陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

本日の珍客・コゲラ

2017年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム

穏やかで 暖かな 春の日が続いています。 

常連のヒヨドリやメジロやシジュウカラやジョウビタキに交じって、

本日の珍客はコゲラです。

 

 

コゲラはキツツキの仲間で、木の幹をコツンコツンと叩くようにドラミングをするので,

すぐにキツツキの仲間だと分かります。

(急いだのでカメラが間に合わず、携帯で撮りました。)

 

 *コゲラはキツツキ目キツツキ科に分類される鳥類の一種。英名は "Japanese Pygmy Woodpecker" で、日本にいる小さなキツツキの意。学名の内、種名の「kizuki」は、本種を記録した時の標本の採集地が豊後の杵築だったことからつけられた。

 


小鳥の事情

2017年02月13日 | 日記・エッセイ・コラム

鳥取地方は、記録的な大雪との報 !

ここも、朝は凍るほどに冷たかったのに、お日様が輝きだすとポッカポカ の春日和。

 

 

姫沙羅の白い芽が青空に向かって背伸びをすると、隣のマンサクの縮れた黄色い花が笑う。

のどかな昼下がり、日向ぼっこの   バードウォッチング

 

 

テーブルにはパン屑、近くの小枝にはみかん・・訪問者を待つこと30分。

最初の訪問者はジョウビタキ。ミカンの近くまで来てキョロキョロ・キョロキョロ

 

 

と、どこからともなくサーと現れて睨みをきかす、一羽のヒヨドリ・・

ジョウビタキは、あわてて飛び去っていきました。

 

次の訪問者は、鶯色の体に目の周りだけ白い メジロ・・

 

 

とまたまた  今度は二羽のヒヨドリが舞い降りてきて近くの繁みからじっと監視

メジロもあわてて飛び去っていきました。

 

*

 

小さき鳥(もの)にと  ミカンおくも    こは我が領分と   大鳥の舞い来て追えり

(結局、ジョウビタキもメジロも写真に撮れず、撮れたのはヒヨドリだけでした)


倉本 聰 と 富良野塾の 「走る」 を観る

2017年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、倉元  聰 率いる「富良野塾」公演、「走る」を観てきました。

 

幕が開くと、舞台は今まさにマラソンがスタートしたところ・・・。

たくさんのランナーが一斉に走り出します。

はじめは、それらは一塊りの群れのように遠景にいるのですが、

やがて群衆の中から数人が飛び出し先頭に立ちます。

その数人をカメラが追うように、胸に付けたゼッケンの番号や、ユニホームや、穿いているシューズや、顔の表情 など、観客にランナーを印象づけます。

*

 

役者たちは全員、やや前のめりのマラソン姿勢で、ずーと舞台の上を走り続けます。

この舞台には主役がいません。ランナーには名前もありません。主役は一塊の走るランナーたち。

舞台を支えているのはランナーの走る、タッタ タッタ タッタ タッタ  という靴音だけ。

 

*

シンプルにいえば、走るランナー走るランナーの靴音、これがこの舞台の骨組みです。

時間が経過すると群れは、だんだん数人のランナーに分かれ、

数人ずつになったランナーはそれぞれのインナーボイス(心の声)を台詞のように語り始めます。

いいろいろな人生の、いろいろな事情が、ランダムな形で語られます。

 

*

その間も、ランナーたちは、タッタ タッタ タッタ と、ゴールに向かって走り続けます。

人は何のために  走るのか。

何に向かって 走るのか。

それが、倉本 聰氏の 問いかけ  です。

*

 問いの答えは人それぞれでしょう。それにしても、この舞台の間中(1時間45分)、舞台を走り続ける役者さんには感動させられます。マラソンを走り続けながら、観客を説得させられるような芝居をし、台詞も言わなければならないのです。富良野塾の塾生は、2年の間、昼も夜もこのマラソンのような生活をくりかえし、自分を鍛えることが求められるのだそうです。そこに何が見えてくるのか、それがこの「走る」のテーマの一つでもあるのでしょう。

 私的にいえば、私は必死で走る人間ではないので、走る人のことは語れません。が、高度成長期の只中をまっしぐらに走り抜けて行った何人かの人生を観てきました。「どうしてもっとゆっくり歩かないの」という問いは、当然いつの時代にもあるでしょう。でも、どの時代においても、人は一生懸命に走るのです、自分にできる限りの力で。

       もしかしたら、地球が回り続けている限り、人は止まることなく走る宿命を担っているのかもしれない 

 私には、そんな風にさえ思えるのです。

 


陀羅尼助丸

2017年02月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

「どうもお腹の調子がよくないの」と言ったら、友達が「陀羅尼助丸」をもってきてくれた。

江戸時代から使われている和漢胃腸薬だそうだ。

「だらにすけがん」それにしても面白いネーミング!!

ダラニ」「だらに」「陀羅尼」 「ダラニ」

 *

陀羅尼とは、サンスクリット語のダーラーニーの音を写したもので、総持・能持 と訳すのだとか。

教えの精髄を凝縮させる言葉・教えの心理を記憶させる力・行者を守る力・神通力を与える呪文  

     密教の真贋を成就するための蜜呪の言葉

         なるほど     陀羅尼     助     丸   ・・か!

 

*

今から1300年前、疫病が流行し多くの人が腹痛に苦しんでいました。役の行者は苦しむ人々を助けるため、山中の黄柏(オウバク)の木の皮をはいで、煎じ薬にして人々に飲ませ、疫病から救ったといわれています。(陀羅尼助丸の説明文)

今から1300年前と言ったら717年。大海の皇子が吉野に陰棲し、壬申の乱が起きたのは672年だ。

 まだ自然と神と人間とが混然としていた時代、自然災害も疫病も、政治の混乱だって、人間の力だけではどうにもならないと考えられていたに違いない時代だ。その当時、 奈良吉野の霊山には、山岳修行をする修験者たちがいた。彼らは、修行を重ね、山の霊力を体内に吸収し、自己を引きあげ、霊力を人々に授けた。その一つに、修行中に体を守るためにつくられた霊薬があった。

*

そのありがたい霊薬を頂く時陀羅尼を唱える。

陀羅尼・陀羅尼・病が早く治りますように・霊験あらたかなご利益がありますように

それが陀羅尼 助 丸 のいわれ・・?

(こんなストーリーはどうだろう。)

 

陀羅尼助丸の小さな丸薬を30粒程口にふくみながら、

陀羅尼 についての想像を楽しんだ。