陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

2023年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム

朝、花に水やりをしていたら 虹が  N I J I が ・・・

ラララにじがにじが

花にかかって

きみのきみの気分も晴れて

きっと明日はいい天気

きっと明日はいい天気

 

彼岸花一日早く咲きにけり

 


夕顔・その後

2023年09月15日 | 日記・エッセイ・コラム

よく行くお蕎麦屋さん「八兵衛」のレジの近くに「どうぞお持ち下さい」と置いてあった夕顔の苗、何気なくそれを1本だけ頂いて鉢に植えておいたら、どんどん大きくなって、熱波続きのこのひと夏を楽しませてくれた。

 

夕顔の妖艶に咲く闇の中 (写真・懐中電灯で照らしてとったもの)

 

真夜中、夕顔は真っ白な妖艶な姿と甘い香りであたりを魅了する・・・、だが人間様は寝ていてそれを見ることがない。

翌朝、気が付くと花はもうしぼんでしまっていて、しばらくするとぽたりと地面に落ちる。

それなのに、真夜中にあんなに華やかに咲くのはいったい誰のためか? どうしてなのか? と問いたくなる。

 

ところがこの文章を書きながらが、ふと思い出したことがある。源氏物語の「夕顔」のことだ。夜、男性が好きな女性のところに忍んで会いに行くのは、平安の頃の習わし、男女の出会いの舞台は「夜這い」だった。当時は電灯がなかったから夜は本当の暗闇だったに違いない。そんな真っ暗な夜道を行く中、垣根か何かに真っ白な夕顔の花が咲いている、甘い香が漂っている・・・・、男はそこに美しい女性像を想い描く・・・、最高の舞台に違いない。

 

心あてにそれかとぞみゆ白露の光り添えたる夕顔の花

そこに主の女から手紙が届く・・・、なんと心憎い状況ではないか!

 

咲き終わってしぼんだ花々が何だか可哀そうな感じがして摘んで持ち帰ったが・・・・なんの役にも立ちそうにない。

夕顔のいさぎの良さや一夜花

 

 


彼岸の前に

2023年09月13日 | 野草

あっという間に九月!と書いたばかりだと思っていたのにもう九月も中旬、無為な時間を過ごしていたせいか月日の流れの速さに驚かされる。

今年の「彼岸」は9月の20日から9月の26日。真ん中の23日が秋分の日で休日である。今頃書くのもおかしいけれど、ずっと「春分の日・秋分の日」は「昼夜の長さが同じ日」ぐらいにしか思っていなかった。

それが、よく考えてみると「彼岸」とは、すなわち煩悩の流れを超えたあちらの地、つまり涅槃の地であり悟りを意味するのだと気が付いた。それは、多分人間が長い歴史の中でたどりついた宗教的な叡智・・・・・、人の生と太陽の動きを重ねることで彼岸会の思想が生まれたのだろうと思った。これは、仏教の中でも日本独自のものだそうで、日本人の自然観が表れていて面白い。

閑話休題・

そんなことはいいとして、草ぼうぼうの庭の草をむしっていたらご覧のような集団にぶっつかった。

1週間後に花を咲かせるつもりらしい彼岸花たちだ。

今日は9月13日、ひょっとっすると人間よりもずっと精緻に天地の真理を生きているんじゃないかしらなんて・・・思ってしまった。

あらはなる秋の光りに茎のびて曼殊沙華ただひたすら高く


長月(九月)の秋草花

2023年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

あっという間に九月です。

35度を超す猛暑に人間さまだけでなく動物も植物も息絶え絶えの八月でした。人間さまには「惜しみなくーラーを使うように」とテレビやラジオがやかましく言っていましたが、植物たちにとってはこの暑さはどうだったのでしょう?  

水やりも放棄していた裏庭を点検してみると・・・、どうでしょう冥加がちゃんと花をつけているではありませんか!

 

日陰の湿った土の中から首を出し白い花を咲かせていました。この異常な暑さの中でも、ちゃんと季節を感じ顔を出したに違いありません。その生命力と順応力に思わず感嘆の声を上げてしまいました。(冥加は、昔から秋の季語だったようです)

 

眠れぬ夜あけて冥加の花を見に   中島鬼谷

つぎつぎと冥加の花の出て白き    高野素十

 

雑草と山野草が入り混じったように咲く、山際の自然体の我が家の庭には、今、オレンジ色のノカンゾウが咲き始めています。

萱草は一日花ですが次々と新しい花を咲かせ、毎年初秋の庭を明るく彩ってくれます。なんともたくましい花々です。

 

萱草やここに芽を吹く忘草   正岡子規

萱草の夕日の色に咲き惜しむ  駒井えつ子

 

暑さをしのぐ秋草花に 乾杯 です。