陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

いい作品を焼くのは難しい!

2017年01月30日 | 陶芸

 前回ご紹介した「蹲」に続いて、これは、日常ごく普通に使われる「平皿」です。

 

 

   まず、白い土で平皿を挽いた後に、黒化粧をしました。

その一部を取り除いたり掻き落とたりして、素地に複雑な線を入れて、黒色と白色のコントラストを作ります。その素地を素焼きした後に、もう一度白化粧を加えて白と黒とをアレンジします。

最後に白マット釉で仕上げて、1250度で焼成しました。  

 

 

同じ手法で焼いた、コバルト系の化粧土を入れた平皿の部分です。

 

 

*

 

「時間」とか「空間」という厚みをどうやって平面の中に取り入れるか、そんなことを考えています。

 展覧会に出品するオブジェは、大きな立体ですから形を通して思考や思想を表現しやすいのですが、日常の雑器の中に「重み」や「気品」や「自分らしさ」を入れるのは、なかなか難しいものです。

 

黒化粧による平皿   A.T作品

掻き落とし平皿  K.S作品

白化粧による平皿       Y.T作品

 

今回の窯で焼いた平皿たち。

自分でも気にいるような「いい作品」を焼くのってなかなか難しい! ・・・ ですネ!

 


蹲(うずくまる)を焼きました。

2017年01月26日 | 陶芸

この季節は、まだ土が冷たくて、轆轤をひく手が凍えます。陶芸には厳しい季節です。

でも、そうそう冬眠しているわけにもいきません。手捻りで小さな壺を作りました。

 

蹲・うずくまる     A.T 作品

 

   人が膝をかかえて丸まったような姿をすることを「うずくまる」と言いますね。そんな恰好をした小さな壺のことを「蹲」と言います。

 もともとは、穀物の種壺や油壺として使われた雑器なのですが、茶人がそれを「花入」に見立てたことから、茶席に使われるようになり、江戸時代には茶陶として「蹲」という呼称が定着しています。

 

                                                                          

 本来の蹲は、20cm前後の背が低くずんぐりとして胴が張り出してた小壺で、表面は手捻りの紐作りによって微妙に波打ち、薪窯で焼かれた際に灰をかぶったところには焦げが、灰のない部分には緋色が出ています。信楽や古伊賀、備前や唐津のものが有名です。  

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                                                                 雑器として使われた小壺

侘びた風情と愛嬌のあるずんぐりした姿が魅力の蹲、

その形と雰囲気を現代風にアレンジして焼成してみました。

 

F.K作品

K.S作品

 

M.S作品

 

いずれも今年の初窯で焼成したものです。

一枝の梅・一輪の山椿・花を入れると一層映えます。


春一番は だあ~れ

2017年01月23日 | 野草

「日本海側は大雪、明日は太平洋側でも雪の降る地方があるでしょう」と夜7時の天気予報。

でも、このあたりは、日増しに高くなる太陽の角度に比例するように日差しが強まって、

土の温度も上がったのでしょう、何気に「春」のにおいが・・・。

 

 

そっと枯れ葉をかき分けてみると・・・、ほら貝母百合の芽が・・。

 

 

 

そのお隣りでは、去年も一番乗りだったクリマスローズが

今年も、こんな風に花を・・・。

 

萌えいずる      春草花に     ひとり笑む 


湯島天神と白梅と婦系図と

2017年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 もう一月も半分を過ぎてしまったので、今さら初詣の話でもないのですが、

「梅が咲き始めた」という知らせに、初詣に行った湯島天神の「白梅」のことを思い出しました。

 

東京都文京区湯島にある湯島天満宮・鳥居は1667年に創建されたもの

 

     今年は、孫娘の受験の年だから、初詣は学問の神様「天神様」にしようと、(本人は留守なので)  本人抜きの保護者だけの神頼み・・、「湯島天神」に出かけたのです。

(湯島神社は 雄略天皇の時代に天之手力雄命を祀る神社として創建、1355年に菅原道真を勧請して合祀したもの。今日のように合格を祈願する天満宮になったのは2000年以降のこととか。)

案の定、界隈は参拝者の長蛇の列です。

聞き知っている「女坂」も「男坂」も、昔ながらの情緒ある湯島の面影がどのあたりなのかも、

残念ながら散策してみれるような状態ではありません。

 

                                                    

長い長~い参拝者の列。列につながって何とか参拝を済ませ、境内へ。

境内は、おびただしい祈願の絵馬やおみくじでいっぱいです。

 

その境内の片隅に、早々と咲き誇っている一本の梅の木。 

                                                                    

                                                                             

「これが、かの有名な湯島の白梅か!」 と写真に撮ったのですが、

「湯島通れば思い出す  ♪~♪  お蔦・主税の心意気」・・という歌詞の一部分しか思い出せず、本当のところは全く知りません。有名な文士が住んでいたことや、湯島が花街で芸妓がいたことや、昔の帝大の学生が多く住んでいた等など・・・・・・・、話題の多い場所であることは確かなよう・・・。

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で、泉鏡花の「婦系図」とは、どんなお話だったかと、青空文庫で読んでみました。

語りと台詞とで構成された文面は、まったく浄瑠璃の世界そのもの。芸妓上がりの囲い妻お蔦と学士風(ドイツ語の翻訳家)の主税(ちから)の、当時の世間からは認められない価値観と、権威と権力とお金と時代の常識との対決、明治という時代に生きた女(婦)のけなげで哀しい様が、何とも芝居じみた台詞廻しの中で描かれていました。当時の下町の暮らし向きや、御用聞きのようすや、上流社会の女性と庶民の女の言葉使いの違い、着るものの違い等など・・・・、おもしろい発見もいろいろありました。

