然の中で山間に佇む温泉郷はまた、文学の発祥地としても独特の雰囲気を持っている。」(白ばんばの里・天城湯島 宇田治良)

 


大谷石資料館

2021年09月17日 | 旅の記録

西インドの階段井戸には驚かされましたが、それに負けない素晴らしい石の文化が日本にもあることを,この夏,見つけました。

栃木県宇都宮市の北西部(旧)城山村荒針一帯に残る「大谷石採掘場跡」がそれです。石切り場の入り口は10メートル四方くらいの広さですが、中は広く、深さも30~80メートル程、(深い所では120メートルもあるそうです)、全体を石で囲った巨大な空間が資料館で,その外からでは判らない地下の採掘跡が、そのまま美術空間です。

 

写真は、中沢正行さんが撮影した「写真集」の中の一枚です。作業用の階段の小ささを見ても、この石のドームの大きさがわかります。迫力ある現代アート作品のようです。

「写真集 その知られざる世界」から転載

「50メートルもあっただろうか、やっと地の底にたどり着いた瞬間、その神殿のような荘厳さ、静けさ、この世のものとも思えない柔らかい光に、しばらくはファインダーをのぞく事さえ忘れ、その神殿に見とれてしまった。]  写真集「その知られざる世界」を撮影された相沢正行さんは、昭和48年に初めて構内に入った時の感動をそう述べています。

私も、この夏、思いがけずこの石の神殿のような空間に行って感動しました。そして、インドの階段井戸のことを思い出しました。用途も構造も違いますが、地下深くに籠めた人々の祈りが、伝わってくるような気がしました。  

静岡から栃木は遠く.東北地方の入り口のような気がしていましたが、焼き物の産地「益子」や「笠間」も近くです。


星が最も輝いて見える場所・ヘブンスそのはら

2019年05月13日 | 旅の記録

 5月11日・ヘブンスそのはらで2640人が天体観測・ギネス認定 

そんな記事が新聞に出ていました。 2640人も! すごいですね! 

山頂までのロープウェイは12人しか乗れないから、ヘブンス界隈はきっ大変な混雑だったでしょう !

星の美しさもさることながら、思い思いの天体観察の道具を据えた2640人の姿は、さぞ壮観だったことでしょう。

 

 

 

私たちは、連休の最初の頃にここに居たのですが、山頂はあいにくの雨でした。

山頂の売店でビニールカッパを買って、雨の中を歩きました。

 

 雨の中に咲くカタクリの花です。

 

カタクリは、群落をつくって、一面にさいていました。

 

 こちらはイワウチワの群落です。

 

 イワウチワの花

 

「ヘブンスそのはら」は長野県下伊那郡阿智村にあるスキー場です。スキー場としては信州の最南端だとか。

「花桃街道」に行く道を途中でちょっと右折すると、スキー場に行くケーブルの乗り場があります。

ケーブルで10分?くらい行くと、遥かに伊那谷の展望がひらけます。

この季節は山野草も美しいのですが、これからは、何といっても星空が素晴らしいとのこと。

環境省による全国星空継続観察で「星が最も輝いて見える場所」第1位に選ばれています。

カタログから借用

 

星空が美しいということは、逆に言えば、手つかずの自然がそのまま残されているということ、

帰途、お土産に買った「切り干し大根」にしみ込んだ「自然」の味と香りに感激しながら

厳しい自然環境の中で生きてきた昔の人々の厳しい暮らしと、大空にかけるロマンを思ったのでした。 

 


南信州・花桃街道

2019年05月03日 | 旅の記録

 

信州に行ってきました。

 といっても南信州・飯田から山沿いの道を30分ほど行ったところにある昼神温泉です。

昔一度行ったことがある温泉なのですが、当時と比べると見違えるほど立派な温泉街になっていました。

その温泉場のすぐ近くにある「花桃街道」は、赤白ピンクの桃の花が川の両岸をうめつくし、

まるで振り袖の裾模様のような豪華な美しさでした。

 

  

一時代前、伊那谷と木曽谷を結ぶ国道256号線は侘しい山村地帯でした。

何もない過疎の村を「自慢できるにしたい」と始まったのが花桃の植栽だったそうです。

それは平成の初めの頃でしたが、30年の時を経た平成最後のこの年には10000本にまでなり、

街道を埋め尽くす見事な「花街道」として、全国から人の集まる観光名所になっています。

 

 

木曽川の上流に日本初の発電所を作ったのは福沢諭吉の娘婿福沢桃介です。

桃吉は訪れたドイツのミュンヘンで三色に咲くこの花を見て驚き、3本の苗を持ち帰りました。

1992年(大正11年)のことです。それが「花桃街道」の桃の基になりました。

一昨年、その福沢桃介の業績を訪ねる旅で木曽川を訪ねました。

その時、その桃の苗木をお土産に戴きました。それが、我が家の「はなもも」の木です。

今年二年目で、まだ1メートルほどですが三色の花をさかせました。

 

 

桃介と貞奴と愛でし花の桃

 白とピンクと濃い赤桃色と、一本の木に三色の花をつける「花桃」です。

津カンナ著・水燃えて火(山師と女優の電力革命)に、その当時の木曽の事情が詳しく記されています。

ちなみに、貞奴は一世を風靡した明治時代の女優、発電所開発の時期、桃介とこの地に暮らしたのでした。

 

 


旅の記憶ーホノルル美術館から

2019年01月29日 | 旅の記録

ハワイは、芸術の中心からは遠く離れていますが、

人種の多国籍、多民族性においては、他の国にはない特色を持っています。

そしてそれは、それぞれの民族の受け継いでいる文化遺産や芸術に対する理想を、共有することができるということです。

ハワイ原住民・アメリカ人・中国人・韓国人・日本人・フィリピン人・北欧人、

ここに住むすべての人々が、どの民族にも共通する芸術を通じて交流することで、

私たちの先祖が生み育ててきた、この国ならではの文化にも気づくことができることでしょう 。

 

1927年4月、ホノルル美術館の開館式でのアナ・ライス・クックの言葉です

 

 

オアフ島の宣教師の家に生まれ、実業家のクック氏と結婚したアナは、夫の事業が成功を収めると美術品の収集を始めます。

そして、その美術品のコレクションをもとに、自分の家だった場所に、伝統的なハワイ様式で美術館をつくります。

それが、現在のホノノルル美術館の始まりでした。

 

 

当時のハワイは、カメハメハ大王が統一ハワイ王朝を確立し、サトウキビの栽培で活況を呈していました。

サトウキビづくりのために、中国、朝鮮、フィリピン、日本  等々からたくさんの労働者が移住してきました。

(1943年のパール・ハーバー・真珠湾攻撃の20年近く前のことです。)

   今のハワイといえば、色とりどりの布をまとった観光客であふれ,人気店の前にはたくさんの人が列を作って並んでいます。

街中には乗り合い馬車のような観光バスが走っていて、たくさんの観光客の足になっています。

でも、よく考えればそれも、そんなに昔からのことではないのでしょう。

*

私はひとり、「レアレア(無料の観光バス)」に乗って、ロイヤルハワイアンセンターから美術館に向かいました。

公園や港やハワイの出雲神社なんて所も通って、ワイキキ海岸とは反対の山側まで走ると、そこにホノルル美術館がありました。

二頭の動物が出迎える、伝統的なハワイ様式の立派な建物です。

そこを入ると、まずカフェがあり(食事だけでもOK)そこでお茶を頂いたから、その先のギャラリーに向かいました。

 

*

 

 最初のギャラリーのドアを開けると、アジア美術コレクションの部屋が広がっていました。

 

 

近くの島々で使われていたものでしょうか、ユニークな民芸品の数々が目を引きます。

手の込んだ木彫りの作品は、どれも緻密な手仕事でできています。

芸術品というより何かの儀式か、装飾のためのものだったのでしょう、

どことなく原始的な稚拙さもあって、親しみを感じます。 

 

 

   

これは、上の写真4頭の馬の彫り物の一部分です。

 最近私の彫っている木彫と比べると、なんという緻密さでしょうか。

アジアの島々のレベルの高い木彫りの技術が、人々の暮らしの文化をも育んでいたのでしょう。

 

 

一つの国の展示が終わると、次の部屋が現れます。

そこでは、また新たに趣の違う文化が展開されます。

 

 

 

 

 

インドやタイやカンボジアです。

少しずつ、特色の違う仏像がならんでいます。どこかで出会ったことのあるような仏像たちです。

 部屋は国ごとに展示を変えながら、回廊のようにくねりながら次々に続きます。 

収集品の数の多さ、その選択眼の確かさ、素晴らしい展示空間   ただただ感嘆するばかりです。

 

 

カンボジア、ラオス、ベトナム、の彫刻や金属細工   

  

 

 

 

 

そして、部屋はさらに、中国、朝鮮、フィリピン、沖縄   日本   と続きます。

 

 

*

これらの「アジアコレクション」だけでも、2万余点の品々がが飾られています。

そのほとんどが、コレクターからの寄贈品である、ということも驚きです。

個人のコレクションから美術館が始まり、さらに多くのコレクターの寄贈品が集合体になって、

この美術館が成り立っていることがわかります。アメリカやヨーロッパではよくあるスタイルnあのだそうです。

この美術館の特色は、回廊式ギャラリーの外に,美しい中庭があることです。 

 

 

言い換えれば、いくつかの中庭を囲むようにギャラリがつながっていて、

次のエリアへの導入の役割を果たしています。ここでお茶を一服,ということでもあります。

 

 

これは、日本館の正面の仏像です。

日本館には、狩野派の絵画や絵巻もの、桃山時代の「洛中洛外図」や女性の装束なども展示されています。

*

ここまでのアジアコレクションを見るだけでも、小半日はかかりました。

さらに、ヨーロッパやアメリカのエリヤをみるとなると、もう一日が必要です。

私は、一日目をアジアコレクションの見学に当て、次の日,もう一度ここを訪れることにしたのでした。

そこには、ギリシャ、アッシリア、エジプト アフリカ  等々、古代の作品から、

現代アメリカ、現代ヨーロッパの美術まで、1万5千点ものコレクションが網羅されてるのでした。

もちろん、ピカソやマチスやセザンヌやゴッホ にも出会えました。

ハワイは、若い男女が波乗りを楽しみ、遊びに興じるところ・・、

そんな印象を払拭してしまうような、奥行きの深い素敵な美術館でした。

太平洋の真ん中のハワイという地域の力強い文化の構成、

素敵なものに出会った時の、あの何とも言えない心地よさで、私は再びレアレアに乗ったのでした。

 

 

 

 


ホノルル美術館からアロハ

2019年01月06日 | 旅の記録


今年のお正月は、娘家族と暖かなハワイで過ごしています。

 


ホノルル美術館に行ってきました。

ここには、世界各国から集められた
すばらさしいコレクションの数々が展示されていて、一日いても飽きることがありません。





詳しい情報は、帰国してからまた書きますね。