が、湯島の白梅の場面は鏡花の婦系図の中になく、後に芝居で上演される際に登場したものだということが判りました。

明治から百年、東京も変わり、男も女も変わり、暮らし方も価値観も変わって、自由と民主主義の世界が日本中にいきわたったことを、改めてありがたいことと認識したのでした。

 

 


蝋梅咲きて、初釜をたく

2017年01月13日 | 日記・エッセイ・コラム

しばらく留守にしていましたら、家の蝋梅が満開になっていました。

蝋梅の馥郁とした香りは、なぜか心を優しく癒してくれます。

 

 

さっそく一枝手折って手桶に活け、初がまを点てました。

 

茶碗は、やや大ぶりの志野。

 

主菓子は、新年恒例の「花びらもち」。

 

「花びら餅」は、牛蒡をみそ味の餡で包み、それを餅で巻いて「花びら」のように見立てたものです。これは東京の老舗デパートでも、同じような風体のものを売っています。

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それで、思い出したのが、昨年12月、四国に行った時に丸亀市で求めた「福福餅」のことです。丸亀市は、丸亀うどんで有名ですが、行ってみるとどうしてどうして丸亀城のある立派な城下町でした。この町の老舗の「みどりや」さんというお菓子屋さんに立ち寄って買ったのが「福福餅」です。お値段は安いのですが、丁寧に保冷してくださり、静岡まで持ち帰り、翌日のお茶のお稽古に使いました。

 

 

その麩饅頭を包む葉っぱが、なんと「山帰来」(さんきらい)という植物の葉だったのです。山帰来は、別の名を「サルトリイバラ」と言って、赤い実をつける蔓性の植物で、静岡でも山ではよく見かけるものです。でも、この葉を塩漬けにして食べるというのは、初めてのことでした。

 

サルトリイバラ・松江の花図鑑より転載

この植物の名「山帰来」の由来は、その昔、重い病にかかった人が山にこもって「さるとりいばら」の実や葉を食べて養生し、病を治して山から帰ってきたことによるのだそうです。四国では「ガラダチの葉」と言って親しまれて、「柏餅」もこの山帰来で包むと聞きました。本当でしょうか? 静岡あたりでいただく「さくら餅」(桜の葉の塩漬けで餅をくるむ)のイメージなのでしょうか。

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四国では、もしかするとお正月にも、花びら餅とは違うものを使うのでしょうか?

 

新幹線で行けばわずか数時間の距離、

そこに異なる文化が育まれていることを、うれしく思ったのでした。


ニューイヤー・コンサート ・ 2017

2017年01月05日 | 日記・エッセイ・コラム

2017年・新しい年が始まりました。

 

 

1月3日、娘がチケットを取っておいてくれたので、

Suntory Hall の     New   Year   Concert  2017 

Symphonie-Orchester  der Volksoper Wien

"美しく青きドナウ"  という音楽会に行ってきました。

 

 

  ウィンでのニューイヤー・コンサートには、いくつかの恒例の約束事があるのだそうです。

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この演奏会ではアンコールとして演奏される3曲のうち、

2曲目に『美しく青きドナウ』(ヨハン・シュトラウス2世)を、最後の曲に『ラデツキー行進曲』(ヨハン・シュトラウス1世)を演奏するのがならわしとなっている。

また『美しく青きドナウ』の冒頭が演奏されると一旦拍手が起こり演奏を中断、指揮者およびウィーン・フィルからの新年の挨拶があり、再び最初から演奏を始めるのもならわしである。

新年の挨拶はその年の指揮者により色々な趣向で行なわれる

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『ラデツキー行進曲』では、

ヴィリー・ボスコフスキー時代は聴衆からの自発的な手拍子であったが、

マゼール時代以降指揮者が観客の手拍子にキューを出すのが恒例になった。

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毎年変わる指揮者は、公式には「楽団員全員による投票によって決定されている」。

毎年1月2日に次年の指揮者が、楽団の公式ホームページ上で発表される。

新年の初めであり会場の観客は正装をしているが、新年を祝う気軽で陽気なコンサートである。会場で飾られる美しい花々は1980年以来、イタリアサンレーモ市(Sanremo)から贈られる。切符を入手するのは極めて困難で、数ある音楽会の中でも最もプレミアが付く演奏会の一つ。日本人が会場に多い(ときに和服姿の女性)のは有名である.

( 以上、ウィキペキアの解説の借用)

 

 

場所は、世界の著名な音楽家たちが集まる(ウィンではなく)かの有名なサントリーホール,

お正月ということで、聴衆はそれぞれにドレスアップ

娘と私も、それなりにドレスアップ!

会場は、指揮者のタクトに合わせてみんなで手拍子を取る、、、

まさに新春を祝う楽しい雰囲気のニューイヤー・コンサートでした!

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 *参照19世紀前半のヨーロッパ、ハプスブルグ帝国は、ロシア・ポーランド・ルーマニア・チェコ・スロヴァニア・ハンガリー・ユーゴスラヴィア・イタリア と多くの国を支配下に治める多民族国家としての繁栄を極めていました。その栄華を誇ってきたハプスブルグ帝国が、さまざまな要因で崩壊の兆しを見せ始めます。民族の反乱、フランスの革命、 ナポレオンの侵略、ローマ帝国の消滅・・・。それまでの秩序が音を立てて崩れ落ちていく不吉で不安定な中、人々は、ワルツに酔い、豪華でお洒落なカフェで談話し、ワインとおいしいお菓子を食べ、贅沢な料理を満喫し、芸術という美意識の中に生きがいを見つけようとしました。19世紀前半(1814~15)に行われた「ウイーン会議」で演奏された3拍子のワルツが、世界にウインナワルツを広めたとされています